ドイツに暮らす③「第十位の後ろには」-女性を取り巻く風景
フックス真理子(ドイツ在住)
時が30年戻った
2021年2月、ただいまドイツはコロナ禍でロックダウンの真最中である。ようやくワクチン接種は始まったものの、感染者数がなかなか減少に転じず、厳しい規制の毎日が続いている。今回は、一般商店のみならず、昨年暮れまで踏みとどまっていた保育園や学校もついに閉鎖に追い込まれ、オンライン授業が行われている。新しい規制では、企業はホームオフィスを基本とし、それを実施しない場合には、きちんとした理由付けがない限り、許されないことになった。自分の家がすべての構成員にとって、唯一の生活の場になったわけである。実際問題、こどもたちのオンライン授業の場合、コンピューターの操作一つをとっても、特に低学年では、親の助けが必要であるし、学校から出される課題は、なかなか一人で取り組めるものではない。意外かもしれないが、ドイツのこどもたちは小さい頃は日本と違ってあまり自立できていない。その面倒を見ているのは、多くの場合母親である。また、家族全員が在宅になると、食事の世話も負担になる。自分でも仕事を抱えている母親は、ふだんの倍も家事育児に時間を取られ、落ち着いて自分の仕事に集中できない。
昨年秋に行われたニューストーク番組で、ベルリン社会科学研究センターの女性所長が「男女平等を取り巻く状況は30年分ほど巻き戻るのではないか。」と警鐘を鳴らした。30年といえば、ベルリンの壁が崩壊した少し後くらいである。ドイツ統一後、旧東ドイツの女性は、それまでまがりなりにも男女平等でともに労働していた社会から、急に西側の波が押し寄せてきて、保育園の少なさや賃金格差にさらされた。そのころの彼女たちの目線に捉えられていた西側の女性たちは、「若く美しく魅惑的な女性ばかり」で、「社会の客体でしかなかった」(『ドイツの見えない壁』註1)。この本のインタヴューから彼女たちの声を引用しよう。「(統一直後)今のように『男の職場を奪わず、家庭に帰れ』といわれるようなことはありえませんでした。いま、男たちはまたたくまに『家長』であるという立場を思い出し、女性たちの自信はくずれています。西では同じ仕事をしていても、女性のほうが賃金が少ない。こういうあからさまで直接的な差別は、東の女性には新しい経験です」。
3Kの仕事
コロナ禍で今、ドイツの女性たちの立場がその30年前に戻ったという見方から、二つの異なる時間軸を考えてみたい。一つは、その時点まで続いていた、旧西ドイツを中心として支配的だった女性の家庭での伝統的役割観の時代。はからずも今回それが露呈したということだ。一方、この30年前を起点として、現在までおおむね前進という形で続けられてきた変貌の時代がある。ドイツの戦後は、女性にとってどのようなものであったか。まずは、前者の時代を振り返ってみよう。私のドイツ人の友人に、現在85歳の元検事長女性がいる。戦後まもなくケルン大学で法学を学び、当時2人目の女性法律家としてキャリアを積んだ彼女から面白い話を聞いた。ドイツでは長い間、公務員の女性は結婚できなかったのだという。公務員は、仕事に専従することが国家に対する義務であって、主婦は家庭での家事・育児が第一の仕事であるから果たせないというのが、その理由だった。それが解禁になって、少しずつ女性公務員が現れてきたのはやっと60年代からだとか。なにしろドイツで初めて男女同権法が成立したのは、1958年のことである。それまでは、婚姻関係で、最終決定権は夫にしかなく、妻は夫に従う義務があった。そして実際には60年代の終わりごろまで、女性の役割は3K(Kinderこども、Kuche台所、 Kirche教会)とされており、男女同権法が成立したにもかかわらず、妻の就業は夫の許可がなければできなかった。また、今では同棲や婚姻届を出さないカップルがあふれているドイツだが、当時は、結婚していない男女が一緒にホテルに泊まるのすら難しかったという。それが、学生運動の時代、いわゆるアメリカからのウーマンリブの波を受け、ドイツでも「女性解放」がトレンドワードとなり、その動きが盛んになった。反権威主義をうたっていた学生運動の男性性も批判を浴びた。こういう活動にようやく法律が追いついた。男性の許可なしで、女性が自由に就労できるようになったのはなんと1977年のことである。あわせて婚姻・離婚法も改正され、女性の権利が高まった。
