専制政治か立憲か―民主主義再生 (2018年冬)
小林 正弥(千葉大学教授)
■明治維新から150年 日本の近代を問い直す
■戦前の闘う憲政の歴史復活
はじめに
今の日本の政治は専制化が進んでいる、きわめて危機的情勢です。
私は、今回の選挙で与党が勝ったら専制化の完成に向かうと指摘してきました。実際に与党が勝ったので、国会を空洞化する方向に進んでいくでしょう。露骨な専制政治への傾斜です。その点では分かり易い情勢になっています。
当然与党は3分の2を維持したので改憲をめざすという姿勢を鮮明にしています。来年、再来年には改憲の発議をする、あるいは国民投票に国政選挙をかぶせるという状況になっています。いよいよ最後の決戦の時を迎えようとしています。この中でどこまで対抗的な勢力ができるかどうか定かではありません。これが総選挙結果の「闇」の部分です。
他方で、これまでは民進党でしたが、下野して以降衰退して立ち直れませんでした。それは理念を明確に出来ない政党であったからです。党内では現実主義が優勢を保っていたのでできない状況であったと思います。
今回期せずして希望の党と立憲民主党に分かれたので、立憲民主党が純粋な理念を獲得する条件が生まれました。枝野氏を中心とした選挙戦で市民の支援が殺到し、ツイッターのフォロアーが自民党を超えるなど、結果として立憲民主党が躍進しました。このことに日本の新たな民主主義の高揚、草の根民主主義、参加民主主義のスタートが感じられます。これが総選挙結果の「光」の部分です。
専制化の完成に向かうベクトルと新しい民主主義に向かうベクトルが同時に現れていることが現情勢の特徴です。
新しい民主主義とはなにか
戦後日本の政治には民主主義は確かに形式的にはあったけれども、例えば米大統領選のように下から人々が感動して応援するという民主主義はありませんでした。市民と政党の関係では、市民の声が政党を動かすというところまではいかなかったのです。
この間安保法制の運動の経験を踏まえ、「デモと投票」の精神を生かし、総選挙運動の中で市民と野党勢力との協力は飛躍的に拡大し、新たな関係が実現したわけです。
このような市民の挑戦が成功すれば、アメリカが理想とする草の根デモクラシーのスタイルが日本で初めて実現するわけです。日本では革新自治体のレベルでは実現したことはありますが、それを国政では実現したことがありません。これを実現して国政全体をもう一度民主化し、民主主義を復活させるならば、今回の経験は日本の民主主義の草分けになります。戦後民主主義の弱さはGHQによって制度として実現した民主主義であって、自分たちの主体的力によって実現したわけではありませんから、その弱みがずっとつきまとっていました。この運動が成功して、政権を転覆して新たらしい政治の仕組み、体制をつくることができれば、初めて日本に下から民主主義が実現する一種の革命になる。私は立憲民主革命と言ってもいいのではないかと思います。そういうせめぎあいです。
私は安保法制の時点から戦前のような憲政擁護運動を実現すべきだ、そうした政治家が出てこないかと言ってきました。そこで総選挙前にも立憲民主党の結成を念頭において、憲政の神様といわれた尾崎行雄の語り掛けという形で呼びかけを書きました。
救憲と平和への結集
少し前になりますが、私は第一次安倍政権の時に「平和への結集」という運動を提起しました。安倍内閣の憲法改悪への政治に対抗して「平和への結集」を国政選挙での野党協力でめざそうというものでした。あの時は選挙協力には社共が応じないということで立ち往生しましたが、安倍内閣が倒れて運動は終了しました。
今度の安倍内閣で、まさに危惧した事態が起きている。どん詰まりですね。「救憲」という言葉を当時は使ったのですが、安保法が「成立」したことによって、もはや平和憲法は死にかけています。それを甦らせることを目指すべきでしょう。
かつて「平和への結集」という時に私は、社共だけではなく民主党も加えるべきだとの意見でしたが、その民主を入れるというときに民主の理念がしっかりしていない点が大きなデッドロックでした。
今日、共産党の姿勢は変わって野党共闘に舵を切っていますし、今回の総選挙では自発的に候補者を下したことは評価すべきことだと思っています。
