日本的アイデンティティの揺らぎとナショナリズム
運営委員・佐々木希一
「近代日本は、二回過去を捨て去っている。/初めが明治維新であり、二度目が第二次大戦後のことだ。」(『呪う天皇の暗号』新潮文庫2011年刊)
「脱亜入欧」論が一世を風靡したように、日本の近代化は江戸時代に花開いた日本的生活様式や伝統文化をことごとく蔑み、西洋文明のキャッチアップに邁進し、70年後の1945年、焦土と化した列島の中に崩壊したのでした。
「・・・明治政府は西洋文明を積極的に取り込み富国強兵を推し進める一方で、日本人のアイデンティティの揺らぎを『王政復古』という荒業で克服しようとした。」だがそれは「・・・古代天皇制への復古ではなく、実際には西洋的で一神教的な天皇への変貌であった。」(同前)
いわゆる幕末の動乱は、大航海時代を経てはじまった当時のグローバリゼーションに対応した、日本における国民国家の形成をめぐる内戦でした。この内戦に勝利した明治新政府は、急激な西欧化によって揺らぐ日本的アイデンティティを「お上=天皇を中心とした国民意識」として再構築しようと試み、やがてそれはグローバル時代の展開の中で「天皇総帝論」つまり「八紘一宇」に行き着き、破綻したのです。
ところがこの国の保守勢力とくに右翼的勢力は、「日本的な・・・を守れ」「日本人の・・・を取り戻す」等をキャッチコピーにして、グローバリゼーションに揺らぐ日本的アイデンティティの「奪還」を繰り返し訴えるのです。それは伝承された文化や伝統を蔑んで捨て去り、「王政復古」という荒業に訴えた明治政府の「二番煎じ」でしかないように見えます。
前回参院選で1議席だった参政党が、「日本人ファースト」という排外主義を助長するキャッチコピーで躍進したのは、このキャッチが若い世代に刺さるような社会的雰囲気が、実は安倍政権時代から、あるいは小泉政権時代の2001年以降20年に亘って醸成されつづけてきた結果だと思えます。
「美しい日本」とか「匠の技術」とか、グローバリゼーションが促進した社会的経済的格差を覆い隠す日本的なモノの賛美は、総じて江戸時代に成立した伝統文化を懐古趣味的に称賛しながら、それを蔑み否定した明治維新と太政官政府が「過去を捨て去った」歴史的事実を、まるで無かったかのような錯覚を蔓延させたのです。
こうして「過去に責任を持たない」新しい世代は、「過去に責任を負うべき」旧い世代の歴史的健忘症に助けられて、「日本人ファースト」へと引き寄せられたのです。
問われているのは、近代日本の歴史の見直しの上に「ポスト近代」を構想することであり、「過去を捨て去る」ことで失われたアイデンティティ、この国になお残りつづける「自然を畏怖する多神教的伝統」を再構築することではないでしょうか。
(2025年7月26日)


