<特集 憲政の回復と立憲的改憲論>国民投票すると9条はどうなるの
■憲法改正権の行使=国民の「憲法意志」の表明と魔力
山田 勝(本誌編集長)
自衛隊を9条に付加するとどうなるの?
現状ではまだ、改憲項目も改憲文案も定まっていない。具体的な憲法改正論議は極めてしにくいが、本論では、仮に、安倍首相が強く主張している9条3項に自衛隊を付け加えるということを前提にして議論を整理し、憲法改正議論の筋を明確にしたい。
秋の憲法国会で憲法改正項目とその文案が発議されると、主権者国民は、国民投票で一人一人改正文案について賛成、反対の態度表明を行う。改正項目文案ごとに、過半数の賛成を得た文案はそれぞれ憲法改正成文として組み込まれ、ただちに全体の憲法成文となり、新憲法として公布される。
つまり、私たち主権者国民は、賛成反対は別にして、歴史上初めて憲法成文の一部をつくる公的な作業(憲法改正国民投票)に直接参加することになる。憲法改正発議案がどれだけ現憲法の精神を破棄するものであれ、国民投票法がどれだけ悪法であれ、日本の市民が国民投票で直接判断した結果が新憲法として成立する。このこと自体、画期的な出来事である。
重要なことは、公布された新憲法は日本の法体系の根本法、最高法規として立ち現れ、天皇、国会(衆参両院)、内閣(内閣総理大臣)、司法(最高裁)、財政(会計検査院)、つまり、国家の分立した三権と国家機関の活動の憲法規範となり指針となる。基本的人権など社会生活の上でもそういう扱いを受ける新たな時代が始まるということだ。
例えば、自衛隊を明記することが過半数の賛成を得た場合、自衛隊を批判する市民運動は反憲法行為としての制約を受けることになる。恐らく何らかの関連立法が新たに成立すると自衛隊批判の行為は処罰の対象になりうる。
また、あえて言えば、普通の憲法の常識でいえば、自衛隊を憲法に明記するならば自衛隊のシビリアンコントロールはどうするのかという問題が発生する。本来自衛隊加憲論はシビリアンコントロールと合わせて提言されるべきだが、安倍改憲勢力にはそのような憲政上の常識は通用しないし、政治倫理上の問題意識も欠如している。軍法会議も近い将来必ず新たな立法で最高裁の外側の特別裁判所として設立される可能性が強い事は言うまでもない。
新たな問題も生じる。国会(衆参両院)、内閣(内閣総理大臣)、司法(最高裁)という憲法上明記された国家機関、統治機関の中に自衛隊が同格で憲法上明記される。
では、自衛隊の陸海空三軍の長(統幕僚長)は、最高裁判所長官と同格になるのか?
現状では、誰も想像できない設問である。
つまり、現在は防衛大臣の指揮下で、防衛事務次官と同格である統幕僚長の地位は、将来も防衛大臣の指揮下に収まるのか?自衛隊と内閣が憲法上同格であるとすれば、統幕僚長は内閣総理大臣と同格になり、当然、防衛大臣の上になる。5年先か10年先かはわからないが、憲法上はそのような法理(スジ)になる蓋然性が高い。こうした事態は、戦後憲法下では想像できないことだが、法理上は当然のこととなる。
戦後は誰にも想定されていなかったが、しかし、戦前の大日本帝国憲法(天皇制国家)での仕組みはそのようになっていたことをあらためて思い出しておく必要がある。
軍隊は天皇大権の一つである統帥権のもとにあり、内閣も議会も裁判所も関与できない仕組みになっていた。それでも予算は国会で決めることになっており、国防予算の増額と軍縮の闘いが連綿と続き、軍拡・軍国主義と民力休養・軍縮の闘いは議会内外でさまざまに行われてきた。周知のように最後は陸軍大臣・海軍大臣の武官制によって、軍部の意向で、大臣辞任で内閣は崩壊した。議会も政党も軍部に屈することになった。立憲主義の崩壊であった。
自衛隊加憲復古勢力はこの戦前の日本国家の戦争遂行体制樹立の歴史に学び、自衛隊加権を打ち出しているのだ。シビリアンコントロールを一切考慮せず、偽善的に自衛隊を独自に取り出し、憲法に付加する政治は日本国家を再び崩壊させる道、すなわち集団的自衛権行使・他衛戦争体制の樹立に向かう。日本の国のかたちが変わる一歩だ。言語矛盾であるが安倍政権による合法的なクーデターである。
以上が憲法9条に自衛隊が書き込まれることによる直接的影響とその後の可能性についての私の意見であるが、憲法改正国民投票の結果は同時に重要な政治的効果を持つ。
暴走する安倍政権に追い風となる憲法上の根拠を与えるので、当然、政治的には安倍内閣の9条解釈の変更(解釈改憲)は合憲化され、違憲の安保法制さらには秘密保護法などの違憲立法群も合憲化される。安倍専制政治の暴走が加速する。充分予想されることである。
9条自衛隊加憲が否決された場合は?
