ドイツに暮らす(6) 「反ユダヤ主義」―歴史から見る今に― 2022年冬
フックス 真理子(ドイツ在住)
▶極右テロ
ホロコーストで、600万人以上が犠牲となったユダヤ人。もう二度とこんな歴史は繰り返されないだろうと思う傍ら、ドイツではこのところまたしても反ユダヤ主義が頭をもたげ、ユダヤ人に対する攻撃が頻発するようになった。2019年10月、ハレのシナゴーグ(ユダヤ人礼拝所)が、20代の男によって襲撃される事件が起きた。幸いにも、入り口の重たいドアがしっかりと施錠されていたので、犯人は中に侵入することはできなかったが、もし、それが行なわれていたら、流血の大惨事となったことだろう。中に入れないと分った犯人は、たまたま近くを通りかかった女性とケバブ店にいた男性を射殺した。しかも、このテロを極右的書き込みとともに動画配信するという、おぞましいヘイトクライムだった。これが反ユダヤ主義増加のきっかけの一つとなり、ドイツのユダヤ人協会が大いなる懸念を示すほどとなった。それを裏付けるように、2年後の2021年9月、今度はデュッセルドルフで同じようなシナゴーグ爆破計画を立てた少年が逮捕された。コロナ禍による閉塞感が、これらのヘイトクライムになんらかの作用を及ぼした可能性もある。反ユダヤ主義調査情報センター(RIAS)が2021年6月に発表した調査によると、2020年に反ユダヤ主義として確認された事例は、前年比で450件増加して1909件となった。
ドイツは、先ごろの選挙でAfD(ドイツのための選択肢)という極右政党が、多少議席を減らしたものの、連邦議会に第5位の数の議員を送り込んでいる。その支持基盤は明確に旧東ドイツにあり、極右テロの起きたハレもその一都市である。なぜドイツでこのような政党が力を持っているのか、いろいろな解釈はあるが、各国に広がる新しいグローバル化の波の中、「割を食った者」の反乱であるという一面は、否定できないだろう。その怨嗟が社会のマイノリティ、弱者への攻撃に転じていく。ドイツにおけるユダヤ人は、ヨーロッパでの彼らとの長いかかわりから、特に標的になりやすいわけだ。そのユダヤ人に対しては、日本では同情論が大きい。「アンネの日記」は、このテーマを語るのにもっともわかりやすい導入の役割を果たしているし、「ホロコースト」や「戦場のピアニスト」など、ユダヤ人迫害を扱った映画は、感動を呼んで視聴されている。杉原千畝の業績も、最近ではかなり知られて、ユダヤ人を救った偉大な日本人という評価が与えられている。
▶日本とユダヤのかかわり
ところで、杉原千畝が5000人のユダヤ人にビザを発行した背景については、今の時代、ほとんど忘れ去られている一面があることを指摘したい。それは、戦前のユダヤ人をめぐる日本政府の対応である。そこで大きな役割を果たしていたのは満州だった。1930年代に、ユダヤ人の経済力に目をつけた、後に日産コンツェルンの創始者となる鮎川義介が提唱した、ユダヤ人満州移住計画である。彼は、ヨーロッパで迫害されているユダヤ人を満州に移住させ、その資産をもって、満州を発展させようとした。そもそもこの計画は、アメリカにおけるユダヤ人を味方につけようとするものでもあった。この計画を「河豚(フグ)計画」と呼んだのは、ユダヤ人の受け入れは日本にとって有利だが、一歩間違えば毒ともなるというのが由来とは、実に唖然とするあからさまな動機である。その後日本は、日独伊三国防共協定をドイツと締結し、ユダヤ人の移住が、ドイツ政府のユダヤ人に対する態度と合致しないことを悟ったが、1938年の「猶太(ユダヤ)人対策要綱」によって、あくまでも表向きユダヤ人居住は人種平等の精神に反しないとして、満州のユダヤ人に対して一定の保護を許した。日本が、実態はともかく王道楽土、五族共和のスローガンを掲げて満州の植民地化を図ろうとするうえで、ユダヤ人移住は広告塔になったものと思われる。結局、1939年にドイツがポーランドに侵攻し、日独伊三国軍事同盟の締結を機とし、さらに1941年には太平洋戦争が始まって、アメリカからのユダヤ資本導入の望みも断たれ、ユダヤ人移住計画は最終的に破綻する。杉原千畝がいわゆる「命のビザ」を、外務省の命令に背いてユダヤ人に対して発給したのは、この直前1940年のことであった。ビザを得たユダヤ人たちは、満州里やウラジオストクを経て、日本に上陸した。最初のうちは、ユダヤ人難民たちに同情的だった日本人も、日独関係の強化とともに微妙に変遷していったという(註1 菅野賢治)。また、今までほとんど知られていなかったが、このユダヤ人難民たちを日本で庇護し、アメリカなどへの出国を助けていた横浜市猶太人移民協会の存在も大きい(註1 ハインツ・マイベルゲン)。
▶カウンターデモ

