靖國神社の憂鬱 最高裁孔子廟違憲判決のブーメラン  

内田 雅敏(弁護士)

那覇市の孔子廟公有地提供は違憲

 2021年2月24日、最高裁大法廷は、沖縄県那覇市が孔子廟の為に公有地を無償で使用させていることは、政教分離を定めた憲法20条及び公の財産を宗教団体等に支出するのを禁じた89条に違反すると判決しました(14対1)。
 この判決について、各紙社説は、孔子廟が宗教的性格と共に学問的性格をも併せ持つがゆえに、憲法の政教分離原則のこのような厳格な適用にある種の驚きを覚えながらも、憲法が政教分離原則を定めた経緯、すなわち戦前、神道が国家と結びつき国家神道として猛威を振るい、軍国主義の道を突き進み1945年8月15日の敗戦に至ったという苦い教訓によるものであることからして、最高裁大法廷が政教分離原則についてこのように厳格に判断したのは理解できるとしています。そして朝日新聞、信濃毎日新聞など、この厳格さは靖國神社、護国神社等への首相、知事ら公人の参拝、真榊など供物の提供等々についても適用されなければならない旨述べる論調もあります。
 政教分離原則を巡る最高裁違憲判決は 愛媛県が靖國神社、護国神社に玉串料を支出したことが問題とされた「愛媛玉串料訴訟」(1997年)、北海道砂川市が神社に市有地を無償提供していることが問題となった「空知太神社訴訟」に次いで3例目です。これらの判決の根幹を形成するのが愛媛玉串料訴訟判決です。そこでは、目的効果基準が論じられました。即ち、玉串料への公金支出がどのような目的でなされ、またそのことによってどのような効果、つまり、一般人がそれを見て、この宗教は国または地方公共団体と密接な関係にある特別な宗教なんだなと思うようになるかどうかです。最高裁大法廷は13対2で、これを認め、玉串料への公金支出を違憲と判断しました。
 この判断基準を準用すれば、首相らの靖國神社参拝、真榊などの供物料の提供は、それが公金でなく自己の財布から出されたものであったとしても、一般人をして靖國神社が特別な宗教と認識させることは十分に考えられるところです。しかし、これまで、最高裁が、首相らの靖國神社参拝、真榊など供物料の支出について、合憲違憲の判断していない(請求は棄却しながらも、判決理由中で首相の靖國神社参拝を違憲とした判決は、地裁、高裁で、数件あります)のは、我が国で原告となって裁判を起こすには具体的な権利侵害、すなわち、首相らの靖國神社参拝、供物料の支出によって具体的に損害を被ったことが要件となっているからです。これを「訴えの利益」といいます。首相らの前記行為によって不快感等を覚えたとしてもそれだけでは「訴えの利益」がないとして請求棄却、すなわち、首相らの靖國神社参拝、供物料の支出の合憲違憲の判断がなされないままに裁判が終わってしまうからです。愛媛玉串料訴訟、空知太神社訴訟、そして孔子廟訴訟の場合は、被告が国や、首相らとは異なり、地方公共団体なので、地方公共団体の公金支出等については住民による監査請求権があり、これに基づいて具体的な裁判として成立するのです。
 制度上の不備により、首相らの靖国神社参拝、供物料の支出の合憲違憲が裁判所の判断にさらされないとしても、首相らが、憲法の政教分離原則を順守しなければならないことは当然です。

「政教分離」の過熱化は避けたい?

 菅首相らは、孔子廟への那覇市公有地の無償使用を厳格な政教分離原則に基づき憲法違反とした最高裁大法廷判決を尊重し、靖國神社参拝はもとより、真榊などの供物料の支出はやめるべきです。
 2月25日付産経新聞社説(主張)は[だが「違憲」が独り歩きしては困る。今回の判決を盾に社寺の伝統行事などにまで目くじら立てるような「政教分離」の過熱化は避けたい。……首相ら、公人の靖国神社参拝や真榊奉納に「政教分離」を持ちだす愚も避けるべきだ]と述べています。もともと、この孔子廟違憲訴訟は、那覇市在の右翼的な人物が反中国、反那覇市政的発想で提起し、原告代理人もその筋では有名な弁護士で、産経新聞も訴訟を支持して来たのですが、判決の持つ「ブーメラン効果」に慌てているようです。最高裁判例は、当該事例だけに限らず、判例法として「独り歩き」するのです。原告代理人弁護士は筆者の問いに以下の様な率直な、あまりにも率直なコメントを寄せています。

