南彰 デス記者日誌(1)天皇退位-「静かな議論」という同調圧力 2017年春
◆ニックネームで呼ばれて◆
政治記者になって、まもなく9年。
敬愛する同業他社の記者から「デス記者」のニックネームで呼ばれている。
確かに、私が担当し、国会で見かけなくなった政治家の顔が次々と浮かぶ。
「総理にしたいナンバーワン」と言われながら、新党結成で失敗した舛添要一氏。
自民党が野党だった参院選で民主党に刺客を送り込まれた青木幹雄氏。
現職官房長官で初めて落選した藤村修氏。
大阪勤務時代にも、着任早々、橋下徹氏が慰安婦発言で躓き始め、大阪都構想の住民投票で敗れた。
いずれも魅力のある政治家だったが、政界を引退していった。鮮やかな転換でいまも国会周辺で影響力があるのは、選挙直前に「軽い脳梗塞」の診断を受け、長男にバトンタッチした青木氏ぐらいだろうか。いずれにしても、担当する政治家に警戒されるだけの困った愛称である。
◆ファクト・チェック◆
昨秋から特定の政党や政治家の担当を離れ、予算委員会など国会審議の報道を担当している。チェックの中心は安倍晋三首相だ。米大統領選で話題になった「ファクト・チェック」を日本の政治構造に導入し、審議に関連する取材メモにも目を通しているが、最近、政権側に対する記者会見の質問がぬるくなっているように感じている。
典型的だったのが、文部科学省の組織的な天下りが発覚し、当時の前川喜平事務次官が引責辞任した1月20日だ。
この日は閣議のある金曜日だった。文部科学相をはじめ、全閣僚の記者会見が行われる。ところが、どの記者会見でも大臣自身の出処進退を問う質問が出なかったのである。
前川氏が主導していたとはいえ、省ぐるみの不祥事だ。1998年に防衛庁調達実施本部の背任事件などの監督責任を負って額賀福志郎防衛庁長官(当時)が辞任した事例もある。しかも当時より「政治主導」の名のもと、政治の権限は強まっている。何でも責任をとって辞めればいいという話ではないが、記者会見の場は、権力者に反省や自戒、軌道修正を促す機能も担っているはずだ。
一昨年に大阪から国会周辺に戻ると、こんな口癖をよく聞くようになった。
「安倍政権は危機管理能力があるから」
「今回もまた、うまくかわすんじゃないの」
政治記者は「あるべき姿」の理想を持ちつつ、現実政治がどちらの方向に進むのかという筋読みのセンスを常に問われる。辞任する見通しがないのに、記者会見で辞任を問う質問をしていたら、浮いてしまわないだろうか。永田町はそんな空気を読み合う世界だ。
いま、この界隈を強く覆っているのは、「変わらないだろう」という諦念である。
◆「森友学園」答弁◆
そんな空気を断ち切るため、記者会見に臨む前には頭の時空を切りかえる。
「5年後、10年後の人が会見録を読み返したときに、『なんであの当時の記者はこんなことも聞かなかったのだろうか』と言われないだろうか」と。
記者会見の多くは、ネットで中継され、会見録やその動画は過去にさかのぼって見ることができるようになった。誰が何を質問していたのか、記者も歴史の検証にさらされている。
いま、不透明な国有地売却に端を発する大阪の学校法人「森友学園」の問題が噴き出し、安倍首相との関係性などの追及が続く国会審議の記事を連日執筆している。
「私だって、職を賭して答弁しているんですよ。まじめに聞いて下さいよ!」
しどろもどろの答弁に浴びせられた野党席からのヤジに口走った言葉が言葉が象徴するように、5年目に入った長期政権のなかで初めて首相自身が疑惑の矢面に立たされている。
◆無言の圧力◆
「共謀罪」の構成要件を変えた新法案や南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)、そして改憲勢力「3分の2」のなかでの憲法論議ーー。一つ一つが日本社会の岐路として刻まれる可能性がある国会だ。なかでも最大のテーマは、天皇陛下の退位を可能にする法整備である。
昨夏の参院選の直後、NHKの宮内庁担当のスクープに始まり、与党幹部が「憲法に違反しないか」と心配するほど異例の「お気持ち」表明という形で天皇陛下から投げかけられた。
天皇陛下自らの退位の話だけではなく、安定的な皇位継承策や、結婚適齢期を迎えている女性皇族の身分のあり方など、2006年の悠仁親王誕生以来、政治が積み残してきた多くの課題がさらされた。
昨秋の臨時国会で、自民党の安藤裕衆議院議員が衆院憲法審査会でこんな意見表明をした。「皇室典範は旧憲法のように国会ではなく皇室の方々でお決め頂き、国会はそれに従うという風に決めた方がいい」
自民党の当選2回生特有の発言で、結論を出すにあたっては、国民の代表である国会で幅広い議論が行われることが当然だと思っていた。
ところが、政府の有識者会議で「1代限りの退位」とする特例法の方向性が固まると、政府・与党幹部があるキーワードで口をそろえ始めた。
「静かな環境で議論する」
民進党幹部まで同調している姿を見て、「静かな」という語感が持つ無言の圧力が気になった。
