もう一踏ん張りします

寺嶋 紘(運営委員・事務局長)

 古川理事長とは昨年8月の初め、電話で話したのが声を聞いた最後となった。こんな早く亡くなると想像ができないほど元気な声だった。

 12月の9日、訃報が届いた。メールのやりとりは続いたが、電話もせず、メールのやりとりも減った。慣れてしまった自分に後悔している。

 古川理事長とは2007年の11月、「言論NPO・現代の理論」から「NPO現代の理論・社会フォーラム」に改称し、新生NPOとしてスタートした直後に初めてお会いした。以前から「憲法学者の古川純先生」は知っていたが、同一人物(学者)とは思えない、という印象をもったことを憶えている。2008年5月に事務局長になった。古川理事長とのコンビの始まりだ。

 最初にうち解けたのが7月の歴史紀行プロジェクトの足尾銅山ツアー。フットワークが軽く、お酒が好きで、特に私と同じビール党。それから16年間、「憲法学者」の違う側面を見させていただいた。理事長はまた、この歴史紀行プロジェクトが気にいっていた。楽しい1泊2日の旅が続いた。ただ、「やはり学者だな」と思わせるところも。憲法や他の法律には疎い私が「トンチンカン」な事を言うと、「そんなこと知らんのか」といった調子で怒られたり、メールのやりとりで「けんか腰の言葉」を投げかけられたときには、心がすさんでしまうことも。でも、場面が変わると強くはないが酒好きのおじさんだった。

 その一つ。2011年の3月11日。東日本大震災の当日。事務所近くの専修大学の教授をしていた理事長は事務所に顔を出した。そして、交通機関が止まっているので事務所に一泊を決心。夕方、まず腹ごしらえ、と多くの人が帰宅の足を探しているときに2人で飯屋探し、は嘘で本当は飲み屋探し。一軒の暖簾をくぐり、酒を飲んで食べた。店も混んできて「そろそろ事務所に戻ろうか」、でもそこで終わらない、コンビニによって缶ビールをゲット。また二人で酒を呑む。色々と話をした。

 理事長の念願の一つに、認定NPO法人になることがあった。これからは市民社会との共生が大事だと言う。活動が社会的にも認知され評価されて、寄附が募りやすくなり、活動に生かし、社会に還元できるからだ。会員の支援も受け私は猛勉強(?)。やっと2014年6月、仮認定法人として都から仮認定され、3年後の2017年には正式に認定され、5年後の更新申請も認められた。闘病中だった理事長は電話で、「ご苦労だった。これからも真剣に寄附を集め社会に活動で貢献していこう」と激励された。道半ばだったろう。理事長の遺志は、ともに活動をしてきた私たちが引き継ぎ、がんばる以外にない。