ドイツに暮らす ① コロナ禍とドイツ 思想としての音楽
フックス 真理子
2019年9月5日。この日はデュッセルドルフ交響楽団常任指揮者、アダム・フィッシャーの70歳の誕生日コンサートだった。満員の会場で、彼の新刊の伝記が紹介され、満面に笑みをたたえた彼は、何度もジョークを飛ばしながら挨拶をし、軽やかにモーツァルトを振った。アダム・フィッシャーは、ユダヤ系ハンガリー人。ウィーンで学び、バルトークはもちろん、マーラー、ハイドンの指揮でも定評がある。彼の祖父母はホロコーストの犠牲者だ。ハンガリーに右派政権が誕生すると同時に、それに抗議して、ハンガリー国立歌劇場音楽総監督の職を辞した。その後、デュッセルドルフにやってきたのである。デュッセルドルフ交響楽団は、この大指揮者を得て、革命的に音楽が変わった。そして、聴衆の数もうなぎのぼり。コンサート会場に出向くと、時を重ねるごとに、客席が面白いほど埋まっていく。その変化ぶりを目の当たりにした私は、一人の音楽家の力にあらためて感嘆の意を覚えた。ところで、アダム・フィッシャーは、自分の背負った歴史を、生き方の根底に据え、反差別の人権活動家としても知られている。毎年1回、デュッセルドルフで交響楽団のメンバーと人権コンサートを行い、収益を人権団体に寄付している。
強く、と言えば、強く
音楽家は、高い技術や音楽性をもって、ただ美しい音色を奏でるだけではない。そこに自らの思想、全人格が湧き出ている。このことは、ドイツのコンサートで音楽を聴くとき、多くの場合、実感させられるものだ。だがそれはまた、解釈の違いをめぐって、演奏家たちが音楽の背後で熾烈な戦いを演じているということをも意味する。二つのエピソードをはさみたい。コンサート前には、しばしば演奏者たちのトークが行われるが、ある日そこに、ヴォルフガング・サバリッシュが登場した。日本でも有名なこの指揮者は何を言うのだろうと、興味を持って聴いていると、司会者がこう水を向けた。「サバリッシュ教授、あなたは世界中のオーケストラを指揮していらっしゃいますが、オケによってその違いなどはありますか。」この質問に対し、サバリッシュはこう答えた。「一番簡単なのは、日本のN響です。強く、と言えば、すぐ音が強くなる。弱く、と言えば、弱くなる。ところが、ヨーロッパのオケでは、こうはいかない。強くと言っても、自分はこのくらいが強い、いや、その解釈は間違っていると、大論争が始まるのです。本当に大変です。」さもありなんと、聞いていた私は思った。これに関連してもう一つ思い出すのは、うちの息子たちがギムナジウムの生徒だったときのこと、進路と教科選択についての保護者会での話だ。いわゆる文系、理系、必修、選択などの教科群について、ひととおり説明のあったあと、私がびっくりしたのは、音楽、美術がドイツ語、英語やフランス語などの外国語とまったく同じカテゴリーに入れられていたことだった。日本だったら「主要3科目」とか「主要5教科」などと言われるではないか。必然的に、国・数・英、それに加えて、理・社と続く。音楽や美術は、技術教科として、たいして重要な扱いを受けていない。それがドイツでは、音楽で取る1も、ドイツ語で取る1も(ドイツでは1が最高、6が落第点)、自己表現という観点からは、まったく同等の価値を持っているのだ。ドイツ人の音楽観が、ここにはよく表れていると思った。
生活の中の音楽
多くのドイツ人にとって、音楽、特にクラシック音楽は決して特別なものではない。大都市にはたいていそれぞれのオーケストラがあって、人々はコンサートやオペラを安価で楽しむことができる。筆者は、こちらの大学に入学して教育学を学び直していたが、学割の恩恵を大いにこうむり、足しげくコンサートに通った。その魅力が捨てがたく、博士課程の学費がタダだったこともあって、ずるずると大学に在籍し、学割を最大限に利用した。コンサートに行くと、出会うのはやはり中高年が多いが、オペラや教会のオルガンコンサートなどでは若者や子どもたちもよく見かける。たしかに若い世代が好んで聞く音楽は、クラシックではないだろう。しかし、このクラシック音楽が、もはや彼らに継承されず、この種の音楽が死に絶えるということはなさそうだ。
一度、フルーティストのドイツ人の友人と話したことがある。彼女曰く、音楽とは「もう一度出会う喜び」そのものだ、というのである。自分がかつて聞いたメロディ、その響きの流れに新しいものがどんどん入ってきて、しかし、最終的には自分の知っているアコードで終わる。それを凝縮したものが、いわゆる長調や短調の音階であり、その響きは誰もが共有している、と。それらは生活の中で、たとえ日本の子どもたちでも、西洋音楽がメジャーな今、自然に学習していくのであろうが、私はそこで、ドイツにはもう一つ大切な役割を果たしているものがあると見ている。それは、キリスト教文化であって、具体的に言うなら、思春期くらいに受けるカトリックの初聖体、プロテスタントの堅信礼の準備である。教会も、脱会者が毎年どんどん増え、社会全体の世俗化が進むドイツであるが、普通の家庭のドイツ人にとってみれば、これは比較的多くのこどもたちが参加する通過儀礼。ふだん教会に行かないこどもたちも、このための勉強会には参加し、キリスト教の教義を学び、聖歌や讃美歌を歌う。実は、この教会音楽の中に、クラシックの基礎がある。必然的に、ドイツの子どもたちは、基本的なキリスト教的倫理観のほかに、なじみのあるメロディをこの機会に覚えるのである。ここで、身についた音楽の基礎が、後に「もう一度出会う喜び」への契機となる。彼らが中高年になった時、きっと彼らはそれらに出会うコンサートへ足を運ぶようになるだろう。
