憲法改正国民投票を考える イタリアにおける憲法改正国民投票(2016年12月4日)
内藤 光博(専修大学教授)
■プレビシットと化した国民投票
国民投票の陥穽
イタリアでは、2016年12月4日に、政府与党・民主党のマッテオ・レンツィ首相が強く推進した上院(元老院)の大幅な権限縮小を主要な争点とする憲法改正国民投票が行われた。結果は、投票率65・47%、改正反対59・12%に対し賛成40・88%となり、憲法改正案は否決された。これを受けレンツィ首相は、同月7日に首相を辞任し、13日には外相のパオロ・ジェンティローニ氏が新首相に就任した。
法案の署名者であるレンツィ首相とマリーア・エレナ・ボスキ憲法改正・議会担当大臣の名前をとって「レンツィ・ボスキ案」と呼ばれている今回の憲法改正案は、上院議員の定数削減、政治諸制度の機能に係るコストの抑制、経済労働国民会議の廃止、憲法第2編第5章の見直し(県の廃止を中心とする地方自治制度改革)に加え、上院の権限を大幅に縮小し、実質的な一院制へと政治システムを転換しようとする戦後最大規模の改正案であったが、レンツィ首相の思惑に反して、国民投票により否決された。
しかし、それ以上に重要なことは、今回の政府(首相)主導による憲法改正案に対する国民投票がプレビシット(政権担当者に対する信任投票)と化し、憲法改正の是非について議論を尽くした上での国民による最終決定という国民投票の本来の目的が等閑視され、レンツィ首相の信任投票となってしまった点である。この現象は、あらゆる国民投票に生じうる可能性を秘めた大問題である。本稿では、今回のイタリアの憲法改正国民投票を題材に、この「国民投票のプレビシット化」という問題を考えてみたい。
イタリア憲法の憲法改正国民投票制度
イタリア共和国憲法138条が規定する憲法改正手続によると、議会が「憲法改正法」の制定により、立法によりを改正することになる。憲法改正発案権は、政府(閣僚会議)・両議院の各議員・憲法的法律で定める機関および団体(経済労働国民会議)・国民(5 万人以上の有権者が条文形式で提案)・州議会にある。
憲法138 条では、第1項で「憲法改正法律及びその他の憲法的法律は各議院において少なくとも3カ月の期間をおいて引き続き2回の審議をもって議決される。そして第2回目の表決においては各議院の議員の絶対多数によって可決される」とし、第2項では「前項の法律はその公布後3カ月以内に1議院の議員の5分の1、50万人の有権者または五つの州議会からの要求があるときは、国民投票に付される。国民投票に付された法律は有効投票の過半数で可決されない限り、審議されない」、また3項で「第1項の法律が各議院の第2回目の表決において、その議院の3分の2の多数で可決されたときは、国民投票は行われない」と規定されている。
つまり、「憲法改正法」は、上下両院での各2回の議決によって採択されるが、2回目には各院それぞれ3分の2の絶対多数による議決がえられなかった場合には、当該の「憲法改正法」公布後、3カ月以内に一つの議院の5分の1の議員、あるいは50万人の有権者または 五つの州議会の要求があれば、国民投票に付することになるのである。国民投票実施にあたっては、憲法裁判所が、必要な要件を充たしているかどうかを審査して、実施の是非を決定することになる。こうしてみると、イタリア憲法の憲法改正手続では、日本国憲法とは異なり、国民投票は絶対必要条件ではなく、議会の立法だけで改憲が可能となる場合があることから、憲法改正は比較的容易に行えるということができる。
上院改革論議の背景
イタリア共和国憲法では、ムッソリーニへの権力集中によるファシズム政権の樹立に対する反省から、権力分立と権力相互の抑制機能を重視し、日本国憲法における衆議院に優越を認める「跛行型二院制」とは異なり、上院と下院(代議院)が、全く同等の権限を有する「完全型二院制(bicameralismo perfetto)」がとられている。(イタリアの二院制について、後掲のフザーロ論文および芦田論文を参照)
憲法70条では「立法権能は、両議院が共同で行使する」とされ、下院の優越はなく、上下両院が同等の立法権能を有している。したがって、上院と下院で法案等について異なった議決がなされた場合にも、日本国憲法における両院協議会のような調整の仕組みは構想されておらず、しかも法律案や予算法律案は同一の条文で可決されなければならない。また、94条1項では「政府は、両議院の信任を受けなければならない」とされ、首相の信任についても、上下両院で一致することが必要とされる。
