選挙の教訓を活かし立憲主義の豊かさへ 立憲民主党はシステム変革へ積極的姿勢を
小林 正弥(千葉大教授)
歴史を振り返りながら
少し歴史を振り返りながらお話しますと、私は「平和への結集運動」(注・2006年「平和への結集」をめざす市民の風)を提唱し、その段階まで立ち戻ってみると、あの時の政治構想がようやく実現したわけですね。あの段階で共産、社民に働きかけて、市民の声を聞いた結集候補の実現を働きかけたわけです。あれから15年経ちますかね。今回、立憲・共産などの野党の選挙協力がなかった場合を考えると、想像するだけで恐ろしい結果になっていたことが分かると思うのです。逆にいえば辛うじて野党の選挙協力ができたことによって、まだこのくらいの結果にとどまったということは確かです。翻って見れば、われわれが「平和への結集」を呼びかけた理由や意義がようやく野党の人々、市民の方々に広く受け入れられたということです。共産党執行部の姿勢がガラッと変わったこともあり、立憲民主党の誕生もあり、さまざまな人々の努力と献身でこれが実現できたわけだから、この変化は素晴らしいと私は思っています。今回、市民連合の人たちが媒介する形で野党共闘ができたわけですから、その人たちの努力も非常に大きい。私自身は直接かかわってはいないのですが、その貢献を称えたいと思います。やはり理念とか、根本的な戦略を、実際に実現するのには10~15年くらいかかるのだな、と思いますね。
小選挙区では市民・野党連合の効果があった
1人区=小選挙区を見たときに、いくつか象徴的な事例があります。典型的なのは、もちろん自民党の幹事長の落選ですけれども、それに限らず、都市部で普通だったらあり得ないような勝利をしている場合があります。これで、市民と野党が連合すれば、与党の実力者たちをも打ち負かす可能性を持つということが分かりました。そして全体としてみれば立憲民主党はもちろん負けたわけだけれども、前回の総選挙と比べれば小選挙区では勝っているわけですから、市民・野党連合の効果は大きかったのです。
「平和への結集」を主張したときの主要な目的は改憲の阻止です。この10数年の間、野党の選挙協力に至るプロセスがあったことによって、ここまで改憲を阻止できたということは大事だと思っています。そして私は立憲とか、あるいは憲政という概念を説明しながら、野党は左翼的理念だけではなく、こういった理念を用いて与党を批判しないと多くの人びとの共感を得られないだろうと当時から主張してきました。それでも実際、立憲民主党という政党が誕生し、野党第一党になったことには驚きました。本来、今回の総選挙でしっかりとした政策を掲げていれば、与党の3分の2を打破して改憲阻止ができたはずの選挙でした。そこは実現できなかったのが残念な点です。維新を含めた改憲勢力が3分の2を超えてしまったので、今後なお注意が必要です。それでも安倍政権のときに比べると、少しだけ状況が緩和されていると思います。安倍首相時の理念や勢いのあった時の状況と、いまの岸田首相の個性、それから改憲するためには維新まで含めて連合しなくてはいけないという現在の状況を考えたときには、やはり安倍政権時より状況は少しよくなっていると思います。
立憲主義・自由民主主義の抵抗力の発揮だけでは勝てない
さて、こうした点を前提とした上で、今回の選挙結果はもちろん立憲民主党の党勢の後退になったわけですから、その敗北がなぜ起こったのかということが次の大事な問題点です。私はこうなることを心配していました。なぜ心配していたかというと、私が言ったように、立憲という政党理念は改憲を阻止するためですから、野党側が連合するときの立憲主義は自由主義や民主主義と密接な関係があるわけです。こうした理念に基づく政党が昔の左翼勢力以外に必要だということを言っていたわけです。実際にその通りの政党ができたわけですけれども、問題はポジティブな理念とかリーダーシップ、魅力が「立憲」の理念だけではできないということなのです。なぜ立憲民主党が結成当時に人々の心をかなりひきつけたかというと、安倍政権が強引に改憲をしようとして、安保法強行採決をはじめ決定的な違憲行為を繰り返したからなんです。そういう政権に対しては立憲の理念や、それに基づくリーダーシップの抵抗力を発揮するわけです。「あまりにも横暴だ」とみんなが思うから、それに対して抵抗して阻止する理念を持つ政党が大事だと感じるのです。その点で、法的正義を尊重する人々の心を代表したのです。当時、私は『論座』などで、理想的な人民主権論にふれながら、人々の気持ちと指導者のリーダーシップとかが一体となるような直接民主主義的な理想が一時的にせよ実現した、と書きました。例えば安保法制の強行成立のときの国会包囲の抵抗などにおいては立憲主義に基づいた自由と民主主義の精神があった。そしてその流れの延長上に、結成当時の立憲民主党の指導部も、そういった人々と草の根で一体となるような新しい政党をつくるんだというふうに興奮の中で語っていました。枝野氏をはじめ執行部の人はそういう気持ちをお持ちになっていて、持続的に実現することを期待していました。
