【特集】憲法改正国民投票を考える 憲法改正国民投票条項はどのようにして誕生したか はじめは義務的強制的ではなかった

古川 純(専修大学名誉教授) 

■憲法96条の国民投票制度

 日本国憲法は、形式的手続き的には旧憲法(帝国憲法)の「改正」として発議・議会審議されたが、成立したのは国民主権を原理とするまさに「新憲法」であった。
 現憲法(第9章 改正)96条1項は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と定める。旧憲法(大日本帝国憲法)の改正規定(第7章 補則)では、73条1項「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案を帝国議会ノ議ニ付スヘシ」、同2項「此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレバ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレバ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」と定められていた。
 つまり、旧憲法では、改正案の発議は天皇の勅命によって行い、改正案は帝国議会両院(公選制の衆議院と勅任制の貴族院)に付され、衆議院・貴族院はそれぞれ総議員の3分の2以上の出席によって改正案審議の議事を開き、改正案の議決はそれぞれ出席議員の3分の2以上の多数決で行う、と定められていたわけである(ただし実際の「改正」は日本国憲法の成立時のみ)。議会側から改正案の発議を行うことはできなかった。さらに(統治権の総覧者は天皇であるから、当然に)国民投票の出る幕はなかった。
 日本国憲法では(国民主権原理のもとに)公選制の国会が改正案発議権を獲得し、主権を有する国民が国民投票で改正案の賛否を決する決定権(制度化された憲法制定権力)を掌握したことになる。

■憲法研究会案と改正規定

 憲法研究会(1945・10・29結成:高野岩三郎、馬場恒吾、岩淵辰雄、森戸辰男、鈴木安蔵など)の討議の結果45年12月26日に内閣に提出され、記者団に発表された「憲法改正草案要綱」(憲法研究会案)は、英訳されてGHQ(連合軍総司令部)に届けられた。それを検討してホイットニー民政局長に報告された文書が、次項でとりあげる民政局ラウエルの「私的グループによる憲法改正草案に対する所見」である。「草案要綱」は「補則」に「一、憲法ハ立法ニヨリ改正スヘシ但シ議員ノ三分ノ二以上ノ出席及出席議員ノ半数以上ノ同意アルヲ要ス 国民請願ニ基キ国民投票ヲ以テ憲法ノ改正を決スル場合ニ於テハ有権者ノ過半数ノ同意アルコトヲ要ス」という規定を置いた。すなわち国会が加重要件の立法で可決した改正案に対して同意の国民投票を行うのは国民請願の要求がある場合であり、国民請願がない場合は加重された立法成立要件によって改正案が可決(旧憲法と同じ)されれば、憲法改正は成立するとされた。憲法改正国民投票は義務的強制的とはされなかったのである。
 改正発議権の規定はない。「根本原則(統治権)」は「一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス」「天皇ハ国政ヲ親カラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス」「天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル」と定めたから、天皇の勅命による発議は否定された。では「国政の一切の最高責任者」=内閣が改正発議するのか。「議会」において「一、議会ハ立法権ヲ掌握ス」と定めるので、議会が一定要件で改正発議すると考えられる(内閣の発議権は法律の定め方次第であろう)。
 「国民権利義務」のなかに「一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ要ス」という規定があり、「草案要綱」は広くイニシアティブやレフェレンダムのような直接民主主義的制度の導入を考えていたことがわかる。
 なお、「補則」に「此ノ憲法公布後遅クモ十年以内に国民投票ニヨル新憲法ノ制定ヲナスヘシ」という規定を置いたことが注目される(後述参照)。