民進党(民主党)の側も事実上分裂することで、理念として、立憲主義を明確に謳う立憲民主党が民進党分裂の中で絞り出され、誕生しました。あの時の社共と民主党の二つの壁が突破された、そうした状況です。二大政党制に代わる平和への結集を実現する現実的条件が整った。そう理解しています。
国政選挙の枠組みはどうなるか
現状では一強多弱体制ですから、一挙に二大政党制に戻れるわけではないので、二大政党制の夢をいったん捨てて、国政選挙、憲法・国民投票を射程にして、諸政党・諸政治勢力は「オリーブの木」の形の政治的な協力・連携を構想する必要があります。今考えるとほとんど元民主党関係者なので、その分、人的関係は濃くなっています。
立憲民主党は建党路線上、当面独自路線に進むとすれば、そのことを踏まえて、国政選挙での協力・棲み分けを進めるために、様々なレベルで協力体制をしっかり整え相互信頼を醸成することが重要です。
私は、安保法制が成立した後で、民主党(民進党)の再生に基づく共闘を、と主張しました。
当時共産党が国民連合政府構想を出したのでそれはとても実現できないと思い、民主党(民進党)の再生バージョンが軸になって、「オリーブの木」型の共闘を提唱しました。
たしか、民主党が維新の会と統合する前でした。民進党という名称になりましたが、私は、当時、民主党を意識して立憲民主党という名称を提言しました。民進党という政党名は何を理念として掲げるのか分かりません。いま、立憲民主党という政党名が人を引き付けている。大きな変化です。
今回の総選挙に際し、政党名が、仮に民主党に戻っていたら、恐らくこんな事態は起こらなかった気がします。立憲民主党という表現(=概念)が人々を引き付けた。多くの人々は立憲という言葉のなかに、立憲主義を思い出し、安保法制の時を思い出しました。立憲主義への信頼を感じたのです。
立憲の歴史と明治憲法
この立憲という概念は、明治以来の近代日本政治を考えてみると、憲法学者が立憲主義として考えていることよりもはるかに大きな意味を持っていると思います。
最近出版された『帝国と立憲』(坂野潤治著、筑摩書房)の中で、明治維新以来、帝国化の流れと立憲化の流れとの相克が描かれています。この中で明治以来の立憲の流れが示されています。
例えば立憲というときに何を思い出すかというと、まず、最初に明治初年に立憲政体の詔書(明治8年)が出されて、その後の日本の政治に大きなインパクトを与えました。もともとはconstitutional governmentが立憲政体と翻訳(加藤弘之)され、この言葉や立憲政治という言葉が憲政になったり、立憲になったりして、その後使われるようになったのです。政党名では立憲改進党、戦前の二大政党期には立憲政友会や立憲民政党があり、立憲が使われました。そういう中から、専制政府に反対して、議会を中心とした政治を作ろうとする運動が憲政擁護運動です。尾崎行雄や犬養毅などが「憲政の神様」と言われました。ですから政党名に立憲がついているのは「憲政」と表裏の関係になっています。
この立憲政体以来の日本の近代政治の意味は何かというと、幕末以来、憲法がなかった時代にあって、日本が西欧先進諸国などのように憲法体系をつくって政治を行うべきだという意味が一つある。だから明治8年に立憲政体樹立の詔書が出され、日本でも憲法体制をつくっていかなければならないという問題意識が生まれました。このプロセスの中に自由民権運動のインパクトがあり、福沢諭吉派の影響もあって、実際にどういう憲法をつくるかを考える中でイギリス派とドイツ派のせめぎあいがあり、ドイツモデルのものが伊藤博文を中心につくられました。そもそも憲法があるかないかから議論が始まって、次の段階で福沢派はイギリス的な議会中心の憲法体制をつくるべきだという議論・意見を出したのですが、保守的なドイツモデルが勝利したのです。でも、明治憲法ができた後も、政党は専制政府との駆け引きを進めながら、原敬などの立憲政友会が政党内閣を作るために大きな役割を果たしました。議会政治の形成のために立憲とか憲政という言葉を使ったわけですね。