けれども、なぜ、その後多くの人の気持ちが離れていったかということが大事なポイントだと思います。たとえばパートナーズを作っているけれども、十分に制度が機能しなかった。だから本来の直接民主主義的ないし参加民主主義的な理念が立憲民主党の運営の中で十分に生かせなかったということです。それは枝野執行部がほとんど設立当初の体制のまま、ここに至ってしまったこととも関係しています。
コロナ禍で政治のアジェンダが大きく変わった
この問題を解くうえで、もう一つ、理念の方については、その後のコロナ禍の影響がすごく大きいと思っています。安倍政権がコロナ禍の中で退陣して菅政権に代わったわけですけれども、コロナ禍で政治のアジェンダが大きく変わったわけです。
コロナ問題以前の安倍政権なら改憲を目指していたわけだから、立憲民主党指導部の立憲主義の理念でも抵抗力としては意義があったはずだと思います。でもコロナ対策は全然別の次元の問題で、これに対して立憲民主党の指導部がまったく対応できなかったというのが総選挙の最大の敗因だと私は思っています。どういうことかというと、コロナというのは感染病ですから、これに対しては政治の積極的なリーダーシップが必要なんです。「政治が悪い専制・暴政になっているから、それに抵抗する」というのが立憲主義を支えている自由主義や民主主義の理念です。でも、コロナ問題の局面では、政権が悪いことしたから感染症が起こっているわけではなく、世界的な感染症に対して政治がどう立ち向かうか、これが課題なのです。
私は思想的には、マイケル・サンデルのようなコミュニタリズム(徳義共生主義)を主張しているのですが、その観点からいえば、立憲主義とともに公共善とか共通善という理念が重要なのです。政治というのは共通善や公共善の実現が最大の目的であるというのがコミュニタリアニズムの考え方です。そしてコロナをはじめとする感染症は公共的な害悪そのものだから、それに対して健康や生命という公共善を守るというのが政治の最大の使命になるわけです。この問題は公衆衛生の問題で、これはパブリックヘルス、つまり直訳すれば公共的健康なのです。だから公共的な問題であり、公共的な善としての健康や命を守るために、政治が全力を尽くす。このことが政治的な権力やリーダーシップには求められる。その局面がコロナ禍になって突然訪れました。
安倍政権や菅政権はこの政治の使命をまったく果たせませんでした。危機管理のための改憲などを主張している人たちが、実際の危機にはほとんど対処できずに、嘲笑の対象となったアベノマスクとか、菅首相に至ってはオリンピック強行開催による感染爆発のように、最大の問題に対する国家機能が停止しているような、まさに国家的危機が現出しました。普段、強権を振りかざして危機対応を強調していた権力の側が、なにもできないという無策をさらけ出して、繰り返し緊急事態宣言になって、経済も疲弊して、人びとは本当に「政治になんとかして状況を打開して欲しい」という気持ちになったわけです。政権の失敗はいまさら私が言わなくてもいいと思うので、これ以上は省略しますけど、問題はそれに対して野党の側が人々の期待を集められなかったことです。ここがポイントですね。
政権の政治哲学とコロナ対応
海外の対応を見ていると、アメリかとかイギリスとかブラジルなどは、市場経済至上主義のネオリベラリズム、あるいはリバタリアニズムの政権で、その政権の政治哲学のせいでことごとく失敗しました。指導者自らが感染して入院したり、国民が深刻な感染状況になって、最終的にトランプ政権のように選挙で敗北するとか、リーダーシップを問われるという事態に立ち至っています。つまりリバタリアニズムないしネオリベラリズム(新自由主義)の政権はコロナ対策に失敗したわけです。これに対して、たとえばニュージーランドとかオーストラリア、アジアでも台湾とか韓国は相当健闘しました。これらは、リバタリアニズムの政権ではありません。政権のリーダーシップによって、コロナに対して政治が全力を尽くして大量検査や大量隔離をして、感染拡大を食い止めた国家が実際にあるわけです。つまり政権の哲学と政策によって感染症拡大阻止に劇的な差が出たんです。成功したところはやはり、経済的配慮に拘泥せずに感染症対策に全力を注ぎ、政治が積極的にリーダーシップを発揮したのです。「感染症対策優先か、経済とのバランスか」というジレンマが生じたのですが、政治哲学では功利主義やリバタリアニズムの政権は経済とのバランスを図って失敗したのです。