別の角度から、もう少し、憲法改正の法理を検討したい。
ここで問題にすることは、では、9条自衛隊加憲が否決された場合はどうなるのか?
憲法成文上は加憲案が拒否されたので、現行憲法9条成文はそのままとなる。現在の9条成文のままだから、何も変わらないのか?そんなことはあり得ない。
主権者国民は憲法改正国民投票(憲法96条)によって、9条自衛隊加権を拒否する意思を鮮明にしたのであるから、これは、「不文」ではあるが、憲法改正が成立した時と同じ水準の憲法意思として国政上取り扱う必要がある。
この国民の憲法意思は自衛隊違憲にまで及ぶのか、専守防衛は許容するのか、つまり憲法改正権の規範力はどこまで及ぶのかは、国民に憲法改正案を発議する前には国会は明確にすべきである。この問題は、憲法改正の基本問題であり、改憲への賛否に関係なく、すべての国会議員と政党の責任である。
憲法上の法理とは別に、政治的にはっきりしていることは、「憲法9条は現行のままでよし」と選択する国民の憲法意思は安倍政権が進めてきた解釈改憲とその集団的自衛権行使体制への拒否を判断したことになる。従って、文案上は「不文」であっても、その政治効果は、少なくとも2014年7月1日の9条解釈変更の閣議決定とそこを根拠にした安保法制及び日米ガイドラインの白紙撤回をすることになる。繰り返すが、この政治判断は、9条を巡る憲法改正権の規範力がどこまで及ぶのかとは別に、政治的な効果として、憲法改正国民投票に示された国民の憲法意思に沿うものである。
憲法改正国民投票の結果は、単に安倍内閣の総辞職になるという話ではない。憲法上の国民の意思として日本国家の在り方に関する意思として了解し、国家機関の三権を拘束し、あらゆる法律・法令を拘束することになる。
この点に、個別テーマによる国民投票と憲法改正国民投票の結果の決定的な違いがある。前者には法的拘束力はない(従って諮問型国民投票になる)が、後者は国民の憲法意志として憲法の最高規範としての拘束力を直ちに生じることになるからだ。
主権在民を根拠にする憲法改正権
私たちは国民主権の発動とは選挙権の行使であると教育され理解しきた。この認識は国民の常識である。つまり戦後一貫して選挙権の行使として国民主権を限定的に理解してきた。代表を選出する間接民主主義である。今直面している事態はこの常識では対応できない、この常識を超える現実が出現しているということだ。
私には強いられたとはいえ、憲法改正権を実際に行使する時が訪れるとは想定外の出来事である。安倍・復古勢力は一強体制を背景に戦後レジームの解体と新たな国家主導の社会経済体制樹立、この国のかたちを破壊することをめざしている。その出口は自民党改憲草案である。議会の空洞化を条件とした行政権力主導の官僚専制政治の出現である。安倍首相は2020年新憲法施行を提言しているが、国民投票については全く言及していない。安倍一強体制といわれるが、その基盤が脆弱であることをよく知っているからだ。現代日本社会は護憲運動と保守本流が相互依存しながら作り上げてきた戦後体制であり、憲法9条を柱とした憲法体制として定着しているので、復古勢力はこれを突破し破壊することに総力戦を挑んでいる。憲法体制にとっての緊急事態である。
現憲法の誕生は8・15法的革命として説明されてきた。残念ながらこの時主権者国民は登場しなかった。受動的革命といわれる所以である。
先の総選挙で立憲民主党は発足20日間で1100万票の支持を得た。驚くべき政治的流動化である。どんなに野党がだらしなくとも日本の市民の危機感が爆発し、市民社会の底力が発揮された。このマグマは依然として社会の中で蓄積されており、一定の条件があれば爆発することが今日の政治的特徴である。現局面は強いられたとはいえ、国民が直接自分の手で憲法改正に臨み自衛隊加権を拒否し、現憲法を選び直す歴史的チャンスである。後世は8・15革命の補足革命と名付けるかもしれない。保守革新を問わず、思想・信条を超えて、9条だけは守るべきだとする広範な国民の声を結集し、平和のための国民投票で、自衛隊加憲を拒否することは十分可能である。
(現代の理論2018春号)
*アイキャッチ写真は衆議院ホームページより


