POLITICAL ECONOMY 第318号 日本発「インターネット匿名掲示板」文化がもたらした荒野

季刊『言論空間』編集委員 武部 伸一

要点

1、日本発の匿名掲示板文化は、米国のQアノン陰謀論にもつながった。

2、ネット空間で差別や憎悪が広がるのは経済的困窮と将来への希望の喪失

3、荒廃したネット空間を変えるには、社会的連帯と共生の価値観を取り戻す必要がある

 「Qアノン」という集団を覚えている方もいるだろう。数年前、米国で発生した陰謀論者グループの名称だ。2021年1月のバイデン前大統領就任式の直前、ワシントン連邦議会襲撃に参加した人々の中に多数の「Qアノン」信奉者が含まれていたことで注目された。

 米国には、悪魔崇拝の小児性愛者である民主党議員らのエリート層が動かす闇の政府(ディープステート)があり、ディープステートと闘い勝利した人物こそドナルド・トランプ大統領なのだと、ネット上で荒唐無稽な主張をする「Q」を強烈に支持する人々こそが「Qアノン」だった。

 20年秋の段階では共和党支持者のうち56%が「Qアノン」の主張の全部もしくは一部を信じていたという。(Forbes日本版2020.09.04)

「匿名掲示板」は「2ちゃんねる」が起源

 22年2月15日付朝日新聞に『米陰謀論「Q」を追う 掲示板元管理人34歳 札幌に住居』との記事がある。

 同記事によれば「Q」が最初に登場したのは2017年10月。「Q」は当時、英語圏で最大規模のネット匿名掲示板であった「4chan(ちゃん)」で謎めいた投稿を始めた。4ちゃんは「ひろゆき」として知られる日本人西村博之が15年からオーナー兼管理人を務めている。

 「ひろゆき」こと西村博之が1997年に日本でスタートさせたインターネット上の電子掲示板「2ちゃんねる」は、パソコンの普及と共に利用者を増やし、最盛期の2008年には月間利用者数1,170万人をこえるネット匿名掲示板へと成長、巨大な収益を生むネットメディアとなった。

 その勢いをもって西村博之は、英語圏最大級のネット掲示板であった「4chan」の経営に参画する。「2ちゃんねる」と「4chan」、名称が類似している通り元々「4chan」は「2ちゃんねる」を模倣して米国でスタートしたネット掲示板である。ユーザーは「2ちゃんねる」と同様、匿名であり、投稿の規制基準が著しく低いため、ヘイトスピーチ、差別言辞が大量に飛び交う空間であることが知られている。この場に出現し、急速に支持を集めたのが「Q」の陰謀論だった。

 さらに上記朝日新聞の記事では、陰謀論者「Q」本人が「2ちゃんねる」の運営スタッフであった日本在住の米国人ロン・ワトキンスである可能性が濃厚であると示す。

 世界を震撼させた米国会議事堂襲撃事件を引き起こす一つの源泉が、日本発のインターネット匿名掲示板にあったと言えるのだ。

 バイデン前大統領の就任と24年トランプ大統領の再選を経て、今では「Qアノン」の活動自体は広いネット空間の中に溶解した。しかし「Q」に惹かれ、その右翼陰謀論的世界観を支持する人々はいまだ米国社会に潜在的に幅広く存在するのだろう。

 日本においても「2ちゃんねる」の利用者数と影響力は、2000年代の全盛期からは下降している。しかし巨大掲示板の中で繰り広げられた多種多様な言辞は、今はX(旧Twitter)などのSNSに移行し、外国人への排外主義投稿、多様なマイノリティーへの差別投稿、ミソジニーに基づく「主張する」女性への攻撃も激化している。それらのネット上の人々の意識が、参政党の登場や高市圧勝など、現実政治へ大きく影響を与えるようになったのは言うまでもない。

ネット空間での陰謀論、排外主義はなぜ増えたのか

 「2チャンネル」が日本のインターネット空間で、初めて多くの人々が自由に意見を書き込み、議論する場として成立したとするなら、なぜそこが差別と排外主義、憎悪言辞が氾濫する地獄のような空間と化したのだろうか

 「2ちゃんねる」がスタートした1997年は、山一證券など大型金融機関の破綻が相次ぐ経済状況であった。この時期、Windows95の発売により一挙に大衆化したパソコンユーザーは、その多くは20代から30代にかけての男性だった。彼らが直面した社会のありようは、1970年代から1980年代の日本社会とは全く異なる様相だった。

 90年代初めのバブル崩壊以降に厳しくなった雇用環境は、ついに1995年の新卒就職率68.7%にまで低下した。大学を卒業しても3割以上の人が就職できない時代だったのだ。それ以前に職を得ていた同世代の人々にも、相次ぐ大型倒産により離職を余儀なくされた人々も多数いただろう。失業率は1990年の2.1%から、2002年には5.4%にまで上がっている。日本人20人に1人は失業状態だったのだ。

 雑誌『世界』23年6月号の特集「現代日本のSNS空間」に興味深い論考がある。藤田直哉日本映画大学准教授による「ネットはユートピアか? ミソジニーとサブカルチャーのインターネット文化史」だ。日本のネット言論の軌跡に関心がある方は、ぜひ図書館などでの一読をお勧めする。藤田によると、「2ちゃんねる」など当時のネット空間カルチャーを形成していたネット民いわゆるオタク層には、70年代、80年代への郷愁が強くあるという。彼らは『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』を見て育ち、冴えないサラリーマンでも結婚し子どもを持ち一軒家を構えられる人生だったはずが、家庭どころか安定した職を得ることさえ難しい日々を過ごしている。ゆえに「彼らにとって、ありえるはずだった未来は何かに奪われたと感じられ、未来に希望を持って進んでいけること自体が羨望と憎悪の対象となるのだ」。

 この時期、政治的には細川連立政権と自社さ連立政権を挟みながら、結局のところ継続した自民党政権により日本型の新自由主義が社会に浸透する時代でもあった。混迷した社会党・総評を軸とする戦後革新勢力は衰退し、人々は「自己責任」の価値観の下、個々に厳しい経済環境に立ち向かうことを強いられた。

新たな「社会的連帯・共生の価値観」が必要

 インターネットが普及する90年代以降の日本の若者世代、ミドル世代は、経済・社会環境の危機と共に「価値観喪失」の危機にも直面していたのではないか。その結果が差別と憎悪に満ち荒廃したネット空間の出現であり、その荒野は30年経つ今も広がっている。かつての20代の青年は50代の中年男性となった。

 荒野に求められるのは、まず水であり、養分であり、それから緑だ。時間はかかるだろう。水として養分としての新たな「社会的連帯・共生の価値観」が必要とされる理由だ。それは、ラストベルト(錆びついた鉱工業地帯)の苦境の中で日本発「Qアノン」に引き寄せられた、アメリカの人々にも同じことが言えるのだと思う。

*アイキャッチ画像は Wikimedia Commons より
Author:MiNe

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