いつ、どこに自由があったのか ① そこに、歌があった

落合 恵子(作家・クレヨンハウス主宰)

 どこからかキャロル・キングの『YOU’VE GOT A FRIEND』が流れてきた。
 早朝の銀杏並木に停めたダークグリーンの車の窓から聞こえきて、わたしはちょっとばかりうろたえる。
 今はいない懐かしいひとを考えていたときのことで、この曲も彼女と出会った頃、盛んにラジオから流れていた記憶があるからだ。3歳年上の彼女は、わたしをデモに連れ出してくれたひとだ。
 歌というのは、だからやっかいなものでもある。単独で記憶の中に立ち上がってくれればいいのだが、それに付随するあれこれ、時代背景と共にやってくると、少しばかり波だった気持ちをもとに戻すのに、いささかの時間を要したりする。
 昨夜の雨が枝から落としていった鮮やかな黄色の葉がみっしりと敷き詰められた並木道。
『きみの友だち』という邦題でヒットしたこの曲を作詞作曲をしたのは、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、キャロル・キングだった。
 ♪……どうしようもない時、名前を呼んで。どこで何していても、あなたのところに走っていくから……。
 こういった友情をテーマにした曲がヒットしたのは、1960年代半ばを過ぎた頃から70年代だったろうか。泥沼化したヴェトナム戦争のさなかだった。
 友情もまた愛情のひとつの表情かもしれないし、あるいは愛情が友情のひとつの表情ともいえるだろうが、従来そう呼ばれていたラブソングとは微妙に違う感触に、20代のわたしは惹かれた。
 キャロル・キングの作品には、公民権運動においても自らが「動く人」であったアーティスト、アレサ・フランクリンのヒット曲として知られる、『ナチュラル・ウーマン』もある。
「黒いのはレコード盤だけでいい」、と自分が吹き込んだレコードのジャケットやレーベルに白人の写真を掲載された過去もある彼ら。
 晩年になってから『この素晴らしき世界』という大ヒットをとばしたことを心から歓迎したいあのルイ・アームストロングも、例外ではなかった。「素晴らしき」とは言いかねる社会を生きた彼のこのヒット曲が、いろいろな説はあるが、ヴェトナム戦争に反対の意をあらわすために作られた作品であるらしいこと。そしてヴェトナム戦争の悲惨さを、戦場の兵隊の一人、DJ担当者を通して描いた映画、『グッドモーニング・ベトナム』。その中の、一見のどかで美しい田園風景でこの曲が流れた事実もまた、深い意味がある。

◇   ◇   ◇ 

 わたしが18歳の頃、新宿のジャズ喫茶ではじめて聴いたアフリカ系アメリカ人の女性のアーテイスト、ビリー・ホリデイが歌う『奇妙な果実』。南部の大樹の枝に吊るされた、あの奇妙な果実。あれは、白人にリンチされ、枝に下げられたアフリカ系の人の死体であり、それをストレンジフルーツと歌った曲だった。ビリー・ホリデイ自身、幼い頃に性暴力の被害に遭い、生きるために「買春」の対象となり(性暴力の被害者がそうなるケースは少なからずある)、ドラッグの世界でしか安らぎを見出すことができなかったひとりだ。
 特に1950年代以前のアフリカ系アメリカ人が、白人中心主義社会でどれほどの差別を受けてきたか。それが21世紀の今も終わりを見ていないことについては、この国、日本における人種差別をはじめとしてもろもろの差別の未完の歴史と共に、またの別の機会に書きたいと思う。
 とにかく、人種的差別の構造下で押しつぶされないためには、芸能かスポーツの世界で頭角をあらわすしかない、といわれた時代の、かの国。芸能やスポーツの才に恵まれなかったもの(大多数はそうだ)は、どうやって生きていけばいいのか。さらに同じアフリカ系であっても、男か女かによって、差別の実態は違っていなかったか。あるいは、同じような差別を白人中心社会から受けながらも、アフリカ系の男は同じ肌の色の女を差別してこなかったか。DVの対象にしなかったか。女である、という理由だけで、受ける暴力が増えていく……。そしてそれは、かの国だけで起きた、残虐極まりない歴史であるのか。わたしにはそうは思えない。むろん過去完了にもなっていない。
 かつてラジオ局に勤務していた頃、「あのひとは……」と歌手や俳優さんの「生まれ」について、小声で教えてくれる先輩がいた。
 それがどうした! わたしは不快だった。理由は単純。わたしもまた「あのひとは……」と小声で囁かれる側に生まれたひとりだった。出自に関する噂話に、だからわたしは、余計センシティブになった。周囲が、地域が、社会が、学校や職場というもうひとつの居場所(否応なく,居なければならない場所だ)が、それを強制的に教えてくれた。

◇   ◇   ◇

 あの頃、愛読していたのは、本誌の読者の中にもご同輩がいるとは思うが、ポール・ニザンの『アデン・アラビア』。あの、あまりにも有名な冒頭の一節がある。
……あの時、ぼくは二十歳だった。二十歳が美しい季節だと、ぼくは誰にも言わせやしない……。うろ覚えで書いている。申し訳ない。
 困ったことに本は、その中のフレーズを確かめるために必要とする時に限って、姿を隠してしまうものであるらしい。
 ポール・ニザンに出合うのと前後して、わたしを夢中にさせてくれたのは、一人の女子学生が書いた、『わが愛と反逆』だった。所美津子さん。1939年生まれ、1968年、70年安保の2年前に、29歳で病で亡くなっている。
 所さんのこの本だけは手元にあるのは、2011年3月、福島第一原発の事故直後に、どうしても読み返したいフレーズがあって、探し回った結果だ。……(略)科学者の一人一人に人類の幸福と関わりあっているという自覚なしには、科学の発展を、資本の生産性、利潤率を高めるものとして要求する国家権力の前では、科学者は無力である。我々の研究への努力が人類の幸福につながらない現在、我々は発言を学問上の権利要求にとどめないで広い視野と深い洞察をもって、国家の科学技術政策の本音を見破り、反権力の抵抗の姿勢を貫こう……。……(略)学問がかつて支配者に対して自由だった事があったろうか。(神無書房発売)
 岸田政権によって原発再稼働すら、すんなりとテーブルにのる2022年の11月。
 わたしたちは、体験から何を学んだのか。そしてわたしたしたちは、今、どこにいて、どこに向かおうとしているのか。
P.S本稿で紹介した歌のほとんどは、以前どこかで書いたものである。忘れてはならない……。そんな思いを込めて記す。

おちあい・けいこ
1945年栃木県生まれ。文化放送を経て執筆業に。東京と大阪で、子どもの本の専門店クレヨンハウス、有機食材のレストラン等を運営。東京店は、2022年12月から、46年間いた表参道から、吉祥寺へ。子ども時代から大好きだった井の頭公園の近くへ。新刊に『わたしたち』(河出書房新社)

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