びっしりと書き込まれた講義メモ

中川 登志男(運営委員)

 専修大学の庶務課の前には、定年退職された先生の訃報が時々掲示されている。70歳で定年退職してから、わずか数年で亡くなってしまう先生も目立つ一方で、90歳前後まで長命の先生も多い。70代後半になってもなお、当NPOの活動に精力的に取り組まれる古川先生の姿を拝見していたので、古川先生は後者の長命の先生だろうと信じ込んでいた。数年前から体調を崩されていたとはいえ、今回の突然の訃報に驚きを禁じ得なかった。

 憲法学を専攻される古川先生にお世話になったのは、専修大学法学部1年生の必修の憲法の講義と、大学院法学研究科での講義・演習の時だった。私が学部生の時、当時50代の古川先生は法学部の学部長をされていた。後から古川先生よりうかがった話では、他の学部の学部長は皆60代のベテラン教授ばかりで、学部長会議が終わった後の懇親会は寿司屋が多く、寿司だとどうしても日本酒が中心となるので、ビール党の私としては寿司以外の方がありがたかった、という。

 NPOの事務所で暑気払いや忘年会などを行う時も、古川先生は冷えた缶ビールをよく飲まれていた(他に泡盛がお好きだった)。私が缶ビール以外に発泡酒を買ってくると、「これは偽ビールだ」とお叱りを受けた。それ以降は「偽ビール」を買ってこないように注意した。

 私が学生の時に話を戻す。古川先生の講義は難しいとの感想を漏らす学生が、学部の時も大学院の時も少なくなかった。私の正直な感想を言うと、学部の授業は修士課程くらいが、修士課程の授業は博士課程くらいがちょうど良いのではないか?とも感じた。もっとも、古川先生は「今の修士課程は昔の学部、博士課程は昔の修士課程と同じくらいだ」と時々お話しされていた。

 講義では、文字がびっしりと書き込まれたオリジナルのメモが授業冒頭に配布される。読み通すのが大変だった。だが、後から読み返すと、学説が詳細に整理されていて、何が論点なのか明確に示されていた。先生の研究の緻密で精緻な一面が講義メモに現れていたように感じる。

 また、研究への姿勢には厳しいものがあった。修士課程では修士論文の副査をしていただいたが、「最後の章は、多少は新しい発見があったかもしれないが、それ以外は特に目新しいものはない」という趣旨のご評価(酷評?)だった。もっとも、修士号そのものは認めて下さったので、厳しい先生でもあったが、懐の深い先生でもあったと思う。

 それを感じる場面は学部の講義でもあった。当時の学生は受講態度が悪く、古川先生の講義でも私語が絶えなかった。ところが、私語がピタッと止まる瞬間がある。学年末の講義で、試験範囲に言及する時だ。「いつもこの時だけしか私語がやまないので、試験範囲を言うか言わないか迷うんですけどね」と苛立った表情で話されつつも、試験範囲は提示して下さった。

 古川先生は、10項目くらいある内、3項目に絞って試験範囲を示された。そして、その3項目に共通する要素を注意深く読み解くと、自ずと出題内容が見えてきた。おそらくは、それなりに受講していた学生へのメッセージだったのではないか。2問ある内、1問目は「法の下の平等」に関する出題、2問目は「集団的安全保障と集団的自衛権との違いを説明せよ」だった。

 学部、大学院、NPOと30年近くお世話になりながら、あまり学恩に報いることもできないまま古川先生は旅立たれた。憲法学の基礎をご教授いただくとともに、NPOの運営に関わる機会を与えて下さった古川先生に感謝を申し上げたい。