【オルタクラブ研究会報告】的場昭弘さん「世界史の中のアジア復権」

牧 梶郎(オルタクラブ事務局)

はじめに


 世界史(World History)とは、世界各国の歴史を集めた歴史というものではなく、西欧における資本主義の発展が生み出した一つの「西欧的概念」です。それは、西欧による資本主義的世界市場の発展のために世界の再編成を意図した歴史、具体的にいえば、世界史とは西欧の価値観こそ普遍的であり、世界のあらゆる国々はこの価値観を遅かれ早かれ踏襲しなければならないという歴史のことです。
 こうした思想は、西欧が貿易の拡大とキリスト教、さらには軍備とともに世界市場へ乗り出す18世紀の大航海時代とともに広まりました。
 マルクスも『共産党宣言』で、西欧の物的生産力の発展が世界市場を創出し、世界を一つの分業体系に組み立てていく、西欧の歴史が世界史になる流れを、批判的であれ認めています。資本主義が発達して文明が進むという点では、西欧史=世界史という考えはマルクスも変わりません。やがて資本主義が限界に達し、西欧による世界の蹂躙がなくなった時、本当の世界市民と世界史が出てくるという考えに立っています。

「世界史」への疑問

 世界史という概念が登場するのは18世紀ですが、カントも「普遍的な世界史というものがあるのではないか」と主張しています。それはすなわち、マルクスへと至る歴史家たちの中にある「世界史という普遍史」が存在し、その先頭を走っているのが西欧であるという奇妙な自信の始まりです。世界史を引っ張る役目が西欧にはあるという発想の典型がヘーゲルの歴史哲学です。ヘーゲルは、歴史は目標を持ち、成長していくと考えます。それは原始的な歴史から始まり、アジアの歴史、イスラムの歴史から、高度な西欧の歴史へと発展していくという、歴史をある目的に向かって進む直線的なものと考えるということです。しかし、歴史に目的を重ね合わせることは、歴史を一面化してしまうことです。本来、歴史というものは、時代や地域によってまったく違うはずです。一方そうした西欧でも、近代西欧の発展に対する疑問も出てきます。それは第一次大戦以後で、ヨーロッパ人同士が殺し合った戦争の疲弊の中で、西欧文明に疑問を感じ始めたのです。西欧文明に対する批判的なものであるよりも、過去の西欧文明、王侯貴族の絶対王政の文明の崩壊を嘆いただけのものかもしれません。

抵抗すべきか、受容すべきか

 ここで西欧文明への対応の仕方で特徴的な二つの国を見てみます。一つはロシアと日本、もう一つは中国です。ロシアと日本は、どちらかというと周辺文明の国で、西欧文明を輸入し、国家をまるごと変えようとした国で、一方、中国は西欧文明と徹底的に対決した国です。
 日本についていえば、明治になって徹底的に西欧化しました。神奈川大学の山本新は『周辺文明論』、自国の文明が弱く、他の文明にすぐに翻弄される国は、相手の優勢さに圧倒されてしまうと論じています。夏目漱石も、イギリス留学から帰国後の講演で、「多くの日本の知識人たちは西欧で何か流行ると、それを取り入れることに忙しい、とにかく輸入に神経をすり減らしている。これは神経症だ」と述べています。
 中国はどうだったでしょうか。19世紀のアヘン戦争以来抵抗の激しさはすさまじいものがありました。それは日本と対照的で、中国はどんなに踏まれ、蹴られても、軍門に下ることを拒否し、抵抗したのです。
 中国文学者竹内好は「抵抗を通じて、東洋は自己を近代化した。抵抗の歴史は近代化の歴史であり、抵抗を経ない近代化の道はなかった」、日本は抵抗なきがゆえに、堕落したと述べ、抵抗した中国は、しっかりと近代化の本当の意味をかみしめることができたといっています。結局抵抗はやがて実をむすぶものだというのです。

