新しい政治潮流のキー概念 ポピュリズム 民主主義の危機と機会を示す両義性 2018年冬

木下 ちがや(明治学院大学国際平和研究所研究員) 

(1)はじめに―   

 ポピュリズムという政治概念は古くからある。それが現在、重要な概念として普及したのは、従来のポピュリズムの定義にあてはまる政治現象があらわれたからではなく、既成政治からはずれているとみなされる政治現象を捉える必要性からである。つまり、この間生じてきたさまざまな新しい政治潮流を理解するための鍵概念としてポピュリズム概念は使われている。
 現在ポピュリズムという概念は、アメリカのトランプ大統領やフランスの国民戦線のマリーヌ・ルペンたちの政治潮流の解説に主に使われる。疎外された国民の声を代弁し、エリートと移民との敵対性を喚起するデマゴーグ的政治家を指す言葉として使われるのである。
 大衆を煽動し、排外主義的な国民主義に走るトランプやルペンのポピュリズムは、なるほどファシズム前夜の様相を呈している先進国において、民主主義の危機を示すものにほかならない。だが、このように現在のポピュリズムをトランプやルペンだけに代表させてしまうと、現に生じつつある新たな諸政治勢力による対抗のポリティクスをつかまえることができなくなる。政治学者の水島治郎は、これまで使われてきたポピュリズムの定義を、大まかに二つに分けて提示している。第一の定義は、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル、第二の定義は、「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動、である。そして「ポピュリズムとは、政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層(および社会の支配的価値観)を批判し、『人民』に訴えてその主張の実現をめざす運動」だとする(1)。このような水島のポピュリズムの定義は、トランプやルペンだけではなく、それに対抗的な新しい政治潮流にもあてはまると思われる。  
 たとえば「99%」を代弁し「1%」のエリートと対決した2011年の全米「オキュパイ・ウォールストリート」運動もこの定義にあてはまるだろう。また、この運動の流れを受けて2015年のアメリカ大統領予備選で大健闘した民主党のバーニー・サンダースはまさにポピュリスト政治家だということになる。

(2)「人民」という集合概念と「個人」を キーワードにしたリベラリズムのズレ

 では、トランプもルペンもオキュパイ運動もサンダースもみなポピュリストであり、だからこれらはみな現代社会を蝕むファシズム的病理である、と片づけられるだろうか。
 こうしたさまざまな政治現象の同一視の多くは、リベラリズムの観点からおもに提示されている。これは、ポピュリズム運動と政治の核にある「人民(ピープル)」という集合概念が、多様性に価値を置くリベラリズムにとって受け入れがたいものとみなされているからである。「人民」「民衆」といった単一のアイデンティティのもとに大多数派を結集することは、社会の同質化をもたらし、多様性を破壊し、ひいては少数派の抑圧につながるという懸念がそこにはあるのだ。事実、トランプやルペンは、移民を敵に設定し、国民アイデンティティを喚起するという排外主義的なものである。そこからイメージされる「人民」はナチスの行進、戦時動員、そしてカリスマに熱狂する大集会である。ポピュリズムには、デマゴーグに煽動された群衆(モッブ)、あるいは権威主義に従順な盲目的大衆のイメージがつねにつきまとい、「自立した市民」が公的空間で熟議するというリベラリズムの理想的政治像の対極に設定される傾向がある。
 だが、こうしたポピュリズムのイメージは、われわれがこの間目の当たりにしてきた民衆的な民主主義運動、たとえば「アラブの春」、オキュパイ運動、「怒れるものたちの運動」、台湾ひまわり運動、香港雨傘運動、そして日本の反原発集会や反安保闘争にあてはまるだろうか?これらを同じファシズム的病理と片づけられるだろうか。
  このように、ポピュリズムという一般名詞で名指される政治と運動にはさまざまな種類がある。現代のポピュリズムは、既成の支持基盤を超え「人民」あるいは「民衆」の集合的意思を喚起することでは形式的に共通するものの、どのような支配的秩序に挑戦しているのか、どのような要求を掲げているのか、どのような方法をとろうとしているか、またどのような階層、出自の「民衆」によって編成されているか、そしてどのような歴史的過去によって自己を正統化しているかによって、その内容は規定される。
 だから、ポピュリズムには「右も左もない」というよく言われる言説は、2016年アメリカ大統領選挙でトランプとサンダースが、また2017年フランス大統領選挙でルペンとメランションが、そして2017年の日本の総選挙で小池百合子のポピュリズムと枝野幸男のポピュリズムがそうであったように、現実政治においては対立的な「左右のポピュリズム」が競合しているという事実を覆い隠してしまう。
 またポピュリズムは「(右か左かではなく)上か下かの対立である」という、これもよく言われる言説は、現実政治を支配者が群衆(モッブ)に襲撃されるという「ゾンビ化された世界」に戯画化し、それを憂える支配層に警戒感を抱かせる役割を果たすにすぎない。
 「歴史が終わり、左右の対立は消滅した」と言われたポスト冷戦期の四半世紀を経て、迷妄な群衆が公的空間を侵食しはじめたという「恐れ」は、従来保守勢力と社会主義勢力の地盤であったスペースに、煽動的極右勢力が進出することで現実化している。他方で、「抵抗の年」と呼ばれた2011年以後、世界各地で大規模かつ民衆的な民主主義的政治運動が台頭した。これらの運動では、自発的に立ち上がった民衆の自由な交歓が「広場の占拠」というかたちで可視化された。またこれらの運動は、SNSをはじめとする最新のコミュニケーション技術を駆使し、新たな大衆的ネットワークの構築に挑戦するとともに、歴史的過去にうずもれていた民衆的闘争の経験を掘り返し、現在の社会的・文化的条件にふさわしいかたちで再生させようとしている。そして、これらの運動がみな公共空間における大規模集会を志向し実現させてきたのは、多種多様な人びとを「人民の集合体」に結実させ、かつて左翼・リベラル勢力が領有していた公共空間における陣地を奪還するためなのである。
 このように「ポピュリズム」という言葉には、民主主義の危機をあらわすものと民主主義の機会をあらわすものがともに含意されている。それはすべてのポピュリズムが同様の社会的、経済的、文化的条件から生じていることに起因している。ポピュリズム的政治空間の社会経済的土台は、とりわけ日本を含む先進国においては、フォーディズム的社会経済的秩序の収縮、労働のフレキシブル化、生産のアウトソーシングを基軸とした新たな階級分化の発生とアンダークラスの形成、また、市場原理の席巻による個人主義の台頭、多元主義の社会への浸透がもたらす雇用、家族、コミュニティの崩壊である。現代のポピュリズムは、閉塞した時代遅れの政治システムを刷新しようとする運動にほかならない。それは硬直した古いシステムからの脱却の兆しであり、社会的・経済的条件の変化に対応する公的政治空間をつくりあげようとする実践にほかならないのである。したがって、いま必要なのはポピュリズム政治と運動の一般的「形式」の是非を問う規範的な論争ではなく、おのおののポピュリズム政治と運動の「内容」を規定する歴史的・社会的条件が、政治過程にもたらす政治力学の分析である。

