幹部自衛官らの靖國汚染と大東亜戦争史観

内田 雅敏(弁護士)

将軍たちは去ったが参謀たちは残った

NP現代の理論・社会フォーラム2024通常総会記念講演

はじめに

 「本年は、台湾出兵百五十周年、日清戦争開戦百三十周年、日露戦争開戦百二十周年と我が国近代史、及び靖國神社に祀られる英霊に想いをいたす節目の年であるとともに、日本の国柄を形作った最初の憲法が出来て千四百二十年目の年となります。
 この憲法の中で、聖徳太子は徹頭徹尾、和を尊び話し合いを尽くすことを説いています。考古学、分子生物学の進展により、さらに遡って、一万年以上前から日本には平和な文化、文明の根付いていたことが科学的に証明されつつあります」(「靖國」令和6年6月)、令和6(2024)年4月22日、靖國神社春季例大祭當日祭における大塚海新宮司(元海上自衛隊海将)挨拶の一節である。
 「聖徳太子憲法」、「一万年以上前から根付いていた平和な文明」云々はご愛敬だが、明治政府による初の海外出兵「台湾出兵百五十周年」から語り始めるのは、いかにも「戦争神社」靖國の宮司挨拶らしい。

■幹部自衛官らの靖國汚染

 年頭より幹部自衛官らの靖國汚染を白日の下に曝す出来事が続く。
 1月9日、小林弘樹陸上幕僚副長(陸将)が自ら委員長を務める「航空事故調査委員会」の委員ら数十名の自衛隊幹部らと共に公用車を使用して(公用車の使用は3名)靖國神社を参拝した。時間休を取っての「私的行為」だと弁明するが、「私的行為に」公用車を使用はありえない。参拝に際しては陸自の担当部署が実施計画書を作成していた。こうした参拝は今回が初めてではないようだ。
 防衛省は、「宗教の礼拝所を部隊で参拝したり、隊員に参加を強制したりしてはならない」とした1974年の事務次官通達に抵触する可能性があるとして調査を開始した。
 2023年5月17日、海上自衛隊遠洋練習航海部隊の指揮を執る練習艦隊司令官・今野海将補以下、一般幹部候補生過程を終了した初級幹部等165名が、航海に先立ち靖國神社に「正式参拝」した(靖國神社社報『靖國』令和5年7月)。
 参拝した自衛官らは制服を着用し、官用バスを使用した。遠洋練習航海部隊幹部候補生らの靖國神社参拝はこの年だけではなかった。

■シビリアンコントロールの形骸化

 1月26日、防衛省は、小林陸幕副長らの参拝は私的行為であり前記通達に反しない、ただし、公用車の使用は不適切であったとし、小林副長ら3名を「訓戒」処分とした。身内に大甘な処分だ。
 海上自衛隊遠洋練習航海部隊員らの参拝について会見した酒井良海上幕僚長は、参拝は強制でなく「問題にしておらず、調査する方針はない」と述べる。「特攻志願」等、旧軍には「強制」の「語」なかった。自衛隊も旧軍の「伝統」を踏襲しているようだ。
 3月6日、三貝哲防衛省人事教育局長は「自衛官が制服着用して私的に参拝することに問題はなく事務次官通達に反しない」、「自衛官は自衛隊法などにより常時、制服を着用しなければならない」等々答弁。泣きたくなるような「制服組」に忖度した「背広組」の卑屈な態度だ。シビリアンコントロール(文民統制)が機能していないのではないか。