また、ピルの普及も男女平等に重要な役割を果たした。生理痛を和らげるという目的でその使用が開始されたのは、1961年である。最初は既婚女性を対象としていたのが、60年代後半には規制が緩和され、避妊薬として一般化した。特に低用量ピルが開発されてからは低年齢層にも普及し、セックスやパートナーシップに対する考え方を根本的に変えた。十代のうちからピルを処方してもらうことは当たり前となり、両親も公認で、性的関係を含む付き合いが始まる。性はタブーテーマではなくなり、受け身的だった女性たちが、対等の関係を求めるようになったのだ。
政治の努力
このように、大きく変わってきた西ドイツ社会でも、東西の壁が崩れた時点では、東側の女性が見ると、いまだ女性の地位は低かった。ところで2020年、ジェンダーギャップ指数でドイツは世界第10位だった。このランキングは、スイスの非営利団体、世界経済フォーラムが、男女格差を数値化して2006年以来毎年発表しているもので、指標となるのは、①経済活動の参加と機会 ②初等教育および高等・専門教育への就学機会 ③健康と寿命 ④政治参加の4項目である。北欧諸国は男女平等が進んでいることで知られ、上位を占めているが、ドイツもその次くらいに位置している。つまり、東側女性が嘆いた壁崩壊の時点から今に至るまで、これらの項目でドイツ社会は大きな変遷を遂げたのだと言える。そこで次に、この30年間にどれほどの変化があったのかを見てみよう。一番の契機となったのは、政治におけるクオータ制である。これを最初に導入したのは、緑の党であった。1986年のことである。緑の党は、環境保護をもっとも大切なテーマとして挙げるが、女性解放についても関心が高かった。その「女性規約」は、選挙のための候補者名簿を男女交互とし、女性が奇数を占める、すなわち男女比が50%というラディカルなもので、現在までそれは継続している。これに社民党が続き、また他の政党もクオータ制を取り入れるようになり、女性議員の割合が飛躍的に伸びていった。
そして2005年には、政権与党である、保守党のキリスト教民主連合からドイツ史上初めての女性首相として、アンゲラ・メルケル党首がその座に就き、これが何よりも男女平等への追い風となった。メルケル氏は、旧東独の出身である。統一によって、男女を取り巻く現実にまだ相当な差があると認識した東の女性の一人だったからこそ、なしえたことかもしれない。政治家の中に女性が多数存在するというのは、ドイツに暮らす私が日本との違いとして、とりわけ認識させられるところだ。連邦議会のニュースをTVで見ると、まず議場自体がカラフルなことに気付く。ダークな背広を着た議員ばかりが目に入る日本の国会中継と違って、女性議員の服装が明るい。政治における女性の存在感への好例を、写真で挙げる。右から、メルケル首相、中央はフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長、左は、フォン・デア・ライエン氏がEUに転出することになり、彼女の後任となったクランプ・カレンバワー国防大臣である。その国防大臣就任式の時の一シーンだが、国の中枢部を担っているのはすべて女性たちだというのがよく分る。普段からこういう場面をニュースで見ているドイツのこどもたちは、これが当たり前として頭の中にすりこまれる。

異議申し立てを学ぶ教育
教育現場ではどうか。少し、30年を超えてさかのぼってみよう。かつて女性の地位が低かったころ、教育からもっとも遠いところにあるといわれていたのが、地方のカトリック信徒で労働者階級の娘たちであった。だが現在は、大学進学資格の取れるギムナジウムへの進学率は、女子が男子よりはるかに高い。また、学校での成績は、男女差がかなりあり、女子のほうが成績がよい。しかし、ここに至るまでは、教育現場の問題意識と絶えざる努力があった。社会にフェミニズムが台頭してくる60年代後半、それまで男女別学だった学校が共学となって、ジェンダーにとらわれない教育が目指された。だが、これも80年代後半ごろから批判を受けるようになる。