 靖国神社にとって悩ましい判決ではないかというご意見ですが、そのように考えるものもあるのは確かですが、今回の裁判は、まさしく靖国神社の政教分離問題を解決することを念頭に行ってきた訴訟でもありましたので、そのことについて簡単に説明させていただきます。 
 孔子廟訴訟では、宗教施設が有する公共目的と公益性が問題となりました。公益性と公共性が、政教分離違反を緩和させるパラメーターであることが明確になりました。高裁では、一定の金額を支払えば、政教分離違反とはいえないという判断もだされて、政教分離原則違反の問題は、「宗教かどうか」という原理的な問題ではなく、「関与の程度」の問題だということが明確になったと理解しています。 
 結果として、久米崇聖会という施設の所有団体が、一族の宗教儀式を行うための施設を市民公園に移設して無料(通常年間570万円)で設置するという翁長氏が那覇市長時代に行った市民と憲法を無視した無茶苦茶な政策だったということが理解され、孔子廟設置を中国による沖縄支配の象徴だと捉えて反対活動を行ってきた市民活動家の女性の捉え方を一般人の受け止め方として認め、勝訴することができた事件でした。 
 神道以外の宗教が政教分離原則違反とされた初めての事案であり、改めて敗戦という政治的ないし歴史的文脈を離れて、国家と宗教文化ないし伝統との関係が問われたという意味で、政教分離の政治イデオロギー的性格を相対化することに役立つ判決だと自負しています。

 背景的な問題ですが、久米三十六姓は、沖縄の保守派の中でも、大きな勢力をもっており、オール沖縄の紐帯の役割も担ってきました。中国との関係が危惧されていましたが、そこに痛撃を与えたことが、本件の政治的な意義でもあります。辺野古基地問題との関係では長期的に見て、そのことが与える影響は少なくないだろうと考えています。
 靖國神社は、頼みとしてきた天皇参拝が途絶えて久しく、首相らの参拝、それがかなわないならば、せめて供物料だけでもとしており、今回の大法廷判決により、供物料の提供は違憲だという声が大きくなるのを悩ましく思っているようです。

略奪した狛犬―中国からの返還要求

 靖國神社の悩みは前記最高裁判決だけではありません。神社に魔除けとして置かれた狛犬が中国からの略奪品だとしてその返還を求められているのです。
 靖國神社正門大鳥居前に由緒ありそうな古びた一対の狛犬が「魔除け」として置かれています、
 靖國神社には合計で4対の狛犬が居ます。大鳥居前のものが一番古く、一番新しいのが、1966(昭和41)年に正面入口に置かれたもので、元衆議院議長(岸内閣)の清瀬一郎の寄贈によるものです。
 清瀬一郎は、東条英機らA級戦犯が裁かれた東京裁判で、主任弁護人を務め、法廷で堂々と大東亜戦争聖戦論を展開し、国内外を驚かせた(呆れさせた)人物です。このような人物の寄贈になる狛犬が今日でもなお、先の戦争はアジア解放のための「聖戦」であるとしている靖國神社の正面入り口に置かれているのは、或る意味、当然かもしれません。
 本稿は、そのことについてではなく、靖國神社の狛犬たちについて述べようとするものです。
 靖國神社では上記狛犬のほかに駐車場の横、石鳥居のところそして南門に各一対居ます。
 一番獰猛そうで怖いのが石鳥居のところに居る狛犬で、これは獅子型でなく山犬型とでも云いますか、1933(昭和8)年に寄贈されています。南門の狛犬はブロンズ製で1963(昭和38)年に寄贈されています。
 この4対の狛犬を比べてみると、大鳥居前の一番古い狛犬と他の狛犬とは違うことが分かります。まず怖さが違います。他の三つはいかにも神社の番犬という感じですが、写真でも明らかなように大鳥居前の狛犬はどことなくとぼけた感じもあり独特な存在感のある狛犬です。しかも雌犬は背中に子獅子を載せています。他の三つの狛犬にはオリジナル性はなく、他の神社でもしばしば見かけます。ちなみに清瀬寄贈の狛犬は、京都府宮津市在の籠(この)神社の狛犬(和製狛犬では最古のものと云われ、国の重要文化財)のコピーです。