■問題は政教分離原則違反だけではない

 1月13日付朝日新聞社説は、「陸自靖国参拝 旧軍との『断絶』どこへ」と題し、「憲法が定める「政教分離」の原則に抵触するというだけではない。侵略戦争と植民地支配という戦前の『負の歴史』への反省を踏まえ、平和憲法の下で新たに組織された自衛隊の原点が風化しているのではないかと疑わせる振る舞いではないか。……この機会に、陸自にとどまらず、自衛隊全体として靖国神社との関係を徹底的に点検すべきだ」と述べる。
 そう、幹部自衛官の靖國神社参拝は単に「政教分離原則」に抵触するだけに留まらない。
 小泉純一郎首相〈当時〉は、靖國神社参拝を批判された際、日本国内で日本の首相が行けないところはどこもないと嘯き、伊勢神宮の参拝は批判されないのに、どうして靖國神社の参拝だけが批判されるのかと居直った。前段部分について「在日米軍基地にも自由に入れるのか」と突っ込みを入れたくもなるが、問題は後段部分だ。
 首相の伊勢神宮参拝も憲法20条の規定する政教分離原則に抵触する違憲な行為である。しかし、日本社会で首相の伊勢神宮参拝は靖國神社参拝ほどの批判を受けてはいない。もちろん韓国、中国等からの批判もない。批判したら内政干渉だ。
 首相らの靖国参拝には政教分離違反に留まらない重要な問題がある。首相ら公務員の伊勢神宮参拝は政教分離原則に抵触する違憲な行為だ。首相らの靖國神社参拝は政教分離原則違反に加え、戦争責任という歴史問題がある。靖國神社は「戦争神社」として、日本の敗戦後、解体の危機にさらされたが、「信教の自由」の保障(憲法第20条)によりかろうじてその存続が許された。

■靖國神社の歴史認識

 巷間、中国、韓国等からなされる首相らの靖國神社参拝批判に対し、戦没者らの追悼は、どこの国でもやっており、内政干渉だと反論する向きがある。これは中国、韓国等からの批判を正確に理解していない。
 毎年8月15日に行われる政府主催の全国戦没者追悼式を中国、韓国らが批判することはない。どこの国でもやっていることだからだ。中国、韓国らが批判するのは靖國神社参拝についてだ。それは何故か。
 A級戦犯合祀に象徴されるように靖國神社は現在もなお日本の近現代における戦争をすべて正しい戦争であったとする「聖戦史観」=大東亜戦争史観・アジア解放史観に拠って立つ。
 「聖戦史観」を可視化しているのが靖國神社付属の遊就館だ。そこでは、日本の近・現代史がつまみ食い的に改竄され展示されている。
 日本の近・現代におけるすべての戦争を正しい「聖戦」であったとする、世界に通用しない、また国内の歴代政権の公式見解に反する存在である靖國神社に、強力な殺傷兵器を装備し、対手の殲滅を目的とし、政治学では「暴力装置」〈マックス・ウエーバ―〉と称され、最も厳しく憲法、法令順守が求められる自衛隊という「実力組織」が組織的に参拝しているという事実こそ大問題だ。何故メディア、宗教者らは、政教分離原則違反だけでなくこのことについてこそ語らないのか。

■第32普通科連隊の大東亜戦争史観

 2024年4月5日、陸上自衛隊大宮(さいたま市)の第32普通科連隊の公式アカウントに「32連隊の隊員が大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊顕彰式において旗衛隊として参加しました。謹んで祖国のために尊い命を捧げた日米双方の英霊のご冥福をお祈りします」という投稿がなされた。
 「大東亜戦争」いう時、それは単に戦争の名称だけを言うのではない。日本の近代における戦争をすべて正しい戦争であったする「聖戦史観」、植民地支配を正当化する考え方だった。
 事の重大性を指摘された同連隊は、この「大東亜戦争」という記述を削除したが、削除によってこの問題が解決したというわけではない。2024年4月10日付朝日新聞の川柳欄に「日頃から使わにゃ出ない大東亜」と投稿があった。大東亜戦争と述べた前記公式アカウント投稿は、旧軍とは訣別して出発したはずの自衛隊が実は訣別していなかったことを明らかにした。
 2024年6月3日付琉球新報は沖縄駐屯の陸自15旅団HPに沖縄戦指揮者牛島司令官の辞世の句「秋待たで 枯れ行く島の、青草は 皇国の春に 甦らなむ」が掲載されていることが判明し、旧軍と自衛隊のつながりを示し、美化すると批判している。2024年6月6日付沖縄タイムスは、陸自幹部候補生学校で「沖縄作戦において日本軍が長期にわたり善戦敢闘しえた」と評価し、教育方針としていると報じている。