これに対して、立憲民主党はどうだったか。問題は、専制権力に対する抵抗を主軸に考えていると、権力行使に抑制的になり、コロナ対策も消極的になりがちだということです。たとえば、自由や人権の観点から緊急事態宣言の内容強化に反対することがありえます。大量検査・大量隔離や、ましてロックアウトという話になるとさらに抵抗が強くなると思うんですよね。
野党第一党敗北の主因
立憲民主党の主張を見て私が思ったのは、もちろん自公政権よりは理性的な主張をしていたけれども、まだ消極的過ぎたのです。多くの人々は、「ここで立憲民主党の、野党の政策が実現すればコロナ禍は収まる」というふうに思えないような発信の仕方だったと思います。あのときに医師をはじめ様々な有識者が民間から、政府の方針を憂えて、より積極的な対策を提言していました。そういった専門家を迎えて、政府の方針に反対して本格的な対策の政策提言やアピールを出すとか、シャドーキャビネットを作って「こういうコロナ対策をします」というビジョンを大々的に打ち出す。そういうアピール力がなかったように思えます。立憲民主党がしていたことは基本的に、普通に政策提案をして与党を批判しただけで、根本的に掘り下げたシステム変革を主張していなかったと思うんです。せいぜいPCR検査を増やすとか、医療体制の充実とか、極論するとのちの岸田4本柱(自民党総裁選時)と同じようなことぐらいしか言ってなかったと思えるのです。厚生労働省や医系技官、政府の新型コロナ感染症対策分科会の問題、さらには既存の保健所中心の対応の限界などを鋭く批判して、メンバーの交代や全面的なシステム改善や改革を打ち出すという積極的な改革案を提示していなかったように思えます。そういう野党第一党の政治的消極性が敗北の最大要因だったと思います。
だから今回の選挙も悪い予感が当たったんです。コロナ禍中で立憲民主党の支持率は全然増えずに低迷を続けていました。政府があれだけの失政を繰り返している中で、もし有効な発信をしたら、立憲民主党の支持率は上がっていくはずなんです、本来。この政治的失敗が致命的でした。
選挙前ですら、立憲民主党はせいぜい国会開催要求くらいしか主張していなかったように見えるのです。国会をやれ、というだけでは市民に全然イメージが伝わらない。国会開催要求は当然で、応じない政府は違憲ですから立憲主義の観点から批判するのは当然だけど、国会を開催して野党がなにを提案するのかというメッセージをもっと強力に発信すべきだったと思います。
コロナ問題のような医学的問題について、阿部とも子議員をはじめ、立憲の中で専門知識を持つ議員がいらっしゃるわけだから、そういう方々を生かして、こういう非常事態になれば、緊急の指導部体制へと刷新し、その中で登用すべきなんです。政府の方針を憂えて発信されていた良心的な疫学者や医学者・医師たちを三顧の礼を尽くして迎え、立憲民主党が中心となって、シャドーキャビネットを作り、厚生労働大臣やコロナ対策担当大臣は専門的知識を持つ議員や、民間の優れた有識者にお願いする。「こういうコロナ対策大改革を立憲民主党がやります」というメッセージを目に見える形で発信し、そういった方々に自らの言葉で語って頂くことが必要でした。おそらくそういう可能性を党内で議論することすらできなかったのだろうと想像するんですけれども、今回立憲が敗北した最大の原因はこういった積極的・能動的なアクションをしなかったことにあると思います。
リベラリズムの限界と「公共善の政治」:リーダーシップと理念
もちろんそれは執行部のリーダーシップの問題ですが、それだけではなくて、政治の理念の問題でもあると思うんです。
立憲民主党の政策には明確な理念があるんです。かつての民進党との違いはここで、それはとても評価できることです。ただ、その理念が、歴史的な自由主義・民主主義だけではなく、今日のアメリカ政治哲学でいうリベラリズムなのです。リベラリズムとは、善い生き方など価値に関する政治的議論を棚上げして、権利の概念によって、自由や福祉を主張する思想です。
