2024年7月号:関幸彦『武家か天皇か 中世の選択』を読んで

【寄稿】私の「家族」と戦争トラウマの世代間連鎖

【寄稿】東京都知事選の蓮舫氏大敗と都議補選の自民大敗

【報告】2024年度通常総会と記念講演

【研究会報告】

 《経済分析研究会》経済の高度化ができないインドネシア

 《オルタクラブ》 アジア的世界をどう考えるか

 《先住民族研究会》アフリカの森の民と語り合おう

【案内】「アフリカの森の民」招聘プロジェクト 

【巻頭コラム】関幸彦『武家か天皇か 中世の選択』を読んで

 私は中学・高校時代の歴史では、後醍醐天皇の実績は「建武の中興」と教えられた。学生時代から今まで特に深く考えることもなく、「建武の中興」と表現してきた。日本史の見直しブームの中で、この本を何げなく手にし、読むことになった。著者がどのような立場で、どのような評価を受けているのかは知らないが、非常に面白くさまざまな点で自分の歴史認識の見直し、修正を迫られた。

 本書の論考の主張は、『読史余論』(江戸時代・新井白石)を事実上の論考の出発点にしているが、中心部は目次で言えば(Ⅱ)「内乱期、王威と武威の諸相」、(一)「東西両朝と12世紀の内乱」(二)「南北両朝と14世紀の動乱」である。平たく言えば、後鳥羽院と承久の乱、後醍醐天皇と「建武の親政」を軸に日本の国家体制がどのように推移したのか。武士・武家の台頭と「天皇の権力」の変化の流れ、「補完しあう王威・霊威(法威)・武威」の歴史をたどっている。筆者はその論述の仕方を「いささか思弁的言説を連ねた」としている。つまり謡曲「絃上」をはじめとして、『平家物語』、『愚管抄』(慈円)、『源氏物語』などがふんだんに使われている。その意味では学術論文ではないやり方であるが、分かりやすい(参照文献も多い)。

 武家と天皇は、中世の二つの動乱、内乱を経て南北朝(ある意味では公武合体論)を生み出し、そして南北朝の合流、戦国時代を経て、武家政権が確立する。しかし、その武家政権(徳川幕府)でも「正当」性を確保した(力の論理)が、正統性を「天皇・朝廷」に最後まで依存せざるを得なかった。

 明治維新は「王政復古」と「開国」であったが、この王政復古は「建武の中興」を介することによって、正統性を確保することができた「回天」の事業であった。

 薩長の軍事力で徳川政権を打倒し近代国家への道を切り開いた明治政権は国民的支配のために、天皇・朝廷を柱にした天皇制国家を樹立。王政復古はそのキー概念ではあるが、建武の中興という後醍醐天皇の「親政」を「王威」として復権しないと明治政権の正統性をつくれなかった。

 そのように理解すると、朝廷を解体し天皇(家)だけを抱え込んだ近代日本国家。天皇親政を掲げた2・26事件、天皇の統帥権を使って暴走した軍部の自壊(明治国家の思想破綻)が8・15の敗戦。とすれば、始まりつつある「靖国神社(史観)+防衛省vs現憲法+天皇」の対立は国民主権を媒介にして、政治権力としての天皇(位)の存在は、天皇「親政」とは逆に、非政治的天皇のベクトルが筋であろう。この場合、霊威(法威)という神仏習合の日本的宗教風土の中に改めて天皇が回帰する思想が台頭するのではないか。それは「王威」についてマルクスが指摘した「政治から切り離された社会」復帰ではないか、そんな夢物語を思い出す一冊であった。(運営委員 山田勝)