■将軍たちは去ったが参謀たちは残った

 敗戦時、海軍軍令部勤務の元海軍中佐が、特攻隊について書いた以下のような「見解」がある。
 「神風特別攻撃隊の奮戦の結果、連合国軍の進撃速度が鈍り、その間に、米軍機の空襲により、わが国の要地が重大な被害を蒙ったために、わが国民に心の準備ができ、わが政府が降伏を受諾したさいに、大なる混乱を起こさなかったことは不幸中の幸いであった。このことは恐らく特攻隊員たちが予測できなかったことであろう。こう考えてくると本土の防衛戦に伴うわが国民と連合国軍の将兵の膨大な数の生命を救ったことは、高く評価されるべきではなかろうか。見方によっては、神風特別攻撃隊は、あの当時としては、わが国民に最良の降伏の機会を与えたものと、見ることができよう」(『海軍特別攻撃隊 特攻と日本人』奥宮正武)。戦後、この人物は、航空自衛隊で航空自衛隊学校長、部隊長などを歴任し、空将となった。
 1945年の敗戦により旧軍の将軍たちは去ったが、参謀たちは残った。残った参謀(佐官クラス)たちが、自衛隊の幹部となり、本来相いれないはずである旧軍の聖戦史観=大東亜戦争史観・アジア解放史観と、この国の戦後の通奏低音となっている対米従属性を見事に「調和」させて自衛隊を生成、肥大化させてきた。

■大塚海夫元海将が靖國神社の宮司に

 2024年4月1日、大塚海夫元海上自衛隊海将が靖國神社の宮司に就任した。
 筆者は、年頭の幹部らの靖国参拝について、自衛隊と靖国の距離感の欠如への危惧を表明したが(『朝日新聞』2024年3月13日、「私の視点」)、幹部自衛官の靖國汚染の現実は想像を超えるものがあるようだ。
 大塚海夫元海将は「靖國」(令和6年2月)で語る。
 「国の為に散華された英霊の御心について深く考えるほどに、今日、日本が存在していられること自体、明治維新以降の英霊の尊い献身無くしてはあり得ないとの確信が、英霊に対する感謝の念を深めた」、「日本の『軍人魂』についてきちんと説明する必要が生じ、多くの外国人を靖國神社に連れて行った。どこの国の軍人でも、到着殿で宮司の説明を拝聴し、本殿で参拝すると、一様にその空気に圧倒され、畏怖の念を抱き、日本滞在で最高の経験だと口にするのが常であった。英霊に近い立場にある世界の軍人達は皆、靖國神社の意義をよく理解し、祖国のために命を捧げた英霊に最大限の敬意を表する。そこにはいわゆる『戦犯』への違和感はなかった。旧連合国軍人でさえ、『戦犯』が政治的犠牲者であることに理解を示した」。
 東京裁判否定が堂々と語られる。暁星小・中・高校、そして防衛大学卒、将官というこの「エリート」は、一体何を学んで来たのか。

■『陸軍将校たちの戦後史』との出会い

 この疑問は、立命館大学立命館アジア・日本研究所専門研究員角田燎著『陸軍将校たちの戦後史「陸軍の反省」から「歴史修正主義」への変容』(新曜社)を読んで氷解した。
 幹部自衛官らを靖國神社に繋いだのは戦後、旧陸軍軍人らによって結成された親睦組織「偕行社」だった。
 偕行社は、戦前、旧陸軍が政治を壟断したという反省を踏まえ、政治的中立性を謳い、同期の戦死者の追悼及び会員間の親睦互助を目的とした同窓会的な集まりであった。
 政治的中立性は多くの仲間を戦死させた若い期に強く、「陸軍の反省」も語られ、1980年代には「南京事件」の調査なども行われ、一定の範囲で捕虜虐殺の事実を認め、その背景には中国人に対する蔑視があったと謝罪もした(『偕行』1985年3月号)。当時の偕行社この調査結果を受け入れたが、後述するように、1990年代に入って歴史修正主義に接近するようになった偕行社はこの調査結果を否定するようになり、2012年8月号の『偕行』で正式に否定した。