自由主義の系譜を引き継いでいますから、現在の与党下での改憲には反対しており、この点で立憲民主党の抵抗力には意義があります。さらに、総選挙の公約で明確に主張していたのは、格差問題の解決です。消費税減税も時限つきながら入れました。こういった経済・福祉政策は、私は良かったと思っています。順番に出していった政策の中で経済政策、福祉政策、消費税制策などの分野は自民党とまさに対峙していました。
三党合意の頃の民主党(野田内閣)は、この点が欠けていて、理念が不明確になり、自民党との政策対立が小さくなって政権を失いました。これに比べると、理念と政策の対立が与党との間で明確になったのですから、政党政治の本義に戻ったわけです。これは、大いに評価すべきことだと思います。
しかしこれらの政策を支える理念はまさにリベラリズムです。与党よりははるかに優れた理念を基礎にしているのですから、それを悪く言うつもりは全然ないです。でも、それを中心にすれば総選挙で勝てると思ったのが、悲しいことながら、間違いだったと思うのです。
たとえば「枝野ビジョン」が出されて、総選挙前の政策の提示でも、ジェンダーイシューとか多様性を早い段階から中心的にアピールしたように思います。これも、明らかにリベラリズムの理念に基づいています。しかし、これらの点をメインに訴えたら、リベラリズムの支持者たちだけが投票することになりかねません。今回は自民党に失望した人たちの票を取らなければならないのに、リベラリズムの政策を中心に訴えれば、やや保守的な人びとは立憲民主党には投票しなくなってしまいます。そういう人たちは自民党には失望したけれども、ジェンダーとか多様性の尊重などよりも、基本的にはいままで通りの経済や社会を、コロナに脅かされずに回復したいと考えています。そういう人たちの心を捉えるような政策でないと、一気に立憲民主党の支持が増えることにはならないと思うのです。
現実に、与党に幻滅した人びとのかなり部分が、立憲民主党ではなく、維新か、れいわ新選組に投票しました。だから、自民党も立憲民主党も議席を減らして、この両政党の議席が増えたのです。維新と「れいわ」は、政治学では、右派ポピュリズムと左派ポピュリズムに相当します。右派ポピュリズムと違って、進歩的なポピュリズムは民主主義を前進させる側面がありますから、ポピュリズムの伸長を全体として批判するつもりはありません。けれども、政権批判票を十分に獲得できなかったのは、野党第一党の失敗に他なりません。このように考えてみると、立憲の蹉跌の原因は、さきほど言ったリーダーシップの問題と同時に理念の問題なのです。
未来への希望――野党連合・積極的リーダーシップ・公共善理念・公共政策
今後の野党側に希望したいことを言いますと、まず第一は、小選挙区制においては野党共闘の効果は極めて大きい。来年の参議院選挙では具体的な形は調整・改善することが望ましいでしょうが、市民・野党連合そのものは今後もしっかりと前進させるということが大事だと思います。
第二は、やはりそれぞれの政党が自分の理念やビジョンをしっかり提示し、個々の支持率を増やすような地力をつけるということです。立憲民主党はいま代表選挙をしていますから、リーダーシップはそれにかかってきますが、積極的なリーダーシップの発揮を期待したいと思います。
第三に、理念も再考して発展させて欲しいと思います。 政権交代のためには、立憲民主党は、固定的なリベラリズム支持者向けにアピールするのをやめて、強権に対しては立憲主義や憲政の理念に基づいて自由や民主主義を擁護するとともに、感染症対策においては「公共善」の理念に基づいて「権力の善用」の積極的なビジョンと政策を提示してほしいと思います。前者は政権のネガティブな政治に対する批判や抵抗であるのに対し、後者はポジティブな政治の推進や実現を意味します。
第四に、与党に対抗して、今度こそ、本来の野党のあるべき公共政策を理念に基づいてしっかりと発信してほしい。コロナ問題について言えば、私の推測ではまた第6波以降が来ると思うので、抜本的なシステム改革・制度改革を含めて新しい政策を提示し、シャドーキャビネットも作って、人々の気持ちが危機に対しては野党連合サイドの方が信頼できると思うような積極的なビジョンと政策を提起することが大事だと思います。もちろん、他の政策的課題についても同様です。
「平和への結集」で提起した野党連合が現実のものになるために15年かかったわけですから、公共善を軸にする新理念やそれに基づくシステム変革・政策が本格的に実現するのにも相当の時間が必要かもしれません。それでも、そのための第一歩が踏み出されれば、野党第一党のリーダー交代には意味が生まれてくると思います。
(現代の理論2022冬号)


