統一教会(カルト)と政治的全体主義癒着の断絶浄化を 政治危機に新たな徳義共生主義を提言する

小林 正弥(千葉大学教授)

政治的対立軸の流動化:安倍銃撃事件と立憲民主党敗北

 2022年7月には、日本政治の命運を左右する政治的大事件が立て続けに起こった。安倍晋三元首相が銃撃されて死亡し、その直後の参議院選挙で与党が勝利した。野党では、日本維新の会やれいわ新選組が議席を増やし、新しく参政党が議席を得て、左右のポピュリズム政党が台頭した反面、立憲民主党は衆院選に続いて痛恨の敗北を喫した。
 立憲民主党が野党第一党になったのは、安倍政権によって決定的に違憲な安保法制が「成立」したのに対し、反対する人々が、「希望の党」騒動における抵抗に共感したからである。それ以来、「安倍政治 対 立憲政治」が中心的な政治的対立軸となり、後者は共産党とも連携を深めて野党共闘を実現した。
 前回の衆議院選挙後の拙稿「立憲民主党はシステム改革へ積極的姿勢を」(2022冬号)では、この政党の敗因を枝野代表(当時)のコロナ禍におけるリーダーシップ欠如と理念の限界(リベラリズムの純粋化)に求め、「市民・野党連合の堅持、積極的リーダーシップ、理念の再考(公共善)と公共政策の発信」という希望を述べた。
 しかしこれらは実現しなかった。選挙予測に基づけば、立憲主義的野党の敗北は必至であり、安倍氏銃撃事件がなくとも与党は勝利しただろう。その結果、安倍氏が主張していた軍備拡大路線が現実のものとなり、日本政治は一気に改憲や政治体制変化へと向かい、戦争にすら至ったかもしれない。
 ただ、今は、この暗澹たる展開に対して、政治的激変の可能性も生じている。安倍氏の死亡によりその政治路線が弱体化し、(旧)統一教会問題が浮上して自民党に批判が高まっているからである。とはいえ、立憲民主党はあいかわらず迷走を続けている。この結果、安倍政治と立憲政治の双方が挫折して、政治的対立の両極が混迷し、日本政治は流動化と混沌を迎えているように見える。

精神構造の類似性:カルトという宗教的全体主義と政治的全体主義

 岸田政権は、安倍氏の死亡を政治的に利用しようとして、選挙では「民主主義の危機」を訴えて国葬を決定した。故・安倍氏をいわば政治的路線の象徴として祭り上げて政権を正統化しようと目論んだのだろう。内閣改造(8月10日)の際に「有事対応の政策断行内閣」を掲げたように、行方には軍備増強と、中国などとの国際的紛争という危険信号が点滅している。
 ところが、安倍氏銃撃は(旧)統一教会への恨みを動機とすることが明らかになったので、安倍派をはじめ自民党との癒着がメディアによって報道され、問題回避のために内閣改造を急遽早めたにもかかわらず、新内閣の関係者にも統一教会との関係が次々と発覚して内閣支持率が急落している。
 統一教会は、安倍氏の差配による集票、秘書やボランティアの提供をし、自民党議員は関連集会への参加やメッセージ、インタビュー掲載などに応じていた。しかし、この問題は便宜的互酬関係にとどまらない。この政教癒着の結果、安倍氏の側近だった下村文部科学省長官のもとで名称変更(2015年)が認証されたのではないかという疑いが持たれている。統一教会に有利な政治的決定が継続的になされていれば、政教分離に反する疑いが現れる。さらに安倍氏自身が思想的に統一教会や国際勝共連合に共鳴していて、政策や、さらには自民党改憲案にまで影響していたのではないかという指摘までなされている。
 統一教会の政治的影響が深刻なのは、カルト的宗教が日本政治そのものに影響を与えていたことになるからである。破壊的カルトは健全な宗教とは異なり、「非倫理的なマインド・コントロールのテクニックを悪用して、メンバーの諸権利を侵し傷つけるグループ」(スティーヴ・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版、75頁)と定義される。つまり、人々の精神を強権的に支配するのであり、政治的な全体主義と精神構造において類似しているのである。
 安倍政治は、2015年の安保法制によって平和憲法を形骸化し、強行採決やメディアへの圧力などによって、自由民主主義を危機に陥れた。日本政治は、選挙は行うものの事実上は権威主義的な政治体制(学問的にいえば、競争的権威主義体制)へと移行し始めたのである。もしコロナ禍によって退陣することなく改憲が実現すれば、政治体制の移行が生じかねないところであった。
 第一次政権において掲げた「戦後レジームからの脱却」は、戦前政治体制への回帰を意味するのではないか、という批判を浴びた。この政治体制の極点は、日本型ファシズムに他ならない。それは、天皇を頂点とする祭政一致国家という国家神道によって正統化されていた。これは、健全なナショナリズムと異なる「超国家主義」(丸山眞男)であり、批判を許さず弾圧するという点において全体主義的性格を帯びていた。
 この政治体制とカルト宗教との間には、政治的ないし宗教的な全体主義という点において共通性がある。精神構造における類似性があるからこそ、安倍氏は統一教会に思想的に共鳴して積極的な相互依存関係を構築したのではないだろうか。
 とすれば、統一教会問題は安倍政治の深層構造を衆人の目に浮かび上がらせていることになる。人々がこの機に安倍政治の深層を深く認識しそこから離脱することができれば、自由民主主義が甦るかもしれない。

