ドイツに暮らす② 「多文化社会の現実」
フックス真理子
シリア難民生徒がやってきた
2020年11月。ついにわが公文式教室に現れた、シリア難民だった生徒が!現在ギムナジウム5年生の彼女は、5年前にドイツにやって来たのだという。つまり、メルケル首相が「私たちはできる!」と言って、大量のシリア難民を受け入れたまさにあの時だ。その生徒は、私よりよっぽど自然なドイツ語を話し、ドイツのティーンエイジャーが普段使うような語彙で自分について説明した。学力診断テストを実施してみると、基礎的な計算力には欠けているが、同世代の生徒たちをいつも見ている私には、別に驚くべきことではなかった。一緒に来た兄は、ギムナジウムの12年生で、来春、アビトゥア(高校卒業資格試験)を受ける。ドイツに来てまず総合学校に入れられたが、そこで先生に才能を発見され、10年生の時に、学校としてはワンランク上のギムナジウムに転校したという。要は、二人ともドイツの社会にみごとに包摂されて、今を生きているということだ。バルカン半島から人の大波が押し寄せてから2020年夏でちょうど5年。ニュース番組などで、このテーマは大きく取り上げられた。彼らは今、どのような生活をしているのだろうか。少し、データを使って見ていきたい(以下、出典-・写真は、公共放送ZDF heute 31.08.2020 「『私たちはできる』から5年 ファクトチェック」)
身の回りの多文化の風景
まず、難民庇護申請者の数に驚かされる。2019年12月末までに180万人。2014年には74万人だったから、この5年間で106万という巨大な数の人々がドイツにやってきており、その大部分が受け入れられたわけである。最大の出身国はシリア、そしてアフガニスタン、イラクと続く。このうち、いまだに無業の者がコロナ禍ロックダウン中の2020年4月現在で37,4%。他の者はすでに労働市場に組み入れられている。

住居事情について見てみると、2018年には、75%がすでに難民収容施設を出て、自分の住宅に住んでいる。そして、回答者の4分の3がドイツの生活に満足し、ドイツ社会で歓迎されていると感じているのである。唯一の努力項目は、ドイツ語の習得だ。ゲーテ・インスティトゥートによれば、B1レベルが習得修了の目安で、それによれば、重要な内容はすべて理解でき、自分の経験や興味関心について言明できることが要件である。ここに到達しているのが、難民のうちの約半数だという。その原因は、専門家によれば、アルファベットを一から学ぶ難しさに加えて、そもそも非識字者が難民にはかなり含まれていることだ。
一方、受け入れる側の社会が彼らに向ける目はどのようなものだろうか。2015年には懐疑的に見ていた人々も、2020年には、「ドイツは、難民をなお受け入れるキャパシティがある」と全体の3分の2が回答している。この出典のページには、受け入れた各地方自治体と人々の態度と支援、そしてまた難民自身のドイツ語習得に始まる懸命な努力があってこそ初めて到達できたこの状態が、コロナ禍で失われてはならないと、なんとも感動的な結語が置かれている。まさに、どれだけ叩かれても曲げなかったメルケル首相の難民を受け入れるとした強い意志が、5年間で立派に実った成果と言えよう。さらにそれを5年後にファクトチェックして、人々に納得させたメディアの役割も大きいと言わねばならない。
多文化の風景は、私達の身の回りにごく普通にある。私の公文式教室の生徒は、元シリア難民だった彼女だけでなく、実に多様な国の出自だ。もうすでにドイツ移民三世代目のトルコ人、それより少し早い時期にドイツにやってきたイタリア人、スペイン人、教育熱心なギリシャ人、見かけはドイツ人とほとんど区別がつかない、EU統合によって旧東ヨーロッパから流入してきたたくさんの人々、最近急増しているロシア人、中国人、インド人など。それに加えてちらほら、北米・南米・アフリカなどからも生徒がやってくる。何しろ、私の教室のあるノルトライン・ヴェストファーレン州の生徒の3分の1は、両親、またはどちらか一方の親が移民の背景を持っているのである。日本ではあまり考えられないだろうが、街を歩いていて、明らかにアジア人の私が道を訊かれることなどしょっちゅうだ。要は、外国人・ドイツ人という垣根が意識のうえでもほとんど消滅しているように思える。そして、これはさまざまな権利のうえでも同じで、非常に興味深いと思えるのは、政治にまで反映されていることなのである。

