いつ、どこに自由があったのか④ 私憤と公憤 2023年秋
落合 恵子(作家・クレヨンハウス主宰)
車内の冷房は効きすぎているが、窓の外は引き続きの猛暑。文字通り、猛々しさを秘めた8月の風景がひろがっている。
木々の、そして丈の高い草々のさまざまな緑が、風の思うままに大きく前後左右に揺れている。緑色の濃淡の波のようだ。
いつかどこかで見たような、そしてその中に身を置いたことがあるような、不思議に懐かしいこの風景……。晩夏と呼ぶにはまだ少し早い、8月の半ば。終戦の日の15日を明日に控えた旅の空、台風があちこちに交通トラブルを起こしている。
今号は秋号だ。いつも思うのだが、雑誌の月号と、自らの体感の間にずれがあって、なんとも書きにくい場合がある。
子ども時代のわたしはいつも、夏という季節の中にいた。そんなふうに思える。
……蝉しぐれ、左右に広がる丈の高い夏草の茂みを白い土埃をあげてを走る小さな車。ノウゼンカズラの蔓が絡む裏庭の垣根。物干し竿に干してある子どもの青い海パンは、強い日差しでぱかぱかに乾いている。
鶏のとさかのような、朱色のカンナの花。松葉ぼたんの紅、白、黄色の鄙びた花。暑くて縁側の下に避難したのだろう、薄暮の中から覗いている柴犬の濡れた黒い鼻。井戸の横に置かれた水を張った大きな盥、その中で揺れる西瓜。昨夕の名残の線香花火の抜け殻。
あの頃のすべてがよかったとノスタルジーで語るつもりはない。
しかし明日、この8月15日に、岸田首相は一体どのようなメッセージで市民に呼びかけようとするのだろうか。誰に向けて? どんな思いで? 一体なにを?
5年間で防衛費を43兆円に倍増させ、軍核路線をひた走る政権がまだ続いている。出身地など大した意味など持たないのかもしれないが、広島出身の首相である。
遠縁にあたる被爆者のサーロー節子さんをして、「核なき世界をライフワークと言いながら、おびただしい矛盾だ」と、当然すぎるほど当然な立腹の言葉を発せさせた首相であり、現政権である。
余談ながら、3年前だったか主宰するクレヨンハウスで、サーロー節子さんに講演をお願いしたことがあった。真っすぐで率直で明快なもの言いは画面を通して接する姿そのものだったが、始まる前は、「もう、ドキドキ」、「どうしよう、どうしよう」。
1時間30分の話を終え、質疑応答にひとつひとつ丁寧に答えられて、ようやく笑顔がもどってきたサーローさんだった。人前で話をされるときは、「ヒロシマでナガサキで被爆し、生きることのできなかった大勢のひとたちがわたしと共にいる」。そんなミッションのようなものが、彼女の背中を押してくれているのだろう。
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遠くで青い手鏡のように海が光る。
公憤と呼ばれるものの多くは、私憤から生まれることが多いようです……。
井上ひさしさんの言葉が突然といった感じで、甦る。私憤はしっかり水やりをすれば、公憤に育つ。けれどどっちが上でどっちが下という関係性ではないだろう。「私」も「公」も、掘り下げていけば、地下水脈でひとつの流れを作るのではないか。
窓の外、畦道を捕虫網を肩にかついでかけていく子どもたちの一団が見える。〝団〟といっても、わたしが子どもだった頃の塊とは比較できないほど小さな集団である。
先頭の数人に少し遅れて走る子は腕も脛も肩も白い。普段は強い日差しと無縁な暮らしをしている街の子が、保護者の郷里に遊びにきているのかもしれない。
「みんな」、どんな子どもの夏を過ごしてきたのだろう。首相も「みんな」の中のひとりである。23年の夏、なにかと話題になった政治家ひとりひとりもまた。
終戦の日を前にして、「戦う覚悟」と、信じられないようなことを言い始めた麻生副総裁も、洋上風力発電を巡る汚職事件に発展、自民党を離職した秋本某も……。実質6時間ほどしか「仕事時間」はなかったと言われている自民党の女性局員38人のパリ「視察」旅行も。エッフェル塔を背にしての記念写真をSNSに投稿したことが発端となったあの騒ぎも、なかなか収まりそうもない。それだけ、市民の暮らしは追いつめられている、という逆証であるに違いない。
この季節、男の議員たちも毎年各地へ「視察・研修」旅行に行っているが、一体、何を視察してくるのだろう。どんなことを学んでくるのだろう。どなたかが、視察旅行なら、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワで「視察」をしてこいと書いておられたが、たしかにそうだ。
これに加えるに、個人的にわたしは、第一原発の過酷事故にいまなお苦しむ福島に、じっくり腰を据えて、夏の間の数日を〝暮らし〟てみたらどうか。汚染水を処理水と呼称を変えたところで、漁を生業とする人々の不安は決して収まらない。視察は、あの地へあの海へ。さらに、自分の選挙区とは遠く離れた地区にある高齢者の施設へ。介護士さんと同じローテーションで一週間なら一週間、ヘルパーさんのヘルプをしてみるがいい。その場合、いかにもやっている風な写真をメディアに撮らせたりしない。
同じく選挙区と無縁の地で、子ども食堂のような施設を開き、活動をする等々、少子化対策をフランスに「視察」にいく前に、この国で学ぶべきテーマは多々あったはず。
しかしなあ、夏の視察観光旅行は、男性議員が例年やっていたことだ。もっと前からもっと騒いでよかったはず。彼女たちがやったことはむろん問題だが、そして彼女たちと一緒にご飯を食べたいとは思わないけれど、かすかにジェンダーバッシングの匂いをかぎ取ってしまうのは、わたしだけか? と私憤を公憤にした猛暑の旅だった。
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おっと大事なことを言い忘れた。前掲の洋上風力発電事業を巡る汚職事件についてである。むろん汚職は許容できない犯罪ではあるが、再エネの汚職で胸を撫でおろしつつ、やったぜとひそかに親指立てているのは、原発関係者であり、再稼働はもとより、新設まで言いだした政権与党と、それにすり寄る似非野党なのではないか。それを考えると、さらに腹が立つ。
だからと言って、わたしたちは諦めることができるか? できるはずはない。
それぞれの私憤を持ち寄って、公憤をさらに「私」の内に根付かせ炎を掲げ続けよう。みずからとの約束として。
反対するものと相似形の、上意下達風小型のピラミット構造を壊して平場の個に戻り、ふたたびの一歩を歩みだそうではないか。
生まれ落ちたその時から、介護サービスを受ける時まで、そして最後の瞬間を迎えるその時においても、順列や優劣をつけられるこの社会。さて、どこから壊していこうか、オノオノがた!
(現代の理論 2023秋号)

©神ノ川智早

