欧米で台頭する反緊縮左翼の新しい経済学 2019年夏
松尾 匡(立命館大学経済学部教授)
前回の最後で触れたように、イギリスのジェレミー・コービン党首の労働党やアメリカのサンダース派、フランスのメランション派や黄色のベスト運動、スペインのポデモス、ヤニス・バルファキス元ギリシャ財務相の始めたDiEM25など、近年、欧米では反緊縮左翼が台頭しているが、そのコンセンサスとなっているのは、次のような見解である。
彼らは「財政危機論」を新自由主義のプロパガンダとみなしている。財政危機を口実にして財政緊縮を押し付けることで、公的社会サービスを削減して人々を労働に駆り立てるとともに、民間に新たなビジネスチャンスを作り、公有財産を切り売りして大資本をもうけさせようとしているとみなす。
したがって、財政緊縮反対は政策の柱である。逆に、財政危機論にとらわれず、財政を拡大することを提唱する。
その中身として、医療保障、教育の無償化、社会保障の充実などの社会サービスの拡充を掲げるのはもちろんである。しかし「反緊縮」というのは、それにとどまらず、財政の拡大で景気を刺激することで、雇用を拡大するところまで含んでいることに注意しなければならない。
その財源としては一様に、大企業や富裕層の負担になる増税を提唱している。しかしそれだけではない。中央銀行による貨幣創出を利用する志向が見られ、中央銀行によるいわゆる「財政ファイナンス」はタブー視されていない。公的債務の返済を絶対視することは新自由主義側の信条とみなされており、公的債務を中央銀行が買い取って帳消しにすることも提唱されている。
ケインズ経済学の現代的潮流
これらの政策主張の背景には、不況時の財政赤字を罪悪視せず、貨幣を創出することによって政府支出が行われることを肯定する近年の欧米の経済学の諸潮流が存在する。いずれも、これまで緊縮・財政再建論を支えてきた新古典派マクロ経済学と対抗する、多くはケインズ経済学の現代的潮流であると言える。
一つの潮流は、ニューケインジアンからの反緊縮論である。サイモン・レンルイス、ポール・クルーグマン、マイケル・ウッドフォード、ジョルディ・ガリなどが有名である。
非主流派では、特に、ポスト・ケインズ派の一派であるハイマン・ミンスキーの流れをくむMMT(現代貨幣理論)の論者の貢献が大きい。ランダル・レイ、ステファニー・ケルトン、ウォーレン・モズラー、ビル・ミッチェル、ジェームズ・ガルブレイスらが主な論者である。
また、非主流派ではそのほかに、信用創造廃止・ヘリコプターマネー論の潮流があり、大きな影響を与えている。すなわち、今日の貨幣のほとんどは民間銀行が貸し付け先の預金口座に数字を書き込むことで創造され(=信用創造)、そのことが経済不安定の原因になっているとみなす見解で、そこから、信用創造を廃止し、政府が民衆のために支出することで貨幣が創造される仕組みに変えるよう主張する議論である。
代表的な一派にポジティブ・マネー派がある。イギリスにあるシンクタンク、「ニュー・エコノミック・ファンデーション」に多いようである。そのほか、ポスト・ケインジアンのアナトール・カレツキー、日本でも『円の支配者』で知られるリチャード・ヴェルナー、ヘリコプターマネー論で有名なアデア・ターナーなどがこうした主張をしている。
主要な反緊縮左派政治家のブレーンにはこれらの学派の学者がついている。
・コービン:党首選挙までは、MMT派の財政学者リチャード・マーフィがブレーンで、「人民の量的緩和」は彼のアイデアである。党首就任後はブレーンが転換し、ニューケインジアン左派のレンルイスや左派ケインジアンのアン・ペティファーらがいる労働党経済顧問委員会が経済政策を支えている。
・バーニー・サンダース:2016年の大統領選挙では、MMTの中心人物であるケルトンが経済政策顧問になった。彼女は2020年の大統領選挙でもサンダースの経済政策顧問を務めることになった。
ちなみにサンダース派のアレキサンドリア・オカシオコルテスはしばしば報じられているとおり、公然とMMTを支持しており、MMTをめぐる論争を引き起こすことになった。
・ポデモス:『もうひとつの道はある』(つげ書房新社)を書いた、「再定義されたマルクス主義者」を名乗るビセンス・ナバロや、ポジティブ・マネー派やMMT、ポスト・ケインジアンから影響を受けたと称するホアン・トーレス・ロペスが経済政策ブレーンだった。ただし、最近ポデモスは、パブロ・イグレシアス党首が自派以外の幹部を大量追放してワンマン化を強め、経済政策を表に掲げなくなっており、ナバロもロペスも党を離れて、これを批判するようになっている。