つまり、明治憲法の下ですら議会を中心の国政運営をしていこうという流れがあり、憲法をつくり議会を中心とした政治を行うことが戦前の立憲政治、つまり立憲とか憲政の概念ですね。戦前の場合は民主主義とは言えないわけですから、それを憲政とか立憲といってきたわけです。
そこで、「憲政」とは「憲法に基づいて行う政治」「近代的議会制度の政治」といわれますが、戦前は天皇主権の欽定憲法でした。現実の政治の上では、藩閥政治などの専制政治や超然主義に対抗して、明治憲法の許す範囲で民主的な議会政治や政党政治を実現しようとする志向を含意していた。大正デモクラシーの理論家・吉野作造は、「憲政の本義」という有名な文章で憲政を主張し、民主主義とは言えないので民本主義を唱えました。いわば、最高法規としての憲法の限界に対して、政治的な憲政概念によって臨界点ぎりぎりまで迫り、軍部や専制政治と闘い、可能な限りにおいて民主政治を実現しようとする旗印が「憲政」であり、立憲であったのです(参考文献:『憲政の政治学』東京大学出版会)
立憲政治と立憲主義(憲法論)のズレ
戦後になると憲法が変わったので、そんなことは当たり前ということになります。
自民党ですら自由と民主を名乗っているので、憲政とか立憲ということは政党では使う必要がなくなった。憲政記念館がつくられ、尾崎行雄の銅像が建てられるようになったのです。
今、立憲という名を明示した政党が表れてきたのは現実政治で専制化が進み始めており、もう一回、戦後の議会政治が失われるという危機があるから、こうした政党名が登場するということで、議論の対抗軸が専制か議会ないし民主主義かということに、政治が回帰したことの表れですね。
例えば白熱教室でマイケル・サンデルなどが功利主義やリベラルとかコミュニタリアンとか論議している時は、常に自由と民主を前提としたうえでの対立を議論してきたわけです。日本の政治はそうした対立軸ではなくて、基本的に専制化か議会政治か、ないし専制化か自由民主主義かという根本的な対立に戻ってきた点を厳しく認識しておく必要があります。
憲法学者が立憲主義を使うときは近代憲法が前提になります。近代憲法があり、そのなかで憲法では人権を守ることを中心に置く、国家と個人の関係のなかで、人権を守るための憲法です。従って、権力を制約・抑制することが近代憲法の原理です。実際に安保法反対の時はそのような論理を憲法学者が主張し、相当なインパクトを持ちました。そういう意味で立憲主義という言葉が注目され、重要になり、今回の立憲民主党になった流れがあります。
同時に政党名として立憲という言葉が出たことは注目すべきことです。
戦前の憲法体制は天皇が作ったもの(欽定憲法)とされ天皇主権の考え方が強いので、国民主権の近代憲法ではなく、今の憲法とは違います。憲法学でいえば、戦前の立憲主義は外見的立憲主義といわれ、今の立憲主義と意味は違うのです。しかし、政治学でいえば、政党名として日本独特の立憲ということを考えた場合には、戦前からの議会政治の伝統を踏まえた立憲です。憲法学から考えると立憲主義は人権擁護が中心になりますが、政治学では政治、つまり議会や政党を中心として専制政府と対抗するというデモクラシーの要素がより一層強く出ます。
現在の政権の議会制を軽視する傾向に対する対抗的な考え方として立憲という考え方は非常に重要になりました。憲法学の考え方も必要と思いますが、それだけではなく政治の根幹として「専制 対 議会制ないしデモクラシー」の対抗であり、そのポイントを浮上させるために立憲民主党という政党名は効果的であったし、市民が感動した要点はそこにあったのでしょう。立憲民主党はそうした理念を明確にして、当面は独自の政党建設に向かうのがよいと思います。
例えば、民進党内の中のリベラル派が立憲民主党に行ったと評論され、立憲民主党のなかでもリベラル派の自覚があるようです。しかし、なるべくそのことを強調しないほうがよい。
なぜならリベラリズムとかリベラル派とかいう概念はアメリカの政治哲学用語やアメリアの政治勢力としてのリベラル、これが日本に影響を与えてきた概念だからです。左翼でもなく右翼でもなく、リベラル。自民党内でも加藤紘一さんのようなリベラルがいましたし、アメリカの民主党のイメージに影響を受けて日本でも民主党が作られたわけです。いわゆる改革派の流れですね。でも、アメリカ的なリベラル、改革派のイメージだけでは今日の日本の局面をのり超えられないと思っています。
