2025年1月号 言葉の力が失われていく
【 寄 稿 】Jリーグと地域再生
【 寄 稿 】「アフリカの森の民・ピグミー」招聘
【 研究会報告 】《オルタクラブ》マルクスとエンゲルスの関係
【 追 悼 】古川さん ありがとうございました
言葉の力が失われていく
昨年末に2024年の流行語大賞が発表された。大賞になったのは「ふてほど」、私は初めてお目にかかる「言葉」だった。ご存じとは思うが「ふてほど」はテレビドラマ「不適切にもほどがある」の略称(?)とのことだ。
「ふてほど」が俗語とは言わないがネットなどを通じて流行する俗語や表現が増えてきている(らしい)。簡略化したり、意味を少し変えて使ったり、私にとっては理解するまでに時間がかかるものもある。次々にいろいろなものが現れ、昔よりテンポが速い。時間の感覚が変化していくので、抗いようがないのだが。言葉の力がどうなっていくのか不安だ。
「手で字を書くことが減る」(89・4%)「漢字を手で正確に書く力が衰える」(89・0%)「人に直接会いに行き話すことが減る」(54・5%)。
これは、パソコンやスマートフォンなど情報機器の普及で受けると思う影響に関する調査の結果だ。旧聞に属する話だが、その通りだ。「着信があるかなど常に気にするようになる」も3分の1以上。パソコンであれば心の中にあるものを速くどんどん書けるけれど、手書きなど時間がかかると、むしろ表現の障害と感じる人も増えてくるのではないかとも思う。
今、私はこの原稿を20×20の原稿用紙に書いている。自宅にパソコンはないし、書き上がればNPOの事務所に行って打ち込むことになる。今も、この「NEWS LETTER」や季刊『言論空間』に手書きの原稿が来る。パソコンなどのハード機器を持っていないのか、忌避しているのか不明だが、私がデータを打ち込むことになる。確かにパソコンは便利だ。私は情報が新聞主流の時代、ラジオの時代、そしてテレビの時代は未知の言葉や表現に出くわすと、すぐに本を読んだり、辞書で調べて使いこなせるようになったのだが、今のパソコンは難しい漢字や言葉が出てくる。が、結局は書く側に語彙力がないとダメだろう。
しかし、X(旧ツイッター)やメールでは、余り難しい言葉は通じないようだ。流行語大賞などを見聞きするにつれ、一層その感が強い。社会についていけないようでより不安になる。もちろん、ネット等を通じて海外の情勢や専門家の考えを得るのも大切なことだ。それに接することができないと、それもまた恐ろしいこととは思う。
そもそも言葉というのは「聞く相手」(「見る相手」)がいることが前提だ。仲間、業界内で伝わればいい、というものではないはずだ。異なる価値感や文化的背景をもった人に対する理解を広げる努力をすることも大事なはずだ。
政治の世界もそうだ。政治には機動性や早さも求められるが、それだけではない。政治家が自分の言葉で語ることが大事なはずで、それが責任というものだろう。昨年秋、自民党の総裁選があった。「大言壮語」とは言わないが、飛び交った。安倍政権、コロナ禍で続いた自民党にも変化があったのだろう。総選挙では、自民党政治にも幕が下りる兆しを見た。政治家は自らの信じる価値を自らの言葉で語り、人々が政治について判断を下すための助力をする人であってほしい
(運営委員 寺嶋紘)