(3)日本におけるポピュリズム政治の展開の歴史像 ―60年安保闘争と3・11以後の社会運動

 日本政治史上、最初にかつもっとも、政治過程に強力なインパクトをもたらした大衆運動は60年安保闘争だろう。この闘争は今日の「3・11後の社会運動」とは異なり、職場、学園で組織化された大衆運動であった。だが一面において、久野が述べるように「制度的、組織的枠組みを超えた、動学的、運動的な情動共同体の形成」という、ポピュリズム運動しての性格も強く有していた(2)高度経済成長下での社会経済的大変動状況のもと、民主主義の危機に対して新たな民主主義的参加の回路を開くというポピュリズム政治のモデルは、戦後革新勢力の側から提示されていた。
 だが、こうした運動は持続しなかった。高度経済成長は社会を安定させた。革新的なポピュリズムを起動させてきた不満や要求は、企業中心の社会の中に吸収されていく。68年の闘争もその担い手は学生中心で他の階層への広がりを欠き急速に収束していく。70年代後半に入るとストライキやデモは社会の風景から次第に消え去り、それと入れ替わるように消費文化が発達した。80年代のバブル経済のもと、「総保守化」がすすみ、革新的な大衆運動は人びとが「豊かな社会」に包摂されていくことで解体されたのである。
 90年代の冷戦崩壊後、日本の政治社会の相対的安定をもたらしていた「既得権システム」が、グローバル化する資本主義の障害とみなされ新自由主義改革が本格的に始まることになった。この「既得権システム」の変革と破壊を掲げる政治勢力が登場することで、ポピュリズムは「新自由主義」と結びつくかたちで公的政治空間に再登場した。93年の「政治改革」と政権交代は、「無党派層」という言葉が本格的に普及した新自由主義的ポピュリズムのはしりであった。だが、それが本格的に展開したのは2001年の小泉政権の登場によってである。「抵抗勢力」の打倒を正面から掲げた煽動的な「小泉ポピュリズム」は大衆の政治参加を促し、2005年の「郵政解散」では長期的に低落しつづけてきていた投票率を一気に67%にまで引き上げた。ポピュリズムは、いまや保守政治が新自由主義的改革を遂行するための手段にとって代わった。
 こうした新自由主義的ポピュリズムは、小泉政権が終わった後も橋下徹、小池百合子といったポピュリストらにより、全国的な保守政治と拮抗あるいは補完する、都市中産階級を軸にした政治統合の手法として地方政治の次元で引き継がれている。だが、こうした中産階級基軸の新自由主義的ポピュリズムとは異なるタイプのものが台頭する条件も生まれつつあった。
 2008年の「リーマンショック」が引き起こした世界的な恐慌は、日本では反貧困運動を台頭させ、翌年の政権交代では投票率はおよそ70%にまで跳ね上がった。これまでとは異なるポピュリズム運動が台頭する条件は、この時期にすでに整いつつあった。「3・11」の危機はまさに、この条件を運動化、政治化していく契機となった。このような社会的・経済的条件に規定されることで、「3・11後の社会運動」がある特定のかたちをとり、その条件を同じくする世界的な「2011年以後の社会運動」と共通の性格を有することになったのである。