政治の流れを見てもあの時の改革派が政治改革として推奨したのは二大政党制を実現するための選挙制度改革・小選挙区制の実現です。この流れが限界を迎えているという認識が重要です。アメリカのリベラルというと、そのリベラルの対立勢力は功利主義とかリバラリアンとかコミュニタリアンなどだったのですが、この論争は自由・民主が前提となった上での対立でした。
いま、日本で問われているのは自由・民主が損なわれている中での対立です。専制化と自由民主主義・議会制の根本的対立なので、その表現には横文字のリベラルではなく、明治以来の自由党や立憲改進党、立憲政友会・立憲民政党のように、自由民権のなかの自由とか民主などの表現を含む立憲自由民主主義が正しいのではないか。専制化に対抗する正統な担い手のイメージが膨らみます。
左の中の穏健なイメージのリベラルではないのです。「専制 対 自由民主主義・議会政治」の根本的な対立がここに現れているのです。総選挙で漫画家の小林よしのりのような右翼・保守の方でも立憲民主党の選挙応援演説をしたことは重要です。本来であれば、自民党の中の人でも心ある方が来ても当然です。
いま、議会政治が大事だとか自由民主主義が重要なのだと思う方がその担い手なのです。
自由民主主義を名乗る政党が自由民主主義や議会制を軽視し専制化に向かっているわけだから、自由民主主義を守る人々はこちらに来るのは当然だとの強いメッセージの呼びかけをして、保守政党というよりも右翼政党になってしまった自民党を支えている勢力をグラグラさせることが必要です。
日本人の多くは議会制や民主主義がなくなるということは思っていないので、国難といってもせいぜい北朝鮮の脅威にどう対応するか国防をどうするのかという話だと考えています。でも現実は議会が半年もほとんど開かれないとか議論もままならないということになっており、議会軽視、さらには実質的な議会政治がなくなる方向に進んでいます。これは専制政治ですね。これはたまらないと思う人々は多数います。憲法改正や国政選挙の時にこの認識をどこまで浸透させるか、顕在化させるかが重要ですね。自民党の改憲案では実際に自由主義が損なわれるような人権の制限が入っているのですが、憲法改正の発議の時にそのまま出してくるかどうかは別にして、この問題が一番重要です。
立憲民主の理念が大切
野党第一党の立憲民主党は、「立憲民主」の理念が重要なのです。野党結集などのときに政党名から立憲という言葉がなくなってはそのインパクトも消えてしまいます。
立憲民主党を軸にした連合、「立憲の枝」とでも呼べるような選挙連合を構想するのがよいだろうと思います。
その中心は、自由党も含めて元民主党の人々になるでしょうが、社民党や共産党とも選挙協力は必要です。明治以来の立憲政治の流れの正統な担い手として発展し、政権交代につながるように、この点を立憲民主党の中で強く論議してもらいたいと思います。
憲法学の立憲主義は人権擁護と権力の制約が中心ですから、政治や民主主義との関連は十分とらえられない点があります。
そこで憲法学の立憲主義も大事ですが、もっと大きな枠組みの中で、つまり、戦前戦後を通じた憲政の歴史の中での広い概念が立憲民主党の立憲なのだという自覚が必要だと思います。
立憲民主党という名前を名乗るならば、立憲政治の担い手という自覚を持って発展してほしいと思います。
総選挙での枝野さんのスピーチなどを聞いても、感覚的にはいいと思います。それでも、一般的には立憲というとつい憲法学的な立憲主義に行ってしまい、デモクラシーにつながりにくい。実際に盛り上がっているのはデモクラシーではないでしょうか。これが政治の流れでしょう。戦前の憲政の神様としての尾崎行雄の闘いに連なります。枝野幸男は尾崎行雄を意識して漢字は違うが、幸男(ゆきお)と名付けたといわれていますので、枝野幸男代表には憲政の申し子になってほしいですね。
(この報告は2017年10月30日、小林正弥さんにインタビューしたものを編集部の責任でまとめたものです)

(現代の理論2018冬号)
*アイキャッチ写真は衆議院ホームページより