西洋の世界支配と資本主義

 そもそも西欧がアジアに出現した16世紀、西欧が世界を支配するなどとだれが思っていたでしょうか。アジアの帝国が知らない間に、海岸地域を少しずつかすめとり、やがて王国を植民地にしていく中で、西欧は多くの資本を蓄積していきます。
 西欧はアフリカからの奴隷、カリブ海近辺の金銀、アジアとの貿易によって少しずつ資本を蓄積していきます。それが18世紀の産業革命と相まって、一気に生産力を上げ、世界支配へと乗り出していきます。
 そうした経済的力を背景に、人権、民主主義、個人主義などといった価値観も、非西欧圏に流布していきます。マルクスが述べた「資本の文明化作用」とは、まさにこれで、西欧の歴史をまねることは、たんに経済的生産力を上げるための技術の輸入というだけにとどまらず、文化的価値観を導入することも意味するようになります。
 わずか数世紀だとしても、西欧が世界を支配したことは間違いない事実ですし、それに日本のような国は動かされ、安易にものまねに走ったことも確かです。そして1990年代までは、西欧の輝ける歴史は、普遍的なもので、すべては西欧化しなければならないと思われたのも間違いありません。
 西欧の発展は、土地所有制度から始まるという点でも非西欧社会との隔絶を意味していました。典型的な西欧は、封建制度が崩壊していくなかで、土地が私有化され、個人農民が生まれたことで、個人主義、個人の独立がうまれ、それが都市の民主主義の根幹をつくっていったというのです。ところが、非西欧では土地の私有制度はなく、共同体が多く存在したため、農民は権力に従属し、その権力の前に人権や民主主義などは生まれず、専制支配が一般化したというのです。非西欧が西欧の近代化をまねるには、まず土地制度の改革が必要だということになります。これこそ、ロシア革命や中国革命が悩んだ問題でした。
 ロシアにしても中国にしても、こうした土地の私有制度の導入に反対しましたが、それがかえって専制支配を強めることになったわけです。ロシア革命も中国革命もその意味では、マルクスの予想と違っていると思われます。マルクスは、あくまでも西欧の歴史の上で予想したのであり、非西欧については晩年に研究したことで、非西欧の革命については、十分説明することはなかったからです。

アジアの復権―中国世界の復権

 さて、そうした西欧の後を追った非西欧は、西欧のシステムの中に引き込まれます。西欧の世界支配は、世界システムという制度を築くことで成り立っています。世界システムとは、中央の先進国の西欧と、その半周辺の中進国、そのまわりの周辺国という枠組みで編成することです。これらの世界を統括する具体的システムが、西欧によってつくられたIMF、国連、世界銀行、WTO、G7などです。
 非西欧は、その意味で半周辺、周辺国であり、そこに巨大な人口をもつ商品市場と安価な労働力があり、また原料や燃料も豊富にあるのです。グローバリゼーションは、これをねらった資本主義の政策だったのです。安い商品をつくるために、安価な労賃、原料、燃料をねらったわけです。
 1990年代は旧ソ連・東欧の崩壊で、それらの国を市場に組み入れたことで、経済停滞を免れたのですが、21世紀になると、もはや、そうした安価な資源や労賃といった条件がなくなり、新しい商品の開発ができなくなりました。そのことが、先進諸国で実体のないバブルを生み出し、結果的にリーマンショックをもたらしました。それによって、半周辺国へ資本が流れ、これらの国の産業能力を引き上げ、強力な競争相手になりました。
 こうして半周辺国であるBRICS諸国が、先進国を脅かすようになりました。G20という会議が開催されるようになったのは、もはやG7では何もできないからです。中でも中国は、新幹線、半導体、ロケットや航空技術、量子コンピューター、AI技術、電子マネーの開発など、西欧をリードしていくなかで、経済のみならず、政治的力もつけ、西洋型民主主義や人権を押しつけない点で、非西欧世界で受け入れられています。

おわりに―21世紀のアジア

 アジアで日本だけがG7の一員となり先進国になり、アジア発展の鏡になったのですが、実際は西欧のものまねで、アジアでの信頼も西欧での信頼もなく、アメリカの傀儡政権のような状態になっています。日本は、経済や軍事においてかつてアジアの雄であったのですが、そのいずれの分野においても非西欧諸国に友好国をもてず、指導もできなかったため、アジアの復権の中心になることができませんでした。
 一方、中国はアジア復権の中心になっていくと思われます。それはアジアの西欧の植民地になった地域と共通の経験をもつことで、それなりの友好関係を築けていること、西欧の文化や技術をものまねではなく抵抗して自分のものにしていったことで、新しい技術を発明し、それを発展させることができていることです。大地の大きさと人口の多さにおいて、2世紀続いた西欧型資本主義を乗り越えるチャンスをもっていることは確かでしょう。

(現代の理論 2024夏号)

参考資料
的場昭弘『一九世紀でわかる世界史講義』日本実業出版社、2022年
的場昭弘『マルクスで読み解く世界史』教育評論社、2022年
的場昭弘×前田朗『希望と絶望の世界史』三一書房、2024年

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