「天皇の地位は国民の総意に基づく」という憲法の規定からして、皇室制度は党派に関係なく、幅広い合意や納得のもとで制度がつくられることが望ましいことは納得できる。とはいえ、だ。特例法で押し切ろうとする有識者会議の論点整理をもとに、法案提出前の与野党調整に乗り出した衆参両院の議長周辺からも「各党協議は意見が表に出ると落としどころがなくなるので、非公開にする」という意向が漏れてきた。一部の与党幹部は、法案提出後の委員会審議についても「やらないでさっと法案をあげればいい」とまで言っている。
退位の議事録を調べると、昭和天皇が高齢になった時には、国会で定期的に議論がかわされてきた。もちろん、第二次世界大戦の戦争責任を巡る昭和天皇に対する複雑な感情が投影されていた面もあったが、そうした議論は、今上天皇にも伝わり、「象徴天皇」としての姿を磨くことに寄与したのではないかと思う。密室で誰が何を議論したのかもわからず結論を導き、議事録にも残さないという国会の振る舞いは将来に禍根を残すと危惧した。
流れを変えるには、先に仕掛けるしかない。
◆先に仕掛ける◆
各党協議に先立って、1月16日にあった衆参正副議長の記者会見。1、2問、基本的なやりとりがあった後、「正副議長が国民の総意をつくりだすというところで努力されていることを理解はしているが…」と前置きをしたうえで、各党協議の公開性、国会の審議権や参考人からの意見聴取の機会をどのように確保していくのか、大島理衆院議長に尋ねた。
「静謐ということはそれぞれの解釈があると思う。透明性という問題について、静謐と透明性というのは、なかなかそこは技術的に難しいところはあろうかと思うが、いろいろな知恵と技を使いながら、静謐な形で進めたい。ある一定の時にはもちろん皆さんがたにご報告をしなければならないのであれば、この(衆参正副議長の)4者で協議してご報告をしていきたいと思っている」
しかし、一票の格差の問題を受けた衆院の選挙制度改革の各党協議の際には、議長も各党幹部もそれぞれ記者に会議内容をse梅井していた。
「今回は選挙の時のように説明をすることは念頭にはないのか」
大島議長は困惑した表情を一瞬浮かべ、「悪代官」の愛称を生んだ強面でこちらを凝視した。「まだそのことに関しては、そうするとかしないとか決めたわけではない。静謐ないろいろな技も必要かもしれませんね」
記者会見の内容を踏まえ、翌日の朝刊1面に「議論の公開性担保を」と求める解説記事を構え、その後、政治部全体で連携し、与野党幹部の記者会見でそれぞれの見解をただした。1月20日の国会召集日には、評論家の荻上チキさんに登場してもらい、「退位問題ワイワイ議論を」と見出しにうたったインタビュー記事を掲載する。「静かな議論」という形におしこめられそうになっていた国会議員や記者の頭を溶かしたかったからだ。
◆歴史検証の材料◆
その後、野党を中心に「公開性」を求める意見が相次ぎ、毎回の記者ブリーフや議事録の公開など、議論の透明性を意識した運営になった。ブラックボックス化は回避し、将来の歴史の検証に必要な一定の材料は残すことができるようになったと思う。
しかし、これは最低限の議論の土俵を整えたに過ぎない。
与野党協議や国会論戦が始まると、さっそく、産経新聞が逆方向の紙面を展開してきた。
衆院予算委員会で民進党の細野豪志代表代行が安倍首相と退位問題について質疑をすると、「早くも政争の具に利用」と政治面で展開する。続いて自民党内での議論不足を指摘する石破氏に対しては「ミスター・クレーマー」と揶揄する記事で矛先を向けた。
近年の皇室典範改正論議は、安倍首相らの皇室観が一つの壁になってきたが、細野氏以降、首相入りの予算委で皇室問題を取り上げる議員はいない。「静かな議論」という名のもと沈黙を強いていく言説。そこと戦っていかないといけない。
◆厳しく温かい監視◆
漫画「デスノート」では、名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノートを使って犯罪者を抹殺していく。
この日誌は、特定の政治家を敵視し葬り去ることは目指していない。ただ、「一強時代」といわれるなかで知らぬ間に、組織ジャーナリズムの心に巣くう病を自分自身の肝に銘じるために、つづろうと思った。
脱稿寸前に、首相番の記者から安倍首相の動静を伝えるメールが届いた。
「1905 赤坂飯店。内閣記者会キャップ懇」
瞬く間に、ヤフーニュースで話題のトップに躍り出ている。
「安倍首相がメディアと会食した『赤坂飯店』がトレンドランキングで1位に!森友学園を巡って報道規制との噂」ーー。
国民とメディアの分断を狙ってセットされた懇談かもしれないが、もはや森友問題の報道は止まらない。厳しく温かい監視は組織ジャーナリズムに渇を入れている。
《南彰プロフィール》
1979年生まれ。
2002年朝日新聞社入社。仙台、千葉総局を経て、2008年から政治部。
青木幹雄氏の担当時代に出雲の政治風土をつづったルポ「探訪保守」を執筆した。
2013年~15年は大阪で大阪都構想の住民投票に突き進んだ橋下徹氏を取材、共著「ルポ・橋下徹」を出版。
2023年10月、朝日新聞社退社。現、琉球新報編集委員。