■偕行社と靖國神社

 偕行社の政治的中立性は、靖國神社との関係では別であった。偕行社は、1971年総会で「靖国神社の英霊は、かってのわれわれの部下であり、同僚であり、上官であり、靖国神社の社頭で再会を期した戦友である。紙一重の差で幽明、境を異にして今日に至っている我々にとって片時も忘れることのできないのは靖国神社のことである」、「靖国神社を国家において護持し、本来の姿に返すことに努めるのは、われわれ生存将校の道義的責務である」(1971年偕行社総会決議、『偕行』1971年5月号)と「靖国神社国家護持」を満場一致で決議。靖國神社国家護持法案の推進活動を通じて偕行社と靖國神社との結びつきを強化した。

■偕行社と歴史修正主義との出会い

 1989年の冷戦終結を経て、90年代に入ると元日本軍慰安婦らによる告発などにより、日本社会でこれまで放置されて来ていた戦争責任・戦後責任問題等が語られるようになり、93年慰安婦問題に関する河野官房長官談話、同年8月細川首相の侵略行為と植民地支配に対する謝罪、95年村山首相談話等がなされた。他方でこれに対する反発として「つくる会」等歴史修正主義の動きも活発となった。
 もともと偕行社には、日本国憲法下の戦後を「東京裁判史観」として否定しようとする動きもあり、またその存在が正当に評価されていないと不満を持っていた自衛隊側にも歴史修正主義を歓迎する雰囲気があった。
 2009年『偕行』の題字下に「英霊に敬意を。日本に誇りを。」が記されるようになった。偕行社は歴史修正主義に接近し、戦死者の顕彰・追悼を通じてもともと親近感のあった靖國神社の大東亜戦争史観に回帰した。

■会員減少対策として自衛隊退職者の勧誘

 陸軍士官学校出身の旧陸軍の幹部及びその候補生によって構成された偕行社は物故による会員減少に対処するために退職した陸上自衛隊幹部を会員として入会させる道を選んだ。創成記の自衛隊には旧軍関係者らがおり、自衛隊側に偕行社に対する親近感があり、その延長上で靖國神社に対しても親近感があった。
 自衛隊側としても現職の自衛官としては発言できないようなことを偕行社に言ってもらいたいという希望があった。2001年元幹部自衛官の偕行社加入がなされた。

■幹部自衛官らはなぜ靖國神社が好きなのか

 岩田清文元陸上幕僚長は、「靖國」(令和5年11月第820号)で「自衛官は靖國に祀られるか」と題し、
 「昨年12月に関議決定した安全保障関連三文書においても、強い危機感が示され、戦争を抑止するための具体化が進んでいる。その中において、自衛官が戦死した場合の様々な処遇等を検討するとともに、死後における慰霊の在り方についても、静かに議論を深めていくべき時期である」、「明治以来、日本国は、国のため国民のために命を捧げた英霊を、靖國神社において永遠に慰霊し崇敬することとした。(略)当時、『死んで靖國で会おう』と、国の命令で戦地に赴いた方々には、明確に魂が戻る場所、精神的な拠り所があった」と語る。いつの時代にも軍隊組織には、国のための戦死者を「護国の英霊」として祀り、称える靖國神社のような顕彰装置(兵士再生産装置)が不可欠なのだ。
 先の戦争の性質いかんにかかわらず、国家は国民を戦争に駆り立てたのだから、「戦場ニ死シ、職域ニ殉ジ、非命ニ斃レタ」(終戦の詔勅)戦没者を国家が追悼するのは当然だ。しかし、その追悼の場が現在もなお聖戦史観に拠って立つ靖國神社であることが適切なのか。海没した兵士、餓死した兵士、非業無念の死を強いられた死者たちは、「大東亜共栄圏」の「虚構」の共犯者であり、今なおその「虚構」を維持し続けている靖國神社に神として祀られ、そこで追悼されることを望んでいるのだろうか。230万人の軍人・軍属だけでなく、80万人の民間人も含むすべての戦没者を対象とした無宗教の国立追悼施設の建設が望まれる。
 ただし、そこでは戦没者に対してはひたすら追悼あるのみであり、決して戦没者に感謝したり、称えたりしてはならない。感謝し、称えた瞬間に戦没者の政治利用が始まり、戦没者を生み出した者の責任があいまいにされる。

(言論空間 2024秋号)

*アイキャッチ画像は Wikimedia Commons より