コロナ禍の音楽支援
ところで、世界的なコロナ禍により、ドイツもロックダウンを余儀なくされた、コンサートもオペラも、すべてキャンセルとなり、コンサートホールは閉鎖された。かなりの数のオーケストラが、活動の場をインターネット上に移し、音楽を求める人々に応えようと努力した。筆者の友人であるヴァイオリニストも、自分のオーケストラは閉鎖されていたが、いつでも声がかかればすぐ応じられるように、自宅で孤独な練習を重ねていた。彼等の自己表現は、聞き手があることによって、その交歓を通し、よりいっそう明確になり、喜びも深くなる。それが、一方通行のネット音楽になったのだから、どれほど苦痛だったことだろう。それでも、彼らはなんのお金にもならないプロジェクトを自主的に立ち上げ、ネット上に自分たちの演奏動画をアップしていた。だが実は、定職のあるこのヴァイオリニストは、はるかに恵まれていて、フリーの演奏活動に従事している音楽家たちは、ロックダウンでたちどころに生活の苦境に立たされた。もちろん、連邦政府として、手をこまぬいていたわけではない。緊急経済支援を行い、弱小の音楽家たちは当面の生活支援を受けられたのだが、そればかりではなかった。
グリュッタース連邦文化大臣は、すでに3月の時点で6兆円規模からなる芸術・文化支援を行うと発表し、その規模の大きさが世界の注目を集めた。そして、それを「アーティストたちは、私達が生活するうえで、必要不可欠な存在だ」と明確に理由づけた。それは以下の政策から成っている。
〇零細企業・自営業者向けの緊急支援を芸術・文化領域にも適用:500億ユーロ(6兆円)
〇個人の生活の保護(6カ月間の生活保護審査の緩和、住宅や 暖房費など):100億ユーロ(1兆2000億円)
〇法的措置の緩和(家賃滞納による退去の阻止など)
ちなみに、これらは国籍不問の措置である。この政府の姿勢に、音楽家を含む芸術家たちはどれほど勇気づけられたことだろう。筆者はかなりの数の在独日本人アーティストの友人がいるが、皆口をそろえて、このコロナ禍で、ドイツにいられてよかったと言っていた。
音楽文化の継承に見る多文化
まさにこの政策こそ、ドイツという国が一貫して取ってきた音楽文化に対する態度のあらわれと言えよう。各地のオーケストラの外国人の割合はかなりの割合に上る。ドイツ国籍を持つ外国出身の音楽家も多いし、名前だけでは判断できないから、いったいどのくらいになるのか、まったくの推量でしかないが、多人数にのぼることは間違いない。一つ、下の写真を見ていただきたい。これは、先にあげたヴァイオリニストが属するNiederrheinische Sinfonikerのコンサートホールの外にかかっている垂れ幕である。「この屋根の下では29の国籍を持つ人が働いています」。このヴァイオリニストもご多分にもれず、マケドニアの出身。そして彼のように、旧東欧圏から来て、ドイツで活躍する音楽家たちは実に多い。バッハも、モーツァルトも。ベートーヴェンも、今やその担い手は皆、ロシア文化を体現する人間たちである。ドイツ音楽の理性的な、思想としての音楽に、彼らの、情感を豊かに表現する文化が加わると、そこには人間のあるべき全体像のようなものが醸し出される。先の大戦で、独ソがどれほど苛烈な戦いを行なったかを想起するなら、今の、この音楽における相互依存の関係は大変に感慨深い。私のかつての生徒で、今や世界的なピアニストになった日本人女性がいて、彼女はデュイスブルク音大の正教授でもあるが、彼女の大学のゼミでは、ドイツ人はわずか二人で、残りはすべて非ドイツ人、東欧の学生、中国人、韓国人なのだそうだ。ドイツ文化の根幹をなす音楽文化の後継者を育てるのに、ドイツ政府は国籍を選ばない。国技と言われる相撲でモンゴル人横綱をめぐる、日本人の閉鎖的でみみっちく、屈折した心理とはかけ離れたおおらかさだ。良いものは、どんな手を以てしても残す。この信念のあり方こそ、また一つの思想の表れといえまいか。

ふっくす・まりこ
1953年東京生まれ。ドイツ在住34年。上智大学大学院史学専攻博士前期課程修了。デュッセルドルフ ハインリッヒ・ハイネ大学教育学専攻博士課程修了 (Dr. phil.)。神奈川県公立中学校教員、英語塾経営などを経て、1986年よりドイツ、デュッセルドルフにて公文式教室指導者。現在、脱原発活動など、NPO3団体の代表をつとめる。著書に『ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う』(筑摩書房)。

(現代の理論2020秋号)