(4)総選挙―二つのポピュリズムの台頭と競合―立憲民主党・草の根民主主義的ポピュリズム

 2017年9月25日の電撃的な衆議院解散をうけた選挙戦序盤の台風の目となったのは小池百合子率いる「希望の党」である。昨年の都知事選で無党派層の支持を獲得し圧勝した小池百合子率いる都民ファーストと希望の党は、ポピュリスト的戦略にもとづいて躍進を図ろうとした。この「小池ポピュリズム」は、トランプ大統領やマリーヌ・ルペンたちの政治手法と同系列のものともみなしうる権威主義的なものである。しかしながら、当初首都圏のみの展開を想定していた希望の党が、民進党を丸呑みすることで全国展開するという「無理」に走ったことが、内部対立を激化させ、リベラル派の「排除」に帰結したのは周知のとおりである。そしてこの「無理」に走ったことが思わぬ副産物を生んだのである。希望の党から「排除」されたグループが立ち上げた新党は、3・11以後の社会運動から学習し、草の根からの政治を訴えるという、これまでの民進党にはできなかった手法を前面に押し出したのである。
 「たった一人」で立憲民主党を結成した枝野幸男の、ポピュリスト的な政治手法は、民主党代表選のときから採用されていた。国会議員票で圧倒的な優位にあった前原誠司に対抗するためには、党員・サポーター・地方議員の票を集める必要が枝野にはあった。代表選において枝野は、脱原発、反安保、反安倍政権の主張を従来の民進党のスタンスよりもより明確に掲げ、民意をよりストレートに反映する民進党の刷新を訴えていた。また街頭演説も大衆集会のスタイルを演出し、「民衆の政治家」というイメージを強く押し出していた。その結果代表選で枝野は、党員・サポーター票を予想外に集め、大善戦していた。
 民進党代表選においてこのような手法に確信を得ていたことが、枝野に総選挙告示ギリギリのタイミングでの新党結成を思い切らせた最大の要因だったと思われる。立憲民主党が訴えた「下からの政治」は、3・11後の社会運動の要求とスタイルを節合するものであったとともに、希望の党の内紛に幻滅した有権者にビジョンを提示した。そして日本共産党が結党したばかりで先行きが見通せない新党を信頼し、ただちに候補者の一本化をしたことが、同党のさらなる押し上げに貢献した。立憲民主党は、安倍政権に反対する世論の風を一身にうけ、また共産党、社民党やその支援者たちの下支えを得たことで、15議席から55議席という大躍進を遂げることになった。
 総選挙における野党再編はまさに「破壊と創造のプロセス」であり、民進党をがんじがらめにしていた「しがらみ」を、権威主義的な「上からのポピュリズム」と社会運動をリソースにした「下からのポピュリズム」が競合しながら破壊していくプロセスであった。しかも結果的には権威主義的ポピュリズムの党の胎内から―しがらみをろ過しながら―腹を食い破るかたちで純化されたポピュリズム政党が誕生した。この前例なき事態こそが今回の総選挙の焦点であり、日本におけるポピュリズム政治の展開が新たな段階をむかえた画期として評価されるべきだろう。

 (5)ポピュリズムと民主主義再生

 とはいえ安倍政権に対抗する野党はまだまだ未熟である。政治から疎外された、行き場のない膨大な無党派大衆が時々の「新党ブーム」に乗っかるものの、たちまちのうちにブームは去り離合集散を繰り返すというパターンがここ十数年続いてきた。人々のごくあたりまえの要求をしっかりと政治に反映させるための回路が先細っていることが、さまざまな種類のポピュリズムが台頭する原因である。つまり民主主義の危機こそがポピュリズムを生み出している。しかしだからこそ、民主主義再生の機会を開くためにはポピュリズムとともにあらねばならない。狡猾なデマゴーグが扇動するポピュリズム政治に対抗するためには、ポピュラーな運動による下支えが必要だということを、今回の立憲民主党の躍進ははっきりと示した。権威主義的な安倍政権と、扇動的ポピュリスト政治家がせめぎ合う公的政治空間のなかで、「ポピュリズムに抗しつつ、ポピュリズムとともにある」民主主義再生を求める大衆的な運動が、対抗的政治と節合していくことの重要性は、これまでになく膨らんでいると思われる。

(注1)水島治郎『ポピュリズムとは何か』中公新書、2017年、6―7頁
(注2)久野収『久野収セレクション』岩波現代文庫、2010年、54―55頁

(現代の理論2018冬号)