今回の「完全型二院制」から「実質的な一院制」への移行を目指す「レンツィ・ボスキ案」が浮上する直接の契機になったのは、2013年2月に行われた上下両院の総選挙の結果であった(高橋①論文参照)。この選挙により、上院では中道右派、下院では中道左派と異なった多数派が形成さるとともに、ジュゼッペ・ピエーロ・グリッコ氏率いる「五つ星運動」が台頭することにより、議会の政治勢力が、これまでの中道右派および中道左派からなる二極構造が崩れ、五つ星運動を加えた三極構造が出現したことである。この結果、上下両院で、新しい内閣を信任できない状況がおこり、同年4月に中道右派と左派の大連立によりエンリーコ・レッタ内閣が成立するまで、2カ月間の政治的空白期間が生じたことが、「レンツィ・ボスキ案」による上院改革案を生み出すこととなった。
「レンツィ・ボスキ案」の概要
「レンツィ・ボスキ案」では、こうした「完全型二院制」を変更して、「構成と権限が異なる実質的な一院制」への移行を目指したものであり、内容は次のようにまとめられる。
第1に、 上院を、コムーネ(市町村)・大都市・州の代表機関、すなわち「領域団体の代表」機関に変更することである。改正案では、上院議員の選出方法を直接選挙から間接選挙にかえ、州ごとに現職の州議会議員および州領域内のコムーネの首長の中から党派の構成に比例して、州議会が選出する間接選挙制度を導入する。
第2に、上院議員の定数削減である、改正案では、現在の315名から100名に定数を削減することにより、議員報酬などコストの削減を行うことを提案している。その内訳は、74名について21州に人口に比例して定数を割当て、党派に比例して選出し、21名を各州領域内のコムーネの首長に割り当て、残る5名を大統領による任命議員とする。
第3に、上院の立法権限の大幅縮減である。まとめると、おおむね次のような内容となる。
①上院の政府信任権の剥奪
改正案では「下院は、政府との信任関係の唯一の担い手であり、政治的指針の形成権、立法権および政府の行為に対する監督権能を行使する」とされ、政府(内閣)の信任権は下院にのみ与えられ、上院の信任権は剥奪されている。
②上下両院による議決を要する「両院立法」を憲法上限定
改正案では、上下両院で共通の審議および議決の対象となる法案を「両院立法」とよび、これを憲法改正・選挙制度・上院の組織・州および地方自治体の組織に限定し、通常立法の議決権を剥奪している。
③通常立法の審議は補助的役割=下院の優越的審議権
「両院立法」以外は、下院が先議権をもち、下院で可決された後に、上院に送付されるが、上院では10日以内に、3分の1以上の議員の要求があった場合にのみ、下院案を審議できるとされている。上院で審議することが決まった場合、審議開始から30日以内に修正案を議決できるが、下院は上院の修正案を通常の議事手続(単純多数決)で採決できる。
このような「レンツィ・ボスキ案」に見る上院の立法権限を大幅に縮減することによる実質的な一院制への移行について、憲法学者や与野党の議員からは、下院の独走をチェックする上院の役割が奪われることにより民主的チェックが低下することに対する危惧が表明される一方で、法案通過が迅速化することにより「決定できる政治」が実現する点で「大きな進歩である」と高く評価する意見などが出されるなど、その賛否は大きく分かれていた。
首相の信任投票と化した国民投票
たしかに、イタリア憲法の「完全型二院制」のもとでは、レンツィ首相が再三にわたり述べたように、選挙により上下両院で与野党の勢力バランスが崩れて「ねじれ現象」が生じた場合、法案の審議・議決をめぐり永久にピンポンゲームが行われて決定ができず、政治の効率性と安定性を欠くこともあるだろう。
とはいえ、日本のような「跛行型二院制」に移行するというのならばともかく、上院の立法権限を形骸化し、事実上の一院制を作り上げることは、相対的に議会の力を弱めて、行政府(内閣)の力を強めようとする行政権優位の政治システムを作り上げることになり、権力分立の原則にも抵触しかねない極端な改憲案といわざるをえない。
しかし、実は、今回の国民投票では、こうした「純粋な憲法上の論点」が実際の争点とされたのではなく、争点は「政治的論点」、つまりレンツィ政権を支持するかしないかという「信任投票(プレビシット)」にすり替わったのである。
