「社会党バネ理論」の大罪 2019年冬 現代の非理論(4)

松本 仁一(ジャーナリスト・元朝日新聞編集委員)

 1979年10月の衆院総選挙は面白い選挙だった。
 「40年も昔の話を、何で今さら」という方もおられようが、まあまあ。新聞各紙の「自民圧勝」という予測が大外れし、自民党が大敗けした選挙だったのだから。
 なぜ圧勝のはずの自民党が大敗したのか。なぜ新聞各社の予測調査が外れたのか。そこから、戦後日本の「形だけ民主主義」の真の姿が見えてくる。

 79年の第35回衆院選は、自民党が安定過半数の271議席をうかがう勢いだった。安定過半数というのは、衆院のすべての委員会で自民党が過半数を占めることができる状態のことだ。まだ日本が多党化する前の時代、自社対立の真っ最中だった。
 自民党の総裁は大平正芳、社会党委員長は飛鳥田一雄。大平は前年の78年12月、前首相の福田赳夫を破って総裁に就いており、飛鳥田は77年、成田知巳委員長退任を受け、横浜市長を辞めて就任していた。
 79年は結構いろいろなことがあった年だ。1月には江川卓が電撃トレードで巨人に入団。初の共通一次試験が行われ、3月には米スリーマイル島原発がメルトダウン事故を起こす。ソニーがウォークマンを発売した。ジュディ・オングの「魅せられて」がレコード大賞に選ばれ、さだまさしの「関白宣言」が議論を呼ぶ。第二次石油ショックはあったものの、給料は永遠に右肩上がりしていくものだという感覚が社会を支配していた。

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 解散時の勢力は以下の通りだ。

 自民249。社会117。公明56。民社28。共産19。

 投票日前日の10月6日に各新聞社が情勢調査を掲載した。各紙の予測は自民圧勝でほぼ並んだ。たとえば朝日新聞はこんなぐあいだ。

 自民270±10。社会102±9。公明46±6。民社31±5。共産29±6。

 自民党の圧勝・社会党の大敗、という見通しである。ところが開票結果は、そんな予測を吹っ飛ばしてしまった。

 自民248。社会107。公明58。民社36。共産41。

 自民の大敗である。社会はなんとか持ちこたえ、共産は大勝利だった。
 自民党はその後、無所属当選者を公認して253議席とし、かろうじて解散前議席に上積みしたが、安定過半数どころの話ではなかった。自民党は、一般消費税の導入を断念するなど大型の政策を変更せざるを得ない状況に追い込まれる。大平首相は翌80年、在職中に急死してしまった。
 自民党の予想外の大敗。敗因は何だったのか。
 政治評論家や識者はそれを「ロッキード事件がまだ尾を引いているため」「政権譲渡の福田・大平密約に有権者が怒ったから」などと分析した。
 一方、社会党の予想外の健闘。それについてはユニークな解説が現れた。東大政治学のS教授による「社会党バネの理論」だ。
 ――日本の有権者はバランス感覚が優れている。自民党が増長すると、それを抑制するため社会党に投票する方向でバネが働き、バランスを取ろうとする……。
 そんな内容である。

