EUの大量難民―イタリアの現状から 難民庇護と負担増に揺れるイタリア政治 2020年冬

内藤光博(専修大学法学部教授)

 

2015年ヨーロッパ難民危機

 シリアでは、2011年3月以降に起きた内戦により22万人以上が死亡し、人口2200万人のうち400万人以上が国外で難民生活を送っているといわれている(国連難民高等弁務官事務所=UNHCRによる)。これに対し、欧米では数千から数万人単位の難民受入れが議論されていた。ところが、2015年には、トルコやレバノンなど周辺国を経てドイツ、オーストリアなどの欧州諸国へと向かうシリア難民が急増し、これを契機として、他の中東諸国や北アフリカ諸国などから100万人にも及ぶ大量の難民がEUを目指す事態となった。EU諸国は大きな政治的・社会的混乱に陥った。いわゆる2015年ヨーロッパ難民危機( European refugee crisis)である。
 そのような中、2015年9月2日、一枚の写真が世界を駆け巡った。家族とともに故国シリアでの内戦を逃れようとして、トルコの海岸に打ち上げられた3歳児のシリア人難民アラン・クルディ君の遺体である。   
 この衝撃的な写真を見たイタリアのマテオ・レンツィ首相(当時)は、「映像を見ると胸が締め付けられる。すべての人々を救助するという欧州の理想を取り戻す必要がある。」と語り、ドイツのアンゲラ・メルケル首相も「政治的庇護に対する権利は、庇護希求者に対する上限を設けてはいない」と語り、難問問題の解決に向け、意欲を示した。
 さらに、同月23日には、EU法務・内務閣僚理事会が、緊急に他のEU加盟国に均衡をとって難民の引き受け数を割り当てる「緊急再定住措置」として、イタリアとギリシャに集中していた16万人の難民申請者のEU各加盟国への割り当てを提案したが、東欧・中欧加盟国の反発により頓挫した。こうした事態に、ドナルド・トゥスク欧州理事会議長(EU大統領)は、「さらに危険な状況に立ち至ったとき、欧州の政治状況に地殻変動をもたらしかねない」として、EU瓦解への懸念を示した。
 ヨーロッパは、2017年末の時点で520万人の難民が存在すると言われている(うち390万人はトルコ)。2019年の段階でも、数は減ってはいるものの、アラン・クルディ君事件のような「危険な密航」は続いている。
 ヨーロッを目指す難民の多くは、シリア、アフガン、イラクなど、生命の危険がある戦争や紛争を逃れてきた人たちである。ヨーロッパ諸国、とくにEU加盟国は、難民条約に加入しているのであるから、難民を保護する義務があるのだが、難民が流入する国では、国民世論の中に、自国の経済情勢や労働環境に与える影響に対する大きな懸念から、難民流入に脅威をいだき、難民の無制約な受入れに大きな拒絶観がある。こうした背景から、難民たちは、受入れ先での対立と緊張を生み、人種差別や難民排除の攻撃など、偏見と差別に苦しんでいるのが実情である。
 また、多くの難民は地中海を渡ってヨーロッパにやってくるため、イタリアやギリシャ、スペインなど地中海に面した国の負担が重くなるなど、一部の国に負担が偏りがちである。このことから、難民問題によって、EU加盟国間に大きな軋轢が生じており、ひいてはEUに亀裂が入りかねない大問題となっている。
 本稿では、2015年ヨーロッパ難民危機以降のイタリアの難民受入れについての動きに焦点を当て、EUで最大の政治・社会・経済問題となっている難民問題について考えたい。