立憲民主党の敗因:野党共闘の放棄と理念の希薄化

 他方で、立憲民主党の参院選敗北の主因は二つある。泉代表のもとで、野党共闘を放棄したことと、「政策提案型政党」路線である。
 一人区で前回は22対10だったのに対し、今回は28対4だったという事実が、野党共闘を自ら手放した結果を雄弁に物語っている。そして対決より提案を優先する路線は、政権批判を抑制させた。
 野党の野党たる所以と存在意義は、政権の問題を指摘して政治の修正を促すことにあるのだから、敗北は必然だ。野党ヒアリングの中止に現れているような姿勢の結果として、立憲民主党の存在感は急速に薄れた。
 実際には、参院選の段階では、ロシアのウクライナ侵攻と円上昇によって、安倍外交とアベノミクスの破綻が明らかになっており、森友・加計学園や桜を見る会のような政治腐敗問題に加えて、外交・経済でも安倍政治が全面的に失敗したことが明確になっていた。安倍政権が長期政権だったからこそ、政策の帰結が明瞭に現れたのである。
 ところが、立憲民主党は安倍政治の帰結を総体的に批判して国民に訴えることをしなかったように見える。参院選直前にようやく「生活安全保障」を掲げて物価高騰やその原因たるアベノミクスの問題に焦点をあてたが、時既に遅く、十分に支持率を回復できなかった。
 そもそも、結党時における支持者の熱気は、安倍政治に反対して民主主義や平和主義を回復するという期待にあったのだから、批判回避の路線によって支持者の熱意が萎むことは、火を見るよりも明らかだった。この結果、比例代表の得票において、日本維新の会の後塵を拝するまでに凋落してしまったのである。