 大鳥居前の狛犬は中国の石獅子で、1876(大清光緒2)年に制作され、遼寧省海城市のの三学寺に奉納されたもののようです。日清戦争の際に日本軍が三学寺を野戦病院として使用し、この狛犬を見つけ、山形有朋軍司令官と相計り、「陛下の叡覧に供して大御心のほどを慰め奉りたい」と日本に持って来たようです。
 靖國神社発行の『靖國神社百年史資料編』は以下のように記しています。
 「この狛犬は,偶々その寺の日本野戦病院たりし縁に由って見出され」、「畏くも九重の雲上高く召し上げられて天覧の栄を賜り」、「誠に以て世にも稀なる幸福に恵まれし狛犬よと思われる」。『新撰東京名所図解』にも、この狛犬が「遼東より捕獲し来りたるものなり」と記されているそうです。
 神社正面入り口に魔除けとして置かれた一対の狛犬が中国からの略奪品だったのです。現在、中国民間対日賠償請求連合会が、この狛犬を中国から略奪された文化財として、靖國神社に対して前記のような経緯を述べたうえでその返還を求めています。対日賠償請求連合会は「石獅子は中華文化で威厳、吉祥、正義、神聖のシンボルであり、我が国の文化の宝が中国を侵略した戦犯をまつる靖國神社に置かれることは到底許されるものではない。石獅子に魂があるとすれば、今現在置かれている場所、そして100年余りにわたる屈辱に心を痛めているに違いない」と述べています。
 「泥棒博物館」、大英博物館に比べればかわいいものだとは思いますが、「護国の英霊」達の「聖地」の魔除けが、略奪品とは情けないではありませんか。1966年に清瀬一郎が狛犬を寄贈し、大鳥居前の狛犬より、さらに前の入り口に置くといういわば屋上屋を重ねるということをしたのは、前述のような経緯を知ったからではないかとも思われます。

北関大捷碑の韓国への「返還」

 靖國神社は狛犬の返還要求にどう対応するのでしょうか。悩ましいところです。韓国との関係でも、類似のケースがありました。「北関大捷碑」の返還です。 「北関」とは朝鮮の地方の名前で、大捷碑というのは秀吉の朝鮮侵略(文禄・慶長の役 1592年~93年、97年~98年)に際して、加藤清正軍を撃退した朝鮮軍の鄭文孚将軍の戦いを讃えた碑文を刻んだ記念碑です。
 これを1907年に三好成行中将が日露戦争の戦利品として朝鮮から持ち帰り、皇居内に設けられていた戦利品陳列所である振天府に献上されたのち、靖國神社に置かれていたのです。前述した狛犬もそうですが、靖國神社はどうしてこういったものを集めている(いた)のでしょうか。
 2005(平成17)年、靖國神社は韓国からの要求に応じ返還しました。返還された「北関大捷碑」は、韓国で展示された後、元々建立されていた北朝鮮の地に復元され、現在、北朝鮮の国宝遺跡に指定されています。
 この返還について靖國神社は、国から預かって保管していた碑を「引き渡し」たのであって返還ではないと言い張っています。1965年日韓基本条約・請求権協定の締結に付随しての朝鮮文化財の返還に関しても、同様な問題が起きていました。韓国側は、当該財物は植民地支配下で違法に奪われたものであるから「返還」されるべきだと主張しました。日本側は、これを否定し、国有物については「引き渡す」とし、民間の所有となっているものについては「韓国側に寄贈されることになることを希望する」としました。植民地支配の歴史に真摯に向き合わない日本政府のこういう態度が、韓国との間の問題を難しくしているのだと思います。

追記 返さなければならないもっと大切なもの
 靖國神社は狛犬よりもっと大切なものの返還を求められています。それは、韓国、台湾などの旧植民地下で、日本軍の兵士、軍属として使われ、戦死(戦病死を含む)人々の「魂」です。靖國神社はこれ等の死者たちを創氏改名のままで、勝手に合祀しています。靖國神社は、遺族よりの合祀取り下げ請求に応じていません。応ずると靖國神社の生命線である「戦死者の魂独占」の虚構が崩壊してしまうからです。
[2021年7月10日の認定NPO現代の理論・社会フォーラム2021年度通常総会記念講演をまとめたものです]

(現代の理論2021秋号)