難民条約による難民保護の原則

 歴史的に見ると、どの時代も「難民」は存在していた。しかし、「難民問題」が「国際問題」として注目されるようになったのは、 ロシア革命やオスマン帝国の崩壊などで難民が急増した第一次世界大戦以降のことである。第二次世界大戦中にはホロコーストによるユダヤ人難民問題が、大戦後現在に至るまでには、南北問題(貧困問題)や東西冷戦終結による多くの政治的・経済的難民が出現して、国際問題と認識されるに至った。
 現在、世界中には、約7080万人の難民がいると言われている(UNHCR Global Trends 2018による)。
 難民を国際的に保護する国際的枠組みとして、第二次大戦後の1950年に、難民の国際的保護のためにUNHCRが設立され、1951年には難民条約(Convention Relating to the Status of Refugees)が締結された。
 難民条約第1条A(2)によると、難民とは次のように定義されている。
 「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」
 つまり、難民とは、戦争や紛争、あるいは人権侵害などから自らの生命を守るために、やむなく母国から避難(refuge)せざるをえない人たちといえる。
 難民条約では、様々な難民の権利に関する諸原則が定められているが、その中でも特に重要なものは次の二つの原則だ。
 第1に、ノン・ルフルマンの原則である。これは、難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させたりしてはいけないというものだ(条約33条)。
第2には、「不法入国難民不処罰の原則」である。これは、庇護申請国へ不法入国しまた不法にいることを理由として、難民を罰してはいけないという原則である(条約31条)。
 いずれも、難民に保護を与え、生命の安全を保障するための最も重要な原則である。
 こうした難民条約による難民の保護を行う国際機関としてUNHCRがある。UNHCRは、難民の法的保護に加え、難民キャンプの設置と運営など物質的援助を行う権限が与えられている。

EUにおける難民保護法の枠組み―シェンゲン法体系

 こうした難民条約の枠組みに呼応して、1985年6月14日、欧州経済共同体加盟10カ国のうちのベルギー、フランス、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツの5カ国により、ルクセンブルクのシェンゲン付近を流れるモーゼル川に投錨していたプランセス・マリー=アストリ号において署名されたたシェンゲン協定(Schengen Agreements)、さらにその5年後の1990年に署名されたシェンゲン協定施行協定により、シェンゲン法体系が確立し、協定参加国の間で国境検査を撤廃することが決められた。
 そして、1997年のアムステルダム条約で、シェンゲン法体系がEU法の中に組み入れられ、EU加盟国の国境撤廃による「移動の自由促進」と「シェンゲン域外の国境管理」が形づけられることとなった。
 さらに、EUにおける難民保護政策に重要な柱となっているのが、「ヨーロッパ共通庇護制度(Common European Asylum System: CEAS)」である。これは、1999年のアムステルダム条約、シェンゲン法体系とともに、EU加盟国間の難民の受入れの不均衡を是正し、庇護の負担分担の平準化を図ること、また、EU加盟国間の庇護基準の相当な違いを払拭し保護レベルを同一にするために構築された難民救済制度であり、各加盟国が最低限果たすべき義務を取り決めている。
 その中心となっている規程が、庇護審査をどの国で行うかの手続規則を定めている2013年のダブリン規則(1990年ダブリン条約が前身、2003年採択、2013年改定)である。これによると、原則的には、難民申請を行う者は、最初に入国したEU加盟国において申請を行い、難民審査が行われる。

イタリア法に見る難民の権利保障と保護

 1948年に制定された現行イタリア共和国憲法第10条は、「外国人の法的地位は、国際法規および国際条約に従い、法律によって規律される」(2項)、「イタリア憲法が保障する民主的自由の実効的な行使を自国において妨げられている外国人は、法律が定める条件に従って、共和国の領土内における庇護を求める権利を有する」(3項)と規定し、外国人の法的地位と難民の庇護権の保障を、基本原理の一つとして保障している。
 これを受けて1950年には「外国人の取扱いに関する統一法」(外国人法)を制定するとともに、1954年には「難民条約」の批准にともなう「外国人法」の改正により難民の取扱いと権利保障を規定した。
 さらに、1998年には、委任立法286号「移民に関する規則及び外国人の取り扱いに関する統一規則」改正法により、「難民の地位に関する中央委員会」を設置し、難民条約、ヨーロッパ人権条約、およびヨーロッパ共通庇護制度を基準とする難民(庇護)申請者に対する権利保障を、政府に義務づけている。