というのも、共学にはなったものの、授業が相変わらずステレオタイプの男女観に基づいて進められたり、理系は男子、文系は女子という風に、選択科目が選ばれたりしてしまうからだ。そこで、女子が弱い理系科目を中心として、さまざまな支援教育プロジェクトが実施された。部分的・一時的な男女別学の可能性も模索された。教員に対しても、ジェンダー意識にとらわれていることを自ら発見させるように働きかけた。それにあわせて、教員の意識も変化したし、同じ頃、授業方法そのものも、教師が黒板の前で説明する一方的な授業から、対話を多用する双方向的な授業に変わっていった。男女を問わず、こどもたちのコミュニケーション能力が向上し、自己表現が豊かになった。

私の職場である公文式教室でドイツのこどもたちを見ていると、必ずしも、女子のほうが平均的に力が上だとは思わない。しかし、勉強の出来不出来にかかわらず、女子も男子も自分の意見がはっきり言えるのは共通している。私は、実はここが、数々の制度改革以前にある、ドイツと日本のジェンダーギャップ指数の差の源に思えてならない。不正や不公平に対して、きちんと異議申し立てができるかどうか。その練習が教育現場で日ごろからなされているかどうか。日本以上にひどかったドイツのジェンダーギャップは、こうして「自分の意見を表明し、人に戦略的に伝える」という教育から、克服に向かい、いまや世界第10位となった。先日、当地でたまたま日本の校則について特集するラジオ番組を聞いた。その中で、日本には、厳しい校則があり、特に女子が守るべき決まりが、男子に比べてはるかに多いのだと報じていた。それはドイツ人の目に「不平等」にしか映らない。おそらく日本ではそのようなことがほとんど問い直されず、意識もされず、女子は言われるままに守っているのだろう。こういう教育を通して、ジェンダーギャップ指数先進国中最下位、第121位の「日本人女性」が形成されていくのである。
先ごろ、外国メディアでも取り上げられた例の森喜朗発言に対して、在日の欧州大使館が次々に「#DontBeSilent(黙っていないで)」「#GenderEquality(男女平等)」というタグをつけて、ツイートを始めるという出来事があった。その口火を切ったのは、ドイツ大使館である。このニュースに際し、さすがと思ったが、今回はしかし、日本の女性たちも動いて、森は辞任に追い込まれた。日本でも少しずつ、異議申し立てのできる力が社会に育ってきているのかと思う。
政治、教育と進み、経済へ。今、ドイツの女性たちが目標としているのは、企業役職におけるクオータ制である。まだまだここの壁は厚い。それでも2015年には、「民間企業及び公的部門の指導的地位における男女平等参加のための法律」が成立して、監査役会における女性比率最低30%が上場大手企業では義務付けられた。監査役会というのは、ドイツ独自で、従業員が企業経営者と、投資・人員・賃金計画などを共同決定できる制度である。また、民間企業のみならず、公的な仕事でも、女性の指導的地位に就く比率が高まった。日本では、女性がほとんど見られないような職業、たとえば、タクシーや電車や運送用トラックの運転手、電気工事人、さまざまな技術系労働者にも女性がたくさんいる。公共放送で、女性が司会進行をつとめるニュース番組もあるし、歯に衣着せず有力政治家を批判する女性コメンテーターも多数いる。先に挙げた連邦議会での女性比率の高さも含めて、社会には女性が半数存在するのだということが、視覚を通して人々に日常認識させられるということが、また何よりも大切だと思えるのである。
註1 『ドイツの見えない壁―女が問い直す統一―』(岩波新書、上野千鶴子・田中美由紀・前みち子著 1993年)
ふっくす・まりこ
1953年東京生まれ。ドイツ在住35年。上智大学大学院史学専攻博士前期課程修了。デュッセルドルフ ハインリッヒ・ハイネ大学教育学専攻博士課程修了 (Dr. phil.)。神奈川県公立中学校教員、英語塾経営などを経て、1986年よりドイツ、デュッセルドルフにて公文式教室指導者。現在、脱原発活動など、NPO3団体の代表をつとめる。著書に『ニッポンの公文、ドイツの教育に出会う』(筑摩書房)。
(現代の理論 2021春号)


