河合民子さん ありがとう さようなら 『柘植の櫛』

山田勝(本誌編集長)

 河合さんと初めてお会いしたのは2016年4月であった。この日、私は那覇市牧志の故上間常道さんの事務所を訪れた。雑誌『現代の理論』に沖縄からのメッセージコーナーを設けたいとのお願いごとであった。話もそこそこに近くの飲み屋に連れていかれた。ここで、河合さんを紹介され、與儀さんを指名され、その時入店してきたおおしろさんが筆者の一人になることを快諾された。河合さんは飲み屋の主として、下戸である私に次々と沖縄料理を出し歓待してくれた。宴は大いに盛り上がり、「レキオからの便り」というネーミングも決まった。あっという間の数時間であった。河合さんが小説家であることも知らなかった。あの場所が「レキオス」という居酒屋であったとの実感は後からついてきた。レキオスとは琉球人とのポルトガル語であり、何時頃からこの屋号を名乗っておられるかは知らないが琉球の歴史や文化にこだわり続けた河合さんの気持ちが込められているように、いまでも思う。
 2017年冬であったか、上間さんとの連絡が取れなくなり、私は急に不安になり、河合さんに連絡した。河合さんも同じように異変に気付き心配されていた。「明日ご自宅に見に行ってきます」と言われた。そこで上間さんが病気で倒れ、入院していることが分かった。それ以来、河合さんと時々メールや電話でお願いしたりすることが多くなった。「上間さんとの御縁ですから」と、河合さんはそのまま「レキオからの便り」の責任を引き受けてくださった。新たな筆者を推薦していただいたり、お店に「現代の理論」を置いてもらったり、季節の変わり目には「パパイヤ」「マンゴー」などがNPOの事務所に送られてきた。本当にありがとうございます。
 河合さんが他界された後、「柘榴の櫛」を読み直した。この作品は『現代の理論』(2017春号)レキオからの便り①の原稿です。ちなみにレキオからの便り②は故上間常道さんの「牧志界隈」でした。河合さんの作品は、寝たきりとなった父親の介護をしていた時にお腹の中の息子へのメッセージを取り出すことから始まった。米軍と父親の人生を重ねながら沖縄の戦後史を語り続け、当時(那覇市)桜坂で暮らした家族の歴史でもあった。そこで母はクラブ「キューバ」という居酒屋を営んでいたと記しており、最後は認知症の父親の介護しながら父親を許容する心のさまを描いていた。私はこのような作品(原稿)を新しい『現代の理論』に掲載したいと思った印象深い原稿であった。作家という肩書も初めての人であった。
 河合さんの最後の返信メール(4月9日付)では、「そろそろ気力も少しずつ取り戻しているので私も書くことを考えているところです。何といっても『琉球』の連載を終わらさねばと、こればかりです」。私も熱心なファンである、「蒼き狼 琉球へ行く」(『琉球』の連載)を最後まで書き続けようと気力を振り絞っていたと思います。5月18日のメールへの返信はなかった。これまでにないことであったので、私は異変を感じた。書き続けたいとの気持ちを考えると私自身も無念です。晩年の短い7年余のお付き合いですが、数十年ものお付き合いでたくさんのものをいただいたと思っています。ありがとうございました。合掌。

(現代の理論 2023秋号)

*アイキャッチ画像は Wikimedia Commons より