■「ラウエル文書」から

 民政局ラウエルの「レポート・日本の憲法についての準備的研究と提案」(1946年12月6日)は日本政府から(帝国)憲法改正提案があった場合の「チェックリスト」として作成されたが、帝国憲法の「弊風」とされるものに「憲法改正権が国民に与えられていないこと」が挙げられていた。次に、ラウエルからホイットニー民政局長宛の「覚書 私的グループによる憲法改正草案に対する所見」(1946年1月11日)の「憲法改正草案」は内閣憲法調査会の調査によって先に紹介した憲法研究会の「憲法草案要綱」であることが立証された(高柳賢三・大友一郎・田中英夫『日本国憲法制定の過程』の『Ⅰ 原文と翻訳』「№2解説」)。「所見の11.補則」で「憲法は、国の基本法であり、従って相当の永続性をもつ文書であらねばならない。憲法改正は、第62条で規定する方法で提案することができるが、その改正は、次いで国民投票に附されなければならず、その投票総数の過半数をえて、はじめて有効になるものとするのがよいのではないかと考える」とコメントし、憲法改正国民投票を義務的強制的にすべきであると提案している。

■「天皇その他の条項」小委員会試案の改正規定の変遷

 SWNCC(国務陸海調整委員会)―228(日本の統治機構改革)は指針に「日本国民が、その自由意思を表明しうる方法で、憲法改正または憲法を起草し、採択すること」をあげていた。民政局内小委員会の第1次試案では、(この改革で制定される)憲法は制定10年を経過する1955年まではすべて改正を禁止し、10年経過後は国会は特別会を開いて改正を検討することができ、その後も10年ごとに改正を検討する特別会が開かれる、と提案された。憲法改正は国会の3分の2以上の多数による提案がなければ発議されず、国会の4分の1以上の多数による議決がなければ承認されないとする条文が出された。しかし憲法改正の公布後10年間禁止案は民政局運営委員会の討議で鋭く批判された。「自由主義的な憲法はそれを運営しうる責任感のある国民を前提にして起草されるべきであり、また、次の世代の改正の自由を制約するようなことはすべきではない」とされ、民政局次長ケーディスはこの規定は削除したほうがよいと述べた。内閣憲法調査会の調査でラウエルは、10年間改正禁止規定案は「憲法研究会案」の最後の条項から得られたと説明した(『制定過程 Ⅱ』)。またハッシーは「改正は、国会が総議員の3分の2以上の賛成をえて発議し、選挙民の過半数以上の賛成によって承認されることにしてはどうか」いう意見を述べた。(『制定過程 Ⅱ 解説』「改正」)、『制定過程 1』「№11B1」)
 第2次試案は、憲法改正について、「国会のみが、その総議員の4分の3以上の同意をえて行うもの」とし、「このような国会の議決があれば、その改正は、この憲法と一体を成すものとして、効力を有する」とした。ただし、「第○章〔注、民政局編『日本の政治的再編成』によれば○章とは「人権」の章=権利章典であるとされ、しかし討議は存置か否かの激しい論議で行きづまったがマッカーサーが最終草案からそれを削除することを命じて解決された、という。『制定過程 Ⅱ』〕の改正の場合には、その改正は、さらに選挙民による承認を求め、投票した国民の3分の2以上によって承認されたときにおいてのみ、効力を生ずるものとする」として、国民投票は権利章典改正の場合の加重要件とされた。

■憲法改正国民投票は制度化された憲法制定権力

 しかしマッカーサーの最終判断の結果、GHQ案としては特定条項の改正に限らず、「この憲法の改正は、総議員の3分の2の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、国会の定める選挙の際に行なわれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とされ、国会の改正案発議議決と国民承認に必要な多数がいずれも第2次試案よりも緩和されるに至った。(『制定過程 Ⅱ』)日本のなかの「反動勢力が政権獲得しこの憲法が無力化される重大な危険」を重視する小委員会と、「責任ある選挙民の存在を前提に自由な憲法の起草」の権利を重視する運営委員会の間で激しい綱引きが行われたが、結局GHQ案がその後の改正案の基本となったわけである。
[補論 帝国憲法改正としての新憲法の「承認」]
 GHQ案には「この憲法[注、帝国憲法の改正憲法]は、議会で記名投票により出席議員の3分の2以上の賛成によって承認された時に成立する。」とする条文があったが、日本政府(松本国務大臣)は帝国憲法73条の改正規定に従うことを理由に異議を述べ、政府の「三月二日案」のときに削除され、GHQ側も(「法的継続性問題」を考慮して)承諾した(『制定過程 Ⅱ』88~89頁)。

(現代の理論 2017秋号)

*アイキャッチ写真は衆議院ホームページより