このように見てくると、ユダヤ人と日本の関係が思いのほか深いことに気付かされる。しかし、基本、反ユダヤ主義は時折日本でユダヤの陰謀論としてフェイクレベルで語られるほか、あまり表面に出ず、日本人はユダヤ人に対して総じて同情的である。その一方で、韓国、中国などアジアの隣国に対する嫌悪感情は強く、ドイツにおける反ユダヤ主義には同情的である日本人が、それと同じようなヘイトクライムが日本で起きていることに、なんらの自覚もない。ここがドイツと大きく異なる点である。たしかにドイツでは反ユダヤ主義が顕在化してきてはいるが、これに対する深刻な危機感も社会にある。ハレの事件が起きたその4日後、ベルリンで反ユダヤ主義に対抗する1万人規模の大きなデモが行われた。
老若男女、政治家、キリスト教関係者も含めて、人々は口々にこれを放置しておけないと語った。それは、反ユダヤ主義は、ユダヤ人だけの問題にとどまらないからである。ユダヤ人差別と並んで、デモが対抗すべき目標として掲げたのは、ファシズム、レイシズムである。これらはすべて一つの方向性、すなわち社会の不寛容を示しているが、実は70年代以降、ドイツはナチスの歴史への反省に基づいて、まさにその克服への努力を重ねてきたのであった。人々がハレの事件に象徴されるような反ユダヤ主義に鋭く反応するのは、その努力を無にするような出来事だったからである。しかも、統計によれば、30歳以下の若者のヘイトクライムは、30歳以上のそれに比べて3倍近くの数字にのぼる(註2 表参照)。特に教育現場では、この歴史への向き合い方に力が入っているだけにショックは大きかった。

▶学校現場での取り組み
ここで、学校での歴史の取り組みを少し見ていこう。日本人は長年、戦争を自然災害とほとんど変わらずに受け止めており、学校教育の中では戦争責任についての政治的社会的倫理的な問題は浮上しない。教科としての日本史は、かつて中学校で歴史を教えていた筆者自身が証言するが、カリキュラムの現実を見れば、近・現代史までは到達しない仕組みだ。ところが、このドイツを見るとどうだろう。なんといってもあの戦争は、歴史的状況はどうあれ、ホロコーストも含めてドイツの犯した「戦争犯罪」であり、それは二度と繰り返してはならない歴史である。つまり、もっとも力を入れるのが近代史なのだ。2022年アビトゥーア(高校卒業試験)の歴史課題を紹介しよう。
ドイツの今日的な政治・社会、EUとの関係は、戦争犯罪に対する反省と追悼と法的処理、そして現在進行形で続く補償行動や市民活動なしにはありえない。このアビトゥーアの課題を見ればわかるように、それが明瞭なものであるからこそ、それに反発する歴史修正主義や極右が抬頭してくるのであり、そしてまた、このような勢力との闘い自体があの戦争の反省に基づいているものだとも言えるわけだ。学校教育の中では、戦争は圧倒的に若者たちに考えるべきテーマとして、歴史科のみでなく、教科横断的に与えられる。自分の意見を述べ、ディスカッションをする。ちなみに、ドイツの学校での歴史の試験というのは、こんな風だ。まず、今まで見たことのないテキストが出される。そのテキストを要約し、それが歴史の中でどのような位置づけであるか述べ、最後にそのテキストに対して自分の意見を述べる。試験時間、ざっと4時間。日本の歴史の期末試験と言えば、ただただ暗記して、語句で穴埋めする、正しい記述を選択するというのが定番である。これ一つとっても、日本とドイツの、歴史に対しての態度がどれほど違うかわかるというものだろう。
一度、ギムナジウムでドイツ語の授業を見学したことがある。五年生のドイツ語の時間、先生が『あの頃はフリードリヒがいた』を生徒のために読んでいる。ナチスに迫害されたユダヤ人の少年、フリードリヒをめぐる話。日本語訳も出ているが、実に苛酷な内容である。場面はちょうど、ユダヤ人には禁止されている映画館に、フリードリヒが友達とこっそり入るところだった。教室全体がしんとして、ハラハラしながら、しかもその不条理さに憤りながら聞いているのが分かる。そのあと、読解に関する質問の答えを越えて、生徒一人一人の意見のよく出てくること。ドイツの児童文学では、問題の渦中にある主人公の痛みは容赦なく描かれる。そして、問題の答を提示しない。各人に社会の不正・差別などの問題をはっきりと認識させ、そこで終わる。それぞれが今の時点で意見を持ち、またそれが将来の行動につながるのを待てばよいのであって、その解決に大人は安易に手を貸さない。児童文学を教材として取り上げるドイツ語の授業は、この姿勢に沿った扱いで行われる。すなわち、ナチスの戦争犯罪は、教科としての歴史で教えられるが、ドイツ語の教科を通しても生徒たちに訴えかけられるのだ。