両極の流動化:無為無策の政権と新ビジョンなき野党

 よって、今は両極が不安定で流動化している。にもかかわらず、双方がこれまでの対抗軸を超える新しいビジョンや政策を打ち出せずに、かつての延長線上の政治に突き進んでいるように思える。
 一方で政権側は、安倍政治を継続し、ますます政治を荒廃させている。統一教会問題では抜本的改善策をとらず、法的根拠なき国葬を強行しようとしている。この姿勢は、政策自体にも現れている。自民党総裁選時には新しい資本主義や本格的コロナ対策(岸田四本柱)を主張したにもかかわらず、今やまったく反転して、安倍政治の路線を先鋭化させているからである。
 まず、参院選直後に日本は世界最大の新規感染者数や死亡数になったにもかかわらず、まったく本格的対策を行わずに放置した。岸田首相自らの感染は象徴的で、米国トランプ大統領、英国ジョンソン首相(いずれも当時)など、感染対策を怠った政治指導者はしばしば自ら感染している。のみならず、岸田政権は感染者の全数把握廃止という方針まで打ち出した。別の理由を掲げていても、実際には感染者数の把握を不可能にする政策で、安倍政権における統計改竄と類似している。
 経済分野でも円下落・物価上昇に対して傍観しており、まったく経済政策の変更や対策を行っていない。軍事的拡大路線を表明しつつ、外交的努力は何もせず、アフリカなどへの国際的支援だけを表明している。そして参院選後に、突如として原発の新規建設や運転期間延長の検討を指示し、原発推進路線への転換を打ち出した(8月24日)。
 要するに、この政権は国民の生命や生活を守るためには無為無策で、国葬・軍拡・原発建設など違法行為や人々を苦しめる施策のみを推進しようとしているのである。
 他方で、立憲民主党も参院選敗北後にも精彩を欠いている。国葬は、根拠法がない点で違憲であるにもかかわらず、決定当初、泉代表は黙認するかのような発言を行った。党内外の批判によって姿勢を修正したものの、国葬への出席の可能性があると述べた(9月2日)。これらは、立憲主義という党の中心的理念に背反する点で、理念の希薄化を象徴する発言である。
 コロナ対策に関しても、この政党から迫力ある提言はなされておらず、コロナ対策本部は活動しているものの、代表の発言は何一つ聞こえてこない。この政党も、憂える医療者や識者が求めたような行動制限を要求せず、緊急事態宣言どころか蔓延防止法の適用すら主張しなかったように見える。
 さらに物価対策を求めていても、超金融緩和政策の転換要求や新しい経済政策の提案も明確には聞こえてこない。安全保障・外交・エネルギーなどについても、気迫ある訴えは人々に届いていないように思える。
 要は、批判も提言も十分ではない。本来、上記2点は代表の主導のもとで行ったことだから、代表が交代して路線を全面的に転換することが論理的な要請だった。しかし、参院選総括では路線の失敗を認めて新執行部では批判的姿勢を強化したものの、どこまで迫力を回復できるかどうかは疑わしい。野党共闘路線を復活できるかどうかもわからない。しかも、新執行部には、かつての実力者たちが目立ち、清新さを欠く。
 そして、新しい理念やビジョンは何も提示されていないとしか言いようがない。これでは、最善でも政権と対決する能力を回復するにとどまり、与党に代わることは望み得ないだろう。

 国家存立を脅かす重層的危機

 両極の状況の結果として現出しているのは、日本という国家の存立に関わるような国難そのものである。そもそもコロナ感染者の増大を放置して自宅療養を強いるのは、事実上の棄民政策である。国民の生命の保護は、公共的な健康(公衆衛生)という公共善そのものだから、これは国家の機能停止に他ならない。また、物価対策や抜本的経済政策変更を行わないでいると、経済的危機と塗炭の生活難を招きかねない。国民の生活を守るという国家の根本的任務を放棄しているに等しいのである。さらに、原発建設政策は、異常気象や大地震、そして対外危機の危険がますます増大している現在、国土に致命的な被害を与えかねない。
 その上に、ロシアのウクライナ侵攻による国際的秩序の不安定化によって、中国など近隣諸国との間に軍事衝突が起こりかねなくなっている。それにもかかわらず、危険を和らげる外交がまったく行われていない。経済的危機とともに対外危機が深刻化すれば、国葬を強行した上で安倍氏を偶像のように祭り上げて、一気に権威主義化や対外紛争への突入を企てることも懸念される。
 これらが表しているように、すでに国家の存立が危うくなるような内外の危機が日本の国民に迫りつつあるのである。

政治的な浄化と再生――新しい政治的対抗軸は結晶しうるか?