野党が結束したゲルリッツ市長選
ひとつ面白い例を挙げよう。ゲルリッツは、ドイツ東端の町。第二次大戦後、町を流れるナイセ川によって、旧東ドイツとポーランドに分断された。ただし、戦争であまり破壊されなかったので、美しい街並みがまだ残っている。この町の市長選挙が2019年5月に行われた。最多得票を集めたのが、AfD(ドイツのための選択肢)という極右政党、警察長官の候補である。ドイツで初めての極右市長の誕生かと大きく報じられた。しかし、得票が過半数に達しなかったため、決選投票が6月に行われることになった。その結果、3位の緑の党と4位の左派党の支持者が、2位だった中道右派のキリスト教民主連合の候補に投票。極右政党を逆転で破って、彼が市長に選出された。極右の市長を許してはいけないと、野党がみんな一つになったのだ。ところで、この新市長になったオクタヴィアン・ウルズゥ氏が興味深い。彼はルーマニアからの移民で、トランペット奏者。デュッセルドルフの音楽大学で学位を取った。こういう背景を持つ人が、ドイツの町の政治家として活躍するというところが、この「平等な多文化」の象徴であり、ひいてはヨーロッパの統合にもつながっていく。まさにこの町の歴史ならではの政治家アイデンティティともいえるだろう。「ゲルリッツは、開かれた社会、ヨーロッパの町であり続ける」とは、彼による当選の弁。
しかし、もちろん多文化の現実に問題がないわけではない。依然として移民を敵視し、排斥しようという極右の動きも活発化しており、すでに連邦議会にも先に述べた極右政党AfDが、かなりの数の議員を送り出している(定数709のうち、89議席。2020年1月現在)。特に旧東ドイツを中心にその支持が高い。実際は旧東側の人口における外国人比率は旧西側のそれが10%以上であるのに対して、軒並み4%台である。にもかかわらず、歴史的経緯や現政権への不満から極右の支持者が多い。ちなみに旧西側では、これに対抗しようとするカウンターの動きも盛んで、各地でデモが行われている。
イスラム過激派によるテロもヨーロッパでは頻発している。ドイツでは、2016年にクリスマスマーケットに大型のトラックで突入して多数の人々を死傷させた事件に、衝撃が走った。彼が、さまざまなところで偽名を使って、難民申請を繰り返していたことも分かった。ドイツ、またヨーロッパ社会に難民として入ったものの、包摂されず、不満を抱いている若者たちがISなどのリクルーターによって、過激化した例である。シリアに渡って戦闘員となるケースもあるが、2019年7月には、ISに参加した女性とそのこどものドイツ受け入れを拒否したドイツ外務省に対して、ベルリン行政裁判所が帰国を命令する判例が出た。法治国家とはいえ、ここまで寛容になるドイツに私は驚いた。なおもこのようなケースが数十件あるのだという。いずれにしても、多文化社会へ突き進む中で、一つずつの軋轢に対して、どのくらい社会の許容度があるか、まさに試されているといえよう。
市民になるためのテスト
もう一つ、別の観点からこの多文化包摂について考えるべき問題がある。それは、ドイツの原罪ともいうべき、あのナチスの犯罪に対して、新しくドイツに居住し、包摂されるさまざまな移民たちは、どのような形でどれほどの責任を負うべきかということだ。戦後75年。もはや当事者世代は社会の中で圧倒的マイノリティになり、彼らの記憶を直接受け継いでいる世代もすでに中高年に差しかかった。新しい世代は、歴史の授業の中で当然ドイツの「記憶する文化」の担い手となっていくが、果たして、たとえばシリア難民もそれについて等価の責任を負うべきだろうか。実は、ドイツでの定住許可を得るためには、ドイツ語能力試験の合格と合わせて、「市民になるためのテスト」の合格が必要である。そのテストでは、ドイツの法律知識のほか、政治の仕組み、ドイツの歴史、特に近・現代史について詳しく出題される。つまり、ナチスの歴史を学ぶことはドイツに住む者の要件なのだ。もちろん、学校では実際に歴史の授業の中で生徒全員がこれを学ぶのであるから、移民であろうがなかろうが、この歴史を知って、その記憶と責任をどのように継承すべきかということも同じく問われるわけである。難民という過酷な歴史を背後に持っている彼らは、もしかしたら、ドイツに生まれドイツに育つこどもたちよりも、より深刻にこのテーマと対峙することができるかもしれない。
さまざまな問題をはらみつつも、ドイツ社会において多文化の現実は、大いなる活力を呈している。イギリス、フランスのように、長らく植民地支配があって、その時代から移民の歴史を抱えていた国と違って、ドイツの場合は、逆にナチスのユダヤ人排斥の歴史があったからこそ、移民への眼差しが異なるように感じられる。先日、我が家のドアのカギが、ぽきっと中で折れてしまい、ドアの開閉ができなくなった。大慌てでカギ屋さんを呼んで、修理してもらったのだが、私が日本人だと分かったら、親しみをこめたおしゃべりが始まった。彼はロシアと紛争の続くチェチェンから来たのだという。自慢気に、「うちの三人のこどもたちは今、みんなここで大学に行ってるんだよ」と最後に付け加えた。その話を、在日の友人にしたらこう言われた。「うちは、三代かかっても、日本の社会で誰も大学になんか行けなかった!」
ふっくす・まりこ
1953年東京生まれ。ドイツ在住34年。上智大学大学院史学専攻博士前期課程修了。デュッセルドルフ ハインリッヒ・ハイネ大学教育学専攻博士課程修了 (Dr. phil.)。神奈川県公立中学校教員、英語塾経営などを経て、1986年よりドイツ、デュッセルドルフにて公文式教室指導者。現在、脱原発活動など、NPO3団体の代表をつとめる。著書に『ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う』(筑摩書房)。

(現代の理論 2021冬号)