イタリアにおける難民排除の極右・中道右派政権誕生

 このようにイタリアでは、憲法と難民保護の法体系により、難民には手厚い権利保障と保護を与えている。
 しかし、冷戦終結以降、徐々に、難民政策には厳格化が図られてきた。2002年には、中道右派のベルルスコーニ内閣が、外国人犯罪の増加・不法滞在者の増加・地理的環境(海に囲まれている)による難民増加を理由に、事前に就業許可を有しない者の入国を認めないこと、難民認定(庇護)申請中の者で違法に入国した者を全員一時収容所に収容すること、滞在許可証明用に指紋押捺を行うこと、国外退去処分を強化すること(国境まで警察が連行)などを内容とする「ボッシ・フィーニ法」を制定し、難民受入れの厳格化を図った。
 さらに、2015年ヨーロッパ難民危機により、国内の世論は難民受入れに批判的な論調や移民排除への要求が強まった。2018年3月の総選挙では、反移民・反難民を主張する極右政党「同盟」のマッテオ・サルヴィーニ率いる中道右派連合が第一党を占め、ルイージ・ディ・マイオ率いるポピュリズム政党「五つ星運動」とともに、政党に属さない法学者のジュゼッペ・コンテを首相として、事実上サルヴィーニが実権を担う連立政権(第一次コンテ内閣)を樹立した(サルヴィーニは内相)。
 同政権は、2018年6月、リビアからの難民救助船(エトルリア・ガーナ・ナイジェリア・スーダン人629名が乗船し、うち123名が未成年者、11名が幼児、7名が妊娠中の女性)の寄港を拒否した。さらに「我々はイタリアの尊厳とプライドを取り戻す。国境管理を強化して、イタリアをヨーロッパの難民キャンプにはしない」(サルヴィーニ)として、「緊急再定住措置」の実施を要求(イタリアは4年間で65万人以上の移民難民を受入)した。
 こうした難民受入れ厳格化の政策は、「人道危機に直面している人々に冷たく無責任」(フランス大統領府報道官)、「非常に懸念している。各国は国際法に準拠した移民・難民政策をとるべき」(グテーレス国連事務局長)、「ヨーロッパ各国で人道を重んじる考え方が失われている。」(国境なき医師団マルコ・ベルトット氏)などと、国際的に大きな非難にさらされた。 
 しかし、2019年8月上旬には、サルヴィーニ率いる「同盟」が、「五つ星運動」との連立解消を主張して内閣不信任案を提出したのに対し、コンテ首相が同20日に辞表を提出したことにより、政権は瓦解した。その後政局の混迷が続いたが、9月5日に「五つ星運動」と中道左派「民主党」の連立合意に基づく第二次コンテ内閣が発足した。
 民主党が政権に加わったことにより穏健な中道左派政権となった第二次コンテ政権のもと、9月18日には、コンテ首相は、フランスのマクロン大統領と会談し、EUの移民・難民政策を改革していくことで一致した。現状では、イタリアなど一部の国に移民・難民の流入が偏っており、EU全体で公平な移民・難民の受入れ政策の立案に向けて協議を急ぐことで合意をみた。
 前述のように、EUの難民受入れルールを決めている「ダブリン規則」では、難民申請希望者については、最初に入国した国に難民申請の受け付けや管理を義務づけている。多くの難民は、地中海を渡ってヨーロッパに入るため、イタリア、ギリシャ、スペインなど地中海に面した国々の負担が重くなっていることは疑いない。その意味で、最初に入国した国に難民審査を義務づけるダブリン規則は機能不全に陥ったといってよい。イタリアのように難民申請者の集中する国が、EU加盟国間における難民受入れ数の公平な分担を求めることにも頷ける。難民受入数が減少することで、難民に対する対応の厳格化が緩和されることが期待できるからである。
 EUは、今ダブリン規則の見直しが迫られている。

日本国家は難民問題に冷酷

 これまで見てきてわかったことは、難民問題は単なる政策の問題ではなく、重大な人権問題であるということである。さらに重大な点は、 冒頭のシリア人難民アラン・クルディ君事件に象徴されるように、難民問題は「子どもの人権問題」でもある点だ。
 本稿では触れることができなかったが、難民問題の背後には、人身売買や労働力搾取が横行しているといわれている。こうした難民に対する「暴力」は、避難先でも起こっているとし、人種差別や偏見などに裏打ちされたあらゆる虐待、そして満足な衣食住が与えられず「絶対的貧困状況」が恒常化する。こうした「暴力的構造」の最大の被害者は、最も弱い立場にある子どもたちであることは明らかである。
 さらに、難民問題は、日本の問題でもある。日本政府の難民政策は非常に厳格である。難民認定率は0・1%と低い上、入管における対応に人権侵害があるとの指摘もある。
 私たちは、難民問題が重大な人権問題である点を充分に認識し、日本における難民問題に重大な関心を払いつつ、人間の尊厳という視点から深く考察する必要がある。

(現代の理論 2020冬号)