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 ところが、誰にも予想外だったこの選挙結果を、事前に見通していた人物がいた。
 朝日新聞の石川真澄・編集委員だ。朝日新聞の世論調査が自民大勝の予測を報じている同じ日の紙面で、彼は「自民党は苦戦するだろう」と書いたのである。
 石川氏は選挙前、1947年の戦後第一回以来の参院選挙の棄権率をグラフにしてみた。すると、棄権率のきわめて高い年が12年ごとに現れることに気が付いた。その年はいずれも亥年で、4月に統一地方選が行われている。
 統一地方選は4年に1回だ。参院議員の任期は6年だが、3年ごとに半数が改選されるので、参院選は3年に1回である。それが重なる年は12年に一回。それは1947年の第1回参院選いらい必ず、十二支の亥の年、イノシシ年になるのである。
 自民党の国会議員の選挙で手足となって動くのは、市町村会議員や県会議員などの地方議員だ。彼らがこまめに選挙区を回り、自民党候補者への投票を依頼し、何回もその確認をし、投票日には有権者を投票所に動員する。そしてそれが彼ら自身の地盤固めにもつながる。
 ところが亥年には、4月に当の地方議員自身の選挙がある。彼らは自分の選挙に力を使い果たしてしまう。選挙違反で捕まった者もいる。その後の参院選に取り組む力はとても残っていない。参院選で有権者を動員する行動は鈍くなる。
 したがってこうした地方議員の影響下にあった有権者は、参院選では投票所に行かない。自民党の得票率は必然的に低下するのである。
 事実、亥年でない年の参院選で、自民党支持層の棄権率が30~35パーセントであるのに対し、亥年では45パーセントにも達している。
 一方、労組という組織票がある社会党は棄権率が小さい。したがって社会党は前回に比べて得票が大きく下がることはない。前回と同じ得票であっても、対立する自民党が落ち込むために相対的に浮上する。それが選挙での勝利につながる。
 石川氏はそれを「亥年現象」と名付けた。
 79年には4月に統一地方選が行われている。彼は「亥年現象」が衆院選にも当てはまるのではないかと考え、こまめに各地の自民党選挙事務所を回ってみた。すると案の定、投票率が低そうだとの懸念が軒並み広まっていた。
 石川氏は「参院選では投票率の激減が自民党の議席減にいつも連動していた」(79年10月6日朝日新聞)と書き、自民党の敗北を予測したのである。
 のちに石川氏と話していて「亥年理論」と口にしたことがある。すると彼は「いや、亥年現象だよ、ゲンショーだ」と訂正した。
 「組織をバックにした社会党という対立政党があり、自民党が地方議員に依存しているから起きる現象なんだ。そうした条件が変わったらどうなるか分からない。だから理論なんかじゃない、現象にすぎない」

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 いっぽう「社会党バネの理論」の主旨は「自民党の勢力増大に対する有権者の危機感が選挙に反映する」ということである。
 もしそれを理論化しようというのであれは、その前提である「有権者の危機感」と「投票動向」に関して綿密な調査をしていなければならない。同時に「権力が増長すると必ずカウンターバランスが働く」という過去のケースを集めて実証をする必要がある。科学の鉄則である「仮説と証明」。社会科学としては当然なされるべきことだ。
 しかし「社会党バネの理論」の仮説について、そんな調査や実証が行われたという話は聞いていない。「前からそういわれていた」というていどの話である。
 となるとそれは「理論」なんかではない。根拠がないのだから「見方」または「希望的観測」、あるいは「憶測」にすぎない。そんなフワフワした話が検証されることもなく、東大の偉い先生が「理論」として唱え、それがマスコミ受けしたために一人歩きを始めてしまった。
 「社会党バネの理論」は革新側に悪影響を与えた。
 社会党は「そんな都合のいいことが起きるなら努力する必要はあるまい」とあぐらをかく。リベラル派知識層は「日本の有権者は健全だ」と警戒心を解く。学者のいい加減な理論が世に流れたために、左派とリベラルの全体がゆるんでしまったのである。
 その結果がいまの惨状だ。わが国にこれほどウヨクがはびこる状況を、誰が予想しただろう。しかもその多くが若者なのだ。根拠のないフワフワ理論をしたり顔で唱えた人たちは、こうした結果に大きな責任がある。
 さて、今年は参院選の年である。しかも亥年だ。
自民党はいる。しかし社会党はいない。さあ、どんな現象が起きるだろう。石川氏に聞きたいところだが、彼は2004年、74歳で亡くなってしまった。残念なことだ。

■まつもと・じんいち
 ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員。 1942年長野県生まれ。68年朝日新聞社入社。ナイロビ支局長、中東アフリカ総局長(カイロ)などを経て編集委員。2008年に退社後はフリージャーナリストとして活動。中東報道でボーン上田国際記者賞、連載「アフリカで寝る」で日本エッセイストクラブ賞、「カラシニコフ」で日本記者クラブ賞、「プロメテウスの罠」で新聞協会賞などを受賞。著書に『アフリカ・レポート』(岩波新書)『カラシニコフ』(朝日文庫)『アフリカを食べる・アフリカで寝る』(同)などがある。 

(現代の理論 2019冬号)