2014年2月に発足したレンツィ内閣は、直ちに上院改革を骨子とする憲法改正法案=「レンツィ・ボスキ案」を発表し、同年3月には閣議決定をした後、上下両院でそれぞれ2回の審議と採決により、憲法改正法案を可決したが、3分の2の絶対多数による可決に至らなかった。そのため、政府は、同年4月以降 国民投票の実施に必要な署名を集約し、8月には憲法裁判所が国民投票実施を容認した。さらに、同年11月14日に、レンツィ首相は、国民投票で改正案が否決されれば首相を辞任すると示唆したが、12月4日の 憲法改正国民投票で「レンツィ・ボスキ案」は否決されることになった。
筆者が今回の国民投票をプレビシットとみる理由は、以下の通りである。
第1に、直接的には、2016年11月14日に、レンツィ首相が、国民投票により憲法改正案が否決されれば、首相を辞任し、政界を引退すると表明した時点で、プレビシットに転化したといえる。つまり国民投票の争点が、憲法改正の是非を問うことからから、レンツィ首相に対する信任投票にすり替わったのである。
この傾向は、あらゆる国民投票に起こりうる現象である。議会の多数派の信任を受けた政府(政権担当を担う首相)の側から、憲法改正の是非を問う国民投票を求めることは、プレビシットに傾きがちだ。なぜなら、議会多数派(与党)は、選挙により国民多数の支持の上に成り立っているのであるから、議会多数派の支持を背景とする政府(首相)は、憲法改正という目的を果たすために、自らの政権をかけて、国民に支持を求めるという手段をとることは、政治戦略としてきわめて有効な方法であるからである。
第2に、今回の投票結果を地域的に見ると、「レンツィ・ボスキ案」に対する賛成票が多数を占めたのは、イタリア北中部のエミリア・ロマーニャ州とトスカーナ州など中道左派が優勢の州である。反対票の多かった地域は、恒常的な経済的停滞に苦しんでいる南部諸州であった。こうしてみると、とくに政治的イデオロギーの違いによる傾向は認められず、レンツィ政権の諸政策(とくに経済政策)に対する評価が、国民投票の結果に大きく影響を及ぼしたことが分かる。(この点について、後掲・高橋②論文が詳細な分析を行っているので、参照されたい)
国民投票のプレビシット化の危険性
今回のイタリアにおける憲法改正国民投票を見ると、国民投票がプレビシットに転化した典型的な事例とみることができる。国民投票がプレビシット化した場合、現政権を信任するか否かに問題がすり替えられ、憲法改正の内容自体が充分議論されず、改正の内容と改正によってもたらされる帰結が国民に充分に理解されないままに、投票が実施されてしまう。憲法改正における国民投票のプレビシット化の問題は、改正案の中身にもよるが、政権担当者による憲法の破壊をもたらしかねない、立憲主義にとって重大な問題である。
また、国民投票を要求する主体が、議会の多数派(与党)に基盤を持つ首相など政権担当者であった場合に、国民投票がプレビシットに傾く傾向は大きい。この点を考慮してか、イタリア憲法138条が規定する国民投票について、憲法学説では、本来、憲法改正に反対の政党(議会の少数派)が「当該の憲法改正の否認を求めて請求するもの」と限定的に解釈し、議会多数派(政権側)による国民投票の請求を否定的に捉えている点は興味深い。
さらに、国民投票がプレビシットに転化するもう一つの要因となりうるものは、国民投票にかけられる論点の提案方式である。イタリアの憲法改正国民投票の論点の提案は、憲法上、「憲法改正法案」によるものとされている。今回のイタリアの憲法改正国民投票でも、複数の改正点を一つの憲法改正法案にまとめ上げて提案されている。しかし、このような一つの憲法改正法案による提案方式だと、多岐にわたる改正点を包括的な一つの法案にまとめられてしまうことから、提案内容が複雑となり、それぞれの改正点と相互の関連性の理解、そして改正によりどのような効果を導くのかということについての理解がきわめて困難になる可能性が高い。したがって、提案者が余程の懇切丁寧な説明をしない限り、国民をして、提案者への信任に基づく投票活動(つまりプレビシット)へと導きかねない。
以上見てきた国民投票のプレビシットへの転化の問題性は、日本での改憲をめぐる今後の動向を考えるにあたって、充分に注意を要する問題である。
参考文献
カルロ・フザーロ(芦田淳訳)「イタリアにおける二院制」岡田信弘編『二院制の比較研究―英・仏・独・伊と日本の二院制―』(日本評論社、2014)所収。
芦田淳「イタリアにおける二院制議会の制度枠組とその帰結」前掲・岡田編『二院制の比較研究』所収
高橋利安①「レンツィ内閣による憲法改正の政治的背景について」修道法学39巻2号(2017)
同 ②「レンツィ内閣による憲法改正の結末」法学新報124巻1・2号(2017/4)
(現代の理論2017秋号)


