【特集】憲法改正国民投票を考える 国民投票で現憲法の継続を 2017年秋
山田 勝(本誌編集長)
憲法改正国民投票は二つの問題領域から構成される。第一は憲法改正の内容―主として9条をめぐる問題群とその論議。第二は改正手続きとしての国民投票をめぐる問題群とその論議である。戦後日本の改憲論議と憲法理論はその大半が第一の領域に限られてきた。
憲法改正国民投票が現実の政治日程に上ることを想定していかなったからである。
何よりも改憲勢力が衆参両院で3分の2を占めることがなかったし、また、長きにわたって、解釈改憲という日本的手法で少しずつ憲法9条規範と自衛隊の存在とのズレた違憲の距離が、現状追認の積み重ねで極小化してきた。
戦後の歴史を見ると、憲法を政治や運動の道しるべとして基本的人権の擁護・男女平等の闘いや労働三権の確立、最低限度の生活を保障させる闘いが展開されてきた。憲法9条を含めて、憲法の理念は戦後体制の価値規範として自由、人権、民主主義、平和として、革新層という枠を超えて広く保守層も含めて日本社会の中に広く定着した。ここには根本法としての憲法の規範力が今なお生命力があると多くの国民が理解しており、政治的な常識として定着してきた。明文改正という“飛躍”を想定する必要がなかった。ここにはいろいろな意味で戦後の歴史の重みがある。
■戦後レジーム支える憲法理念
安倍首相は5月3日のメッセージにおいて2020年新憲法の施行と語っているが、国民投票には一言も言及していない。国政上は奇怪な言説であるが、首相にとっては当たり前のことだからだ。国民主権は現憲法の原理であり、公的な事柄に関与する人々にとっては常識的な言葉であるが、国民自身は日本の戦後史を見ても、国民主権を選挙権の範囲でしか使ったことがない。それ以外の教育を受けたこともない。一般の法律と区別されて、憲法改正は特別の意義を与えられていることに起因した改正手続きとして国民投票があるという理解はほとんどない。つまり、憲法改正という特別に重要な出来事に対応した、国民主権の発動としての国民投票という概念上の理解はほとんどない。安倍首相にとっては単なる手続きの一部であるからだ。
そもそも、現憲法は大日本帝国憲法(明治憲法)の改正手続きに従って1947年5月成立した。現憲法成立過程において、「主権者国民」は国政の舞台に登場しなかったという日本的特質を持っている。安倍首相を支える復古的勢力では占領下の憲法は無効であるから明治憲法が復活するという愚劣な憲法論が幅を利かせている。彼らにとって、国家統治の根本法である憲法は主権者国民が制定するものだという思想も発想もない。
他方で、戦後憲法論の主流は「8月法的革命説」をベースにした憲法理論で現憲法を擁護し続けてきた。天皇主権から国民主権への転換・断絶を敗戦とポツダム宣言無条件受諾によって正統化してきた。連合国占領軍当局は国民投票による承認案をもったが、日本政府サイドは国民投票による明治憲法改正の承認には一顧だにすることもなかった。だから、明治憲法の改正手続きと法的革命としての憲法制定との間にある齟齬には目をつむったといえよう。結果として憲法改正手続きの領域は封印されたまま今日に至っていると思われる。
読者はプレビシットという言葉をご存知だろうか。
■国民投票はタブーですか
9条自衛隊加憲の憲法改悪に反対する勢力の大半はいまだ憲法改正の国民投票を迎える思想的準備はほとんどない。憲法改正国民投票は事実上タブーの領域になっている。無残な現状である。
そこには第二次世界大戦の歴史的経験の教訓が深く影響している。特にドイツのファシズムへの敗北の教訓として直接民主主義=国民投票の封印で戦後ドイツの再生を果たしてきたことへの称賛がある。ドイツ国家と国民の戦争責任の取り方が日本国家と国民の取り方との違いを理解すればするほど、戦後のドイツの敗北の教訓とそれを戦後体制の中で具体化してきたことへの強い共感がある。
しかも、冷戦後の現代世界で、既成政党の混迷と議会政治の機能不全の中で、民意が政治に反映されないという状況がグローバルに広がっている。この局面で極右的排外的ポピュリズムの台頭があり、独裁型の政治、強い指導者を擁する勢力が国民投票を利用する形で成長してきたことへの危機感が強く存在する。この結果、国民投票という直接民主主義への疑念が広がり、民主主義の危機が一段と深まっている。
ネット上の辞書によればプレビシット(Plebiscite)制とは国民投票のことだが、国民の意思を問うためではなく、時の権力担当者(政治家)が自己の地位や権限を強化する目的や役割をもって行う国民投票制度のことと説明されている。
ひたらたく言えば、国民投票は二つの意味があり、直接民主制の一形態であるが、同じ国民投票の形式を利用した独裁者の道具である場合、ということだ。ギリシャ・ローマ以来歴史上の多くの経験では国民投票はこのプレビシットの場合が多いといわれる。つまり国民投票には否定的な判断である。
■国民投票で安倍加憲にNO
安倍政治の特徴は「非立憲」という政治の座標軸を立てたことにあり、保守政治の路線転換ではないかと私は思っている。振り返ってみると、60年安保闘争後岸内閣から池田内閣へ交代した。この交代は保守政治の路線転換であり、「日米安保基軸、軽武装、高成長」の保守本流の時代が始まった。安倍政治は「岸から池田」への流れにたとえると「池田から岸」へと逆転させる保守政治の路線転換であり、ここに安倍政治の歴史的位置があるのではないだろうか。
2014年7月1日安倍内閣は歴代自民党の9条解釈を変更し、政治の局面は解釈改憲断行・安保法制の成立で新たに始まり、9条加憲明文改憲に至る大きな変動期である。
憲法改正国民投票とは、国民主権という基準で見れば、1947年現憲法成立過程ではできなかった「主権者の登場と選択」で、現憲法を選択し直す闘いである。憲法改正であると同時に憲法を再定義する闘いである。戦後体制を持続させる闘いは、憲法改正国民投票を避けてはならない。憲法改正権の行使で安倍加憲NOを突きつければ、軍拡国家日本の選択は極めて困難になる。自衛隊の無条件無制限の参戦は限りなく小さくなる。平和の比重が増大し、そのための新たな闘いと国民の献身が必要とされる。国民投票が現実に行われるかどうかは現時点で明確ではない。それでも国民投票で安倍自衛隊加憲を葬り、憲法再定義ということは十分可能である。それとも私の見果てぬ夢であろうか。
(現代の理論 2017秋号)
*アイキャッチ写真は衆議院ホームページより