「アビトゥーアの歴史課題」
テーマ4 進歩と危機の間にある現代の産業社会
テーマ5 ナチスの時代 前提条件、支配の構造 その影響と意味
〇ナチスの政治的・思想的前提 〇ドイツとヨーロッパにおけるナチス支配 〇過去の政治 および 「過去の克服」
テーマ6 19,20世紀におけるナショナリズム、国民国家とドイツのアイデンティティ
テーマ7 現代における平和の締結と平和秩序
▶「闘う民主主義」
ドイツ全土に吹き荒れる反ユダヤ主義、それと同根のファシズムやレイシズムは、これらの教育現場での地道な努力を無にするものであったから人々の反応も鋭かった。遡ってみれば、このようなカウンターデモが起きる、ある意味引き金となったのは、2015年、シリアなどから難民が押し寄せてきたことだった。ドイツがこれらの庇護を求める人々を受け入れたのは、ホロコーストの歴史があればこそである。100万人以上の人々を受け入れた反動で、冒頭に書いた極右政党のAfDが活動を活発化した。難民を忌避し、外国人差別が激化した。この時も、ドイツ各地ではそれらに対抗するカウンターデモが繰り広げられていた。ベルリンで最大級24万人のデモが行われたこともある。当時、この排斥ターゲットとなっていたのは、むしろこれら難民であった。彼らが、しかし、なんとかドイツ社会に包摂されていき、難民問題が沈静化してきたのと軌を一にして、今度は反ユダヤ主義が頭をもたげてきたという印象をもつ。
それでも、ドイツの「闘う民主主義」は健在である。先に書いたように、学校現場では、絶えずドイツの戦争犯罪というテーマを取り上げ、歴史を継承し続けていく。人々が忘れていくのを座して見ているわけではない。ドイツ社会で、寝た子は常に起こしつつあるのだ。ベルリンで最大規模のカウンターデモを伝えるTVのニュースが印象的だった。参加者の1人若い女の子は、アナウンサーの「なぜデモに参加したのですか。」という質問に、「うちのおばあちゃんが、私たち子どもにいつも、『絶対にあの戦争の時のようなことを起こしてはいけない。もしそんなことがあったら、お前たちは全力で戦わなければいけない』と言ってたからデモに来ました」と語っていた。反ユダヤ主義がたとえ吹き荒れても、それを跳ね返す力がドイツ社会にはあると、筆者は確信している。そこが、遠く離れたユダヤ人には同情的でも、自分の足元のアジア人の差別にはまったく反応が鈍い日本人との大きな違いであり、ドイツから見ていて実にもどかしい。
▶歴史の継承へ

写真は、2021年8月に訪れた、オランダ国境近くのアルペンという町のユダヤ人墓地の様子である。ナチスが政権を取った1933年以前に埋葬された人々の墓地で、1800年代のものも多い。記録によれば、アルペンには17のユダヤ人家族が住んでいたという。また、1932年のシナゴーグのユダヤ人信者31人のうち、13人が強制収容所へ送られそこで殺され、18人は海外に移住できたとのこと。40年以上前にここを訪れたことがあるのだが、その時は荒れ放題で、草生す墓標が、ユダヤ人の困難極めた運命を暗示しているように見えた。今回久しぶりに来てみたら、夏なのでたしかに草は茂っていたが、周りが整備されて、「ユダヤ人墓地はこちら」という標識も立っていた。こういう歴史的遺産を保全しようとする動きも、ドイツが積み重ねてきた継承の努力でもあるのだろう。歴史から見る今にとことんこだわる。それが反ユダヤ主義から、もう一つ見てくるドイツの文化遺産だとも言えるのだ。


註1 「『福井新聞』に見る戦時期日本へのユダヤ難民到来」菅野賢治 神戸ユダヤ研究会ナマール2018年第22号
註2 Antisemitismus in Deutschland aktuelle Entwicklungen 2017, P.44
ふっくす・まりこ
1953年東京生まれ。ドイツ在住35年。上智大学大学院史学専攻博士前期課程修了。デュッセルドルフ ハインリッヒ・ハイネ大学教育学専攻博士課程修了 (Dr. phil.)。神奈川県公立中学校教員、英語塾経営などを経て、1986年よりドイツ、デュッセルドルフにて公文式教室指導者。現在、脱原発活動など、NPO3団体の代表をつとめる。著書に『ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う』(筑摩書房)。

(現代の理論2022冬号)