・ジャン・リュック・メランション:「ネオ・マルクス主義」を名乗るジャック・ジェネルーやポスト・ケインジアンでネオ・カレツキアンのリェン・ホァン・ゴックが経済政策ブレーンである。ジェネルーは、欧州中央銀行が「公的債務を直接ファイナンスできるように」改革するよう呼びかけている。
3潮流の共通点は多い
ところで、次のような主張は、よくマスコミなどでMMTの主張とされているが、これらの3派にも共通する、経済学の標準的な見方である。
・通貨発行権のある政府にデフォルトリスクは全くない。通貨が作れる以上、政府支出に予算の制約はない。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である。
・租税は民間に納税のための通貨へのニーズを作って通貨価値を維持するためにある。言い換えれば、総需要を総供給能力の範囲内に抑制してインフレを抑えるのが課税することの機能である。したがって財政収支の帳尻をつけることに意味はない。
・不完全雇用の間はもっぱら通貨発行で政府支出を拡大してもインフレは悪化しない。
・財政赤字は民間の資産増(民間の貯蓄超過)であり、民間への資金供給となっている。逆に、財政黒字は民間の借入超過を意味し、失業存在下で財政を黒字化すると、その民間の借入超過は民間人の所得が減ることによる貯蓄減でもたらされる。
特に、この最後の命題は、入門教科書的なマクロ財市場均衡式から導出されるものであり、誰も否定できない。設備投資が停滞して民間セクターが貯蓄超過になる経済停滞期では、必然的に財政赤字になるわけである。
また、しばしばMMTの特徴とされる、政府と中央銀行を連結させて「統合政府」として見る見方も、一般に共通する見方である。ニューケインジアンも含む主流派経済学のモデルでは、非常にしばしば統合政府を前提したものが見られる。
それから、MMTや信用創造廃止派と、ニューケインジアンも含む主流派の違いとして、前者が「内生的貨幣供給説」、後者が「外生的貨幣供給説」に立つと言われているが、私見ではこれは重要な論点ではない。主流派のモデルでもしばしば「内生的貨幣供給」の前提は採用される。モデルの抽象度や焦点をあてている問題によって、適宜どちらを採用するモデルにするか選べばいいだけである。民間銀行の貸し付けで貨幣が作られるとか、それが起こらない限り、財政赤字を出さないと世の中に必要な貨幣が供給されないとする認識に違いはない。時々両者の間で議論が行き違うのは、用語法の違いであったりする。例えば内生論者の言う「財政拡大」には外生論者の言う「財政拡大」、「金融緩和」が含まれている。
欧米反緊縮経済政策論の論争点
欧米反緊縮左派の経済政策論の間で論争されている重要な論点は以下のようなものと思われる。
(1) 実質金利低下による支出増大効果を認めるか
ニューケインジアン左派(日本の用語では「リフレ派」)の本質的論点は、インフレ予想によって実質金利を下げ、投資需要などを興すこと。金融緩和は本質的ではない。私も含むニューケインジアン的ヘリマネ論は、政府支出の直接の効果に加えて、実質金利が低下する効果を根拠にしている。私見では、通貨発行で政府支出できるなら、「歯止め」のインフレ目標まで続けることが公衆に合理的に予想されるから。それに対してMMTや信用創造廃止派は、実質金利低下による投資拡大効果をほぼ認めない。
(2) コービノミクスvs市民配当
中央銀行が作った資金(あるいは政府通貨)を、公共的意義のある投資(ケースによって教育なども含む)に支出する(例「グリーンニューディール」)か、直接公衆に給付するか。上記三潮流をほぼ横断して両論が存在。
後者から前者に対しては、インフレが高まっても撤退が容易ではないとの批判がある。また公共的投資が融資の形なら、返済が前提されるので消費需要が増えないとの批判もある。
(3) 信用創造廃止をめぐる論争
信用創造廃止については、ニューケインジアン、MMTなどから批判的論調が多い。しかしこの議論の問題意識には、投資が民間銀行の私的判断でなされるシステムから民意を民主的に代表する機関によって公的にコントロールするシステムへの転換の志向がある。
私が講演や『そろそろ左派は経済を語ろう』(亜紀書房)の中で提起したシステムは、これらの論点を総合的にふまえたものである。
松尾匡(まつおただす)
1964年石川県生まれ。金沢大学経済学部卒業、久留米大学教授を経て、2008年から立命館大学経済学部教授。専門は理論経済学。
(現代の理論 2019夏号)