 この逆巻く危機の中に希望はあるだろうか。混沌とした状態の中からこそ新しい政治の理念とビジョンが結晶しうるかもしれない。参議院選挙で、左右のポピュリズム政党が伸長したのは、民主主義の危機を示しているが、他方で人々が新政党を求める気運も示している。
 そこで、立憲民主党であれ他の政党であれ、立憲主義や自由民主主義、平和主義を基礎にして、政権のネガティブな専制を徹底して批判して政治的浄化を進めるとともに、与党に対抗する新しいポジティブな政治経済の理念とビジョンを提起する民主主義的野党が現れることを期待したい。
 現在は特にコロナ対策、経済、格差増大、安全保障、エネルギーと原発回帰、少子高齢化・人口減と危機が重層的に生じているので、抜本的感染症対策、倫理的な経済政策、公正・正義や新しい福祉(ポジティブ福祉)、平和主義の再確立、脱原発とエコロジー社会、人口施策を提唱することが肝要である。その前提として、統一教会問題で浮上したカルトの汚染を徹底して払拭し、政界浄化の方策を新規立法(カルト規制法)などで打ち出すとともに、政治における倫理性や美徳を重視して、精神的再生を求めるべきである。
 この基礎には新しい政治哲学が必要だ。安倍政治は、ナショナリズムと、市場を最優先するネオ・リベラリズム(リバタリアニズム)を併用していた。アベノミクスにおける超金融緩和路線は国家主義的介入政策、積極的成長戦略(規制緩和など)がリバタリアニズム路線である。感染症対策に消極的なのも、政治的介入に消極的な後者の現れである。これに対して、立憲民主党は衆院選でリベラリズムを純化した公約を掲げた。これはネガティブな権力には反対して自由や多様性を主張する反面、倫理性を軽視し、ポジティブな政治ビジョンも示さない。これが感染症対策への消極姿勢にも現れて、敗北の一因となった。
 これらに代わりうる思想は、徳義共生主義(コミュニタリアニズム)という政治哲学であり、公共的美徳に基づく政治参加によって公共善を実現するというポジティブな政治を主張する。公共善たる生命や健康のためには権力の善用を主張し、積極的感染症対策を主張する。カルトとの癒着や権力の私物化を正して、宗教的・政治的腐敗を浄化して倫理的政治を目指す。不労所得や金融所得への課税を強化して福祉を再編し、社会経済に倫理性と公共善を再導入して、正義や公正を実現しようとするのである。
 この考え方は、新しい学問的潮流である幸福研究やポジティブ心理学(幸せと徳と公共の心理学)と連動しうる。これらは、ウェルビーイング(幸福感など)を計測して高める方策を科学的に研究し、美徳や人格的な強みの開花がそのために肝要であることを明らかにした。しかも、個人的努力だけではなく、社会的・政治的な公正や正義の実現がウェルビーイングの向上にとって重要な役割を果たす。海外の例にならって、ウェルビーイングを政策目標にすることが行政省庁に求められるようになったが、方策はまったく不明瞭なので、学問的根拠に基づいて推進すべきである。これらによって、福祉による再分配を進めつつ、開花・幸福・繁栄を意味する栄福の社会を実現するビジョンを示すことができる。
 さらに、次の国政選挙までに野党の選挙協力を再建することが不可欠だ。安保法反対を起点にした野党共闘は、反安倍政治を基軸にしていた。協力再建のためには、新しい対立軸に基づいて共通政策も刷新する必要があるだろう。立憲主義や自由民主主義に加えて、生命や生活を守るという公共善に基づく抜本的感染症対策・経済政策、反カルトや政治的浄化はこの根幹になりうるだろう。これに加えて、脱原発、平和主義の再建などの論点について、可能な限りの合意を実現することが努力目標になる。
 国家が存立に関わる危機に立ち至っている以上、安倍政治の問題性を人々が自覚しなければ、経済的破綻や権威主義化、そして戦争への道が待っていよう。上記のような新理念に基づき、安倍氏の死を契機として、政治的浄化とともに政治的刷新を行って国民国家の再建を目指すことが必須となっているのである。

<現代の理論2022秋号>

(アイキャッチ画像は Wikimedia Commons より)