古川純憲法学の素描―古川先生が憲法学に与えた新しい視点―
内藤 光博(会員、専修大学教授)
古川純憲法学の素描
古川先生との出会い
2024年12月7日、古川純先生がご逝去された。突然の訃報に愕然とし、大きな悲しみとともに言いようのない喪失感に襲われた。憲法研究者として、同じ大学と学会に属して、研究教育生活をともにしてきた古川先生は、私にとってかけがえのない存在であったことが、今更ながら痛感される。
古川先生は、1966年に東京大学法学部助手に就任され、憲法研究者としての歩みを始められた。その後、1970年に東京経済大学に専任講師として赴任され、助教授、教授を経て、1988年に専修大学法学部教授に就任された。
専修大学では、憲法学の研究教育に従事されるとともに、法学部長、大学院法学研究科長、社会科学研究所長などの要職を歴任された。学外では、日本公法学会、全国憲法研究会、憲法理論研究会、日本平和学会などに所属され、理事や運営委員として学会運営を担われつつ、研究を深められた。
これらの功績により、古川先生は、2012年3月に専修大学を定年退職された後、専修大学より名誉教授の称号を授与されている。
私が、古川先生と最初に出会ったのは、1988年4月に、先生が専修大学に赴任された時である。私も、同年、専修大学法学部助手に任用され、4月1日の就任式で先生に初めてお会いした。ともに小林直樹先生(東京大学名誉教授、元専修大学教授)の門下生であること、また古川先生が気鋭の憲法学者として広く名を馳せられていたことから、先生のお名前や研究業績については、もちろん存じ上げていたし、学会や研究会で遠くからお姿を拝見してはいたが、直接お話しする機会を得たのは、この就任式が初めてであった。
古川先生の第一印象は、まったく偉ぶることのない、フレンドリーで、温厚な研究者というものであった。以来、古川先生との付き合いは、絶えることなく続いているが、この第一印象が崩れたことはない。
古川先生からは、実に多くのことを学ばせていただいた。今から振り返ると、私が曲がりなりにも憲法研究者になりえたのも、古川先生なくしてはあり得なかったと思う。
以下では、古川先生の学問研究の一端を振り返ることを通じて、古川先生からいただいた学問的薫陶に感謝の意を表したい。
「平和保障」研究
古川先生の憲法学者としての名声を揺るぎないものとし、その後の憲法学に大きな影響を及ぼしたのは、「平和保障」の研究である。
研究者が手がける研究課題は、その研究者が生きた「時代状況」により大きく制約される。古川先生は、19991年から1992年にかけ、全国憲法研究会(全国憲)の事務局長に就任する。当時の全国憲代表は中央大学教授の清水睦先生、私は会計担当の事務局員に就任した。時代は、1990年代初めであり、国内的には1989年の昭和天皇の死去、国際的には東西冷戦終結直後の湾岸戦争の勃発とポスト冷戦の始まりという歴史的転換期であった。
ポスト冷戦の始まりとともに、日本政府は、国連平和協力法=PKO協力法の制定を目論み、日本国憲法のもとで初めて自衛隊の海外派兵が現実のものとなりつつあった。こうした日本憲法の平和主義をめぐる危機状況に対して、全国憲は、古川事務局体制のもと、全国憲の設立理念である「護憲」の立場から、PKO協力法制定による自衛隊海外派兵問題に関する公開シンポジウムの開催、全国憲会員の署名による反対声明文の公表など、精力的な学会活動を展開した。こうした学会活動の中で、古川先生は「憲法9条と平和保障」「国家緊急権の憲法論」「国家秘密法案の研究」、そして「PKO協力法の違憲性」など平和主義および平和保障に関する一連の研究論文を発表されている。
しかし、残念ながら、PKO協力法は92年6月に成立し、日本国憲法史上初めて自衛隊の海外派兵が実現され、その後2014年の集団的自衛権限定容認と翌2015年の安保法制の制定に至るまで、平和主義の空洞化を許すことになってしまったことは、痛恨の限りである
また、古川先生の平和保障研究の中で、特筆すべきものとして、1970年代の「反戦自衛官事件」に関係する研究論文である「自衛官の市民的自由」がある。自衛官の人権(思想・表現の自由)という新たな視点からの画期的な平和主義研究である。
古川先生の視点は、一貫して、日本国憲法の立憲平和主義を確立して、基本的人権を擁護することにあったといえるだろう
以上の古川先生の研究論文は、先生の憲法学論文集『日本国憲法の基本原理』(学陽書房、1993年)としてまとめられている。
「戦後補償」研究
私が専修大学で助手から専任講師に昇格したころ、1990年代の半ばに、古川先生から「なにか共同研究をしませんか?」とのお誘いを受けた。私は、即座に「是非ともお願いします」とお伝えしたところ、先生は「テーマはどうしましょう?」と言われたので、90年代初めから提起され始めた「戦後補償裁判」について憲法の視点から研究するというテーマはいかがでしょうか?」とお答えしたところ、「それはいいですね」ということになり、共同研究を企画することになった。私としては、古川先生も共通の問題関心をお持ちであったことに驚くととともに、研究意欲がかき立てられた。
こうして戦後補償をめぐる共同研究が始められることになった。古川先生を研究代表として、共同研究者として専修大学の法学部のスタッフ6名(憲法、国際法、歴史学の教授)により、科研費を申請することになった。研究テーマは「国家の戦争行為責任と『戦後補償』に関する実証的研究」とした。さらに、1996年には、戦後補償問題に加え、東北アジアの平和保障を展望する「東北アジアの法と政治―21世紀を展望するー」をテーマとして、専修大学社会科学研究所の特別研究助成を受けることになった。
この共同研究の中で、古川先生は、戦後補償における個人補償をめぐる憲法的論拠を前文に求める学説を打ち立て、憲法学界に一石を閉じ、訴訟にも大きな影響をもたらした。
以上の戦後補償を中心としてアジアの平和保障を展望する共同研究の成果は、専修大学社会科学研究所の社会科学叢書第7巻、古川・内藤編『東北アジアの法と政治』(専修大学出版会、2005年)に結実した。
「新しい市民社会」の研究
2008年5月、古川先生は「市民社会に公共の言論空間を創出する」という結成・活動目的掲げ、一般市民を会員とするNPO法人「現代の理論・社会フォーラム」を立ち上げ、理事長に就任した。
「現代の理論・社会フォーラム」では、憲法・平和研究会、先住民族研究会、経済分析研究会、新しい変革の理論を考えるオルタクラブ、サロン型研究会、沖縄研究会、歴史見直し研究会が開催されており、その基本的視座は、「変革の主体」としての「新しい市民社会」により、広く東アジア地域を含む「共生社会」の実現を模索することにある。
古川先生によると、この「新しい市民社会」は、個人の尊厳と人格の平等を基本とした個人の相互依存による諸関係=アソシエーション関係として形成される社会であり、日本では1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災を契機とする救援・復興のボランティア団体の登場とNPO法改正・税制改正により、本格的なアソシエーションが結成され、「新たな市民社会」を展望できる地平が開かれたとする。
「新しい市民社会」の研究成果は、古川先生が専修大学退職の記念として編まれた『「市民社会」と共生―東アジアに生きるー』(日本経済評論社、2012年)として公刊されている。
おわりにー古川先生への感謝ー
以上述べた古川先生が手がけられた研究は、先生の全研究業績の一部である。今後、私は、古川先生の研究を引き継ぎ、さらに深めていきたいと考えている。それこそが、古川先生からいただいた学問的薫